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千葉県3大壇林跡短訪


江戸時代の学問所

法華経とは


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年10月15日視察 2021年10月31日公開
独立系メディア E-wave Tokyo



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中村壇林2   中村壇林3  中村壇林4   中村壇林5    飯高壇林1
飯高壇林2   飯高壇林3  昌山妙福寺1  昌山妙福寺2   飯高神社1
飯高神社2   飯高神社3  飯高神社4   小西壇林1    小西壇林2

 仏教の学問所、壇林で教えられたことのなかで、もっとも重要なことは、原始仏教で大乗仏教の規範となった<法華経>であろう。

 そこで先に進む前に、法華経とはについておさらいしておこう。

◆はじめに

 『法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典です。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれています。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来しました。

 以下はNHKの名著100選の「法華経」についてのイントロ部分です。

 古来、大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきた経典の一つが「法華経」です。

 日本でも、聖徳太子、空海(弘法大師)、最澄、道元、日蓮、宮沢賢治ら多くの人々に巨大な影響を与えてきました。

 「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」などの文学にも法華経にまつわるエピソードが記され、日本文化の底流には脈々とその精神が流れ続けています。しかし、現代人には、意外にその内容は知られていません。

 「100分de名著」では、この法華経のサンスクリット版の原典を「思想書」ととらえて解読し、一宗教書にはとどまらない普遍的なテーマや、私たちにも通じるメッセージを引き出していきます。

 「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。

 そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流、大乗仏教が登場し、部派仏教との間で激しい対立が生じていました。この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが法華経だといいます。

 法華経の舞台は、霊鷲山というインドの山。釈迦の説法を聞こうと八万人にも及ぶ聴衆が集まっていました。深い瞑想の中にいた釈迦はおもむろに目覚め、今までに誰も聞いたことがない奥深い教えを語り始めます。

 全てのいのちの絶対的な平等性、これまで成仏できないとされてきた出家修行者や女人、悪人にいたるまでの成仏の可能性、それぞれの人間の中に秘められた尊厳性、それを尊重する行為のすばらしさなどが、卓抜な比喩などを駆使して語られます。そして、クライマックスでは、これまで秘されていた釈迦の成仏の本当の意味が明かされるのです。

 法華経には、忽然と虚空に出現する天文学的な大きさの宝塔、大地をわって湧き出してくる無数の菩薩たち等、神話的なシーンが数多く現れ、合理的な思考からすると一見荒唐無稽な物語とみなされがちです。

 しかし、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする作者たちの意図が明らかになっていきます。

 その一つひとつを解読すると、その中核には、「釈迦がもともと説こうとしていた仏教の原点にたちかえれ」という力強いメッセージがこめられていることがわかります。それは、さまざまな因習に縛られ見失われそうになっていた「人間自体を尊重する人間主義の思想」だと、仏教思想研究家の植木雅俊さん(仏教思想研究家)はいいます。

 排外主義が横行し分断される社会、拡大し続ける格差……憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を現代的な視点から読み解きながら、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」など、生きる指針を学んでいきます。

 ※注)以下のNHKの名著100選の「法華経」における
    指南役の植木雅俊(仏教思想研究家)のお話の
    は第一回から第四回が示された後に、その全容
    があります。

名著100選の「法華経」
第1回 全てのいのちは平等である
   出典:NHKの名著100選の「法華経」

【指南役】 植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】 余貴美子(俳優)
【語り】 三宅民夫
 法華経が編纂された当時は、出家修行者が自らの悟りを目指す一部の「部派仏教」と広く民衆を救済しようという「大乗仏教」が厳しく対立していた時代でした。法華経にはそうした対立を止揚し乗り越えようという新しい思想がこめられているといいます。

 一部の部派仏教が決して成仏できないとした在家信者や女性も、初期大乗仏教が決して覚りを得ることができないと断じた出家修行者も、全て平等に仏になれるという平等思想を打ち出したのです。

 法華経ではそのことを過去の因縁話や有名な「三車火宅のたとえ」など卓抜な表現を用いて見事に説きました。第一回は、法華経にこめられた、人類初ともいえる「普遍的な平等思想」に迫ります。


名著100選の「法華経」
第2回 真の自己に目覚めよ
    出典:NHKの名著100選の「法華経」

【指南役】 植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】 余貴美子(俳優)
【語り】 三宅民夫
 法華経が最も優れた経典とされる理由は「全ての人間が平等に成仏できる」と説いたこと。では「成仏する」とはどういうことなのか? 

 それは現代の言葉でいえば「真の自己に目覚めること」「人格を完成させること」だと植木さんはいいます。

 当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨をおさめた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていました。しかし、法華経では、釈迦はあくまで覚りを得たひとりの人間なのだから、偶像を信仰するのではなく釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説きます。

 それこそが人格を完成していく方途なのです。第二回は、様々なたとえをもって語られる「真の自己に目覚めること」の大事さを解き明かします。


名著100選の「法華経」
第3回 「永遠のブッダ」が示すもの
    出典:NHKの名著100選の「法華経」

【指南役】 植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】 余貴美子(俳優)
【語り】 三宅民夫
 その場でたちどころに覚りを得る女性や悪人、大地の底から湧き出してくる菩薩たち……劇的なドラマが繰り広げられる法華経の中盤。神話的ともいえるこれらの表現は、これまでの常識的な価値観をゆさぶり、全く新しい価値観を受け容れる地ならしをしようとした表現だといいます。

 その上で明かされるのは、釈迦が四十年数前にブッダガヤで成仏したのではなく、気の遠くなるようなはるかな過去にすでに成仏していたという驚愕すべき事実です。

 そこに込められているのは、様々な形で説かれてきた無数の仏たちを一つに統合し、釈迦という存在の中に位置づけることで、これまでの仏典全てを包摂しようという意図だといいます。第三回は、法華経に説かれた「永遠のブッダ」が示す奥深い意味を明らかにしてゆきます。


名著100選の「法華経」
第4回 「人間の尊厳」への讃歌
    出典:NHKの名著100選の「法華経」

【指南役】 植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】 余貴美子(俳優)
【語り】 三宅民夫
安部龍太郎(作家)
【語り】 三宅民夫
 法華経後半で最も大事な章と考えられている「常不軽菩薩品」。どんな暴力や迫害にあおうとも、ひたすら他者に内在する仏性を尊重し礼拝し続ける常不軽菩薩が、経文などを全く読めずともやがて覚りを得ていくという姿を描いています。

 ここには、法華経の修行の根幹が凝縮しているという。すべての人間に秘められた可能性を信じ尊ぶ行為こそが、自らの可能性を開いていく鍵を握っているというのが法華経の思想なのです。第四回は、歴史小説「等伯」を書いた直木賞作家の安部龍太郎さんとともに法華経を読み解き、理想の人間の生き方に迫って行きます。


◆『法華経』 ゲスト講師 植木雅俊 
  思想として『法華経』を読む


 以前、明治学院大学で日本文化論の授業を担当していた先生が急病で倒れ、ピンチヒッターを頼まれたことがありました。主に留学生向けの授業だったため、『法華経』と『維摩経(ゆいまきょう)』の一部を英訳して朗読し、解説するという授業を行ったのですが、英訳したことで経典に書かれている内容を理解したのでしょう。

 授業が終わって日本人の学生が近づいてきて言うのです。「仏教っておもしろいんですね」と。「何だと思っていたの?」と聞くと、「葬式のおまじないかと思っていました」。「違います。仏教の経典は文学であり、詩であり、思想だから、おもしろいですよ」と私が言うと、その学生は感心していました。

 その時私は、仏教に関しては日本人はかわいそうな国民だな、と思ったのです。インドではお経の内容はみんな理解できました。釈尊はマガダ語(*1)で教えを説きましたが、弟子たちがサンスクリット(*2)に訳して広めた方がよいかと問うと、釈尊は「その必要はない。その地域で語られているめいめいの言葉で語りなさい」と言っていたからです。

 中国ではそれが漢訳されました。中国語になったわけですから、たとえ字が読めなくても読んで聞かせてもらえばみんな理解できたことでしょう。

 ところが日本では、お経は漢訳の音読みという形で広まりました。ですからほとんどの人にとって意味は分からない。六世紀の仏教伝来以来、私たちはその内容を知らずに千五百年ほどを過ごしてきたわけで、これは本当にもったいないことです。お経は現代語訳してもっとみんなに知られるべきだ。私はそう考えました。

 その授業に先立つ二〇〇二年、私は「仏教におけるジェンダー平等思想」についての研究で博士号を取得しました。学位論文執筆の過程で、『法華経』のサンスクリット原典、中国魏晋南北朝時代の訳経僧・鳩摩羅什(くまらじゅう)(*3)による漢訳とあわせて、岩波文庫から出ていた岩本裕(ゆたか)による和訳を読み比べてみたのですが、岩本訳に多くの疑問を感じました。

 例えば、「転輪王(*4)たちは、幾千万億の国土をひきつれて来ており」という表現があります。王が「国土を引き連れてくる」というのはどういうことなのでしょうか。私はサンスクリット原典に基づいて、「多くの国土からやってきた転輪王たち」と翻訳しました。

 また、釈尊が過去世において仙人の奴隷として仕えた場面は、岩本訳では「寝床に寝ている聖仙の足を支えた」とありました。仙人というのは、足を他人にがっちりと支えられて、安眠できるのでしょうか。

 サンスクリット原典を見ると「足」は複数形になっています。実はサンスクリットで複数は三以上のことで、岩本訳では、仙人に足が三本以上あったことになります。ここは釈尊が四つん這(ば)いになって、仙人が寝ている寝台の脚の代わりを担ったという意味なのです。ちなみに鳩摩羅什はこれらをいずれも正しく訳しています。

 そこで私は、八年をかけて、サンスクリット原典からの『法華経』の和訳に取り組みました。そうして上梓したのが『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、二〇〇八年、岩波書店)です。左頁(ページ)の上段にサンスクリット原典、同下段に鳩摩羅什による漢訳の書き下し文、右側の頁に私の現代語訳を対照させて並記し、なぜ私の訳になったのかを説明した注釈をみっちりと付けました。

 その後、その本が重厚で持ち歩くには不便なため、ハンディーで「耳で聞いただけで分かる訳を」という要望に応える形で訳文を大幅に見直し、普及版の『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下巻、2015年、岩波書店)を出しました。

 今回はその訳文を引用しつつ、『法華経』にはいったいどんなことが書いてあるのか、なぜそんなことが書いてあるのかを、皆さんにお話しできればと思います。

 『法華経』は「諸経(しょきょう)の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆成仏道(かいじょうぶつどう)」(皆〔みな〕、仏道を成〔じょう〕ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。

 日本でも仏教伝来以来、『法華経』は重視されてきました。飛鳥時代、奈良時代を見ても、聖徳太子(*5)は『法華経』の注釈書『法華経義疏(ぎしょ)(*6)』(六一五年)を著し、七四一年に創建された国分尼寺(こくぶんにじ)(*7)では『法華経』が講じられました。

 尼寺ですから、女人成仏が説かれた経典として注目されたのでしょう。鎌倉時代に入っても、道元(*8)が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)(*9)』の中で最も多く引用している経典は『法華経』ですし、日蓮(*10)は、『法華経』独自の菩薩である「地涌(じゆ)の菩薩」「常不軽(じょうふきょう)菩薩」をわが身に引き当て、「法華経の行者」として『法華経』を熱心に読みました。『法華経』はまた、文学や芸術にも影響を与えています。

 『源氏物語』には、八巻から成る『法華経』を朝夕一巻ずつ四日間でレクチャーする「法華八講」の法要が光源氏や藤壺、紫の上などの主催(*11)で行なわれる場面が出てきます。

 『法華経』の教えを分かりやすく説いた説話集や、『法華経』の考え方を根拠にした歌論、俳論も多く書かれていますし、近代では宮沢賢治(*12)が『法華経』に傾倒していたことはよく知られています。

 美術の分野でも、長谷川等伯(とうはく)(*13)、狩野永徳(かのうえいとく)(*14)などの狩野派の絵師たち、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)(*15)、俵屋宗達(たわらやそうたつ)(*16)、尾形光琳(こうりん)(*17)など、安土桃山時代から江戸時代の錚々(そうそう)たる芸術家たちが法華宗を信仰していました。

 『法華経』には、一見すると非常に大げさな、現代人の感覚ではなかなかつかみがたい巨大なスケールの話が次から次へと出てきます。しかし、その一つひとつにはすべて意味があります。

 私は『法華経』をサンスクリット原典から翻訳する中で、その巧みな場面設定に込められた意味、サンスクリット独特の掛詞(かけことば)で表現された意味の多重性、そして、そこに貫かれた平等思想を改めて発見することができました。

 今回は、そうした表現が持つ意味を解説しながら、あらゆる人が成仏できると説いた『法華経』の思想を読み解いていくことにしましょう。

脚注

*1 マガダ語
釈尊が修行し、悟りを開き、伝道を行った、北インドのガンジス河中流域を支配していた強国マガダ国とその周辺地域で用いられた地方語。文献資料は現存しないが、パーリ語に近似した語と推定されている。

*2 サンスクリット
「完成された、洗練された言語」という意味の名を持つインドの言語。「梵語」「サンスクリット語」とも。インド最古のバラモン教の聖典群「ヴェーダ」(紀元前十三~六世紀)に用いられた古語を、前五~前四世紀に規範化し、文章語・雅語として整備。

*3 鳩摩羅什
三四四~四一三。西域の都市国家クチャ(亀茲[きじ]国。現、中国・新疆ウイグル自治区)出身の学僧。父はインド人。後秦の都・長安に迎えられて訳経に従事、『法華経』『般若経』『維摩経』『阿弥陀経』など三十五部三百余巻の仏典を漢訳した。

*4 転輪王
古代インドの伝説上の理想の帝王で、転輪聖王[じょうおう]とも。天から得た神聖な車輪を転がすことにより、武力を用いずに全世界を平定するとされる。

*5 聖徳太子
五七四~六二二。厩戸[うまやどの]皇子。用明天皇の皇子で、推古天皇の摂政皇太子として、冠位十二階の制定、憲法十七条の発布、遣隋使の派遣などを行う一方、深く仏教に帰依した。

*6 『法華経義疏』
聖徳太子が著したとされる三経義疏の一つ(他は『勝鬘[しょうまん]経義疏』『維摩経義疏』)で、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の注釈書。全四巻。『法華義疏』とも。

*7 国分尼寺
聖武天皇の勅願により国分寺とともに諸国に創建された尼寺。正式名「法華滅罪之寺」、略称「法華寺」で、奈良・法華寺を総国分尼寺とした。

*8 道元
一二〇〇~五三。鎌倉時代の僧。比叡山で出家。二十歳代で宋に渡って曹洞禅を学び、帰国して曹洞宗を開く。ただひたすらに座禅を行う「只管打坐[しかんたざ]」を説いた。

*9 『正法眼蔵』
道元の主著(一二三一~五三、未完)。九十五巻。仏法の真理、修行のありかた、宗門の規則などを和文で叙述。

*10 日蓮
一二二二~八二。鎌倉時代の僧。安房で出家。比叡山延暦寺などに留学、法華至上主義に到達し、布教を開始。辻説法や著書での激烈な幕府・諸宗攻撃により伊豆・佐渡へ流された。

*11 光源氏や藤壺……の主催
「さやかに見え給ひし夢の後は、院の帝の御事を、心にかけ聞え給ひて、……神無月に、御八講し給ふ。」(「澪標」、光源氏主催)。「十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。」(「賢木」、藤壺主催)。

*12 宮沢賢治
一八九六~一九三三。詩人・童話作家。岩手県花巻出身。浄土真宗の濃密な信仰の中で育ち、のち熱烈な法華信者となる。作品の多くは宗教心と科学精神に支えられている。

*13 長谷川等伯
一五三九~一六一〇。桃山~江戸初期の絵師。能登の人。金碧障壁画(「楓図」など)・水墨画(「松林図屏風」など)に独自の作風を確立。

*14 狩野永徳
一五四三~九〇。安土桃山時代の絵師。日本画の流派「狩野派」の第五代。城・寺院の華麗で力強い障壁画を得意とした。「唐獅子図屏風」など。

*15 本阿弥光悦
一五五八~一六三七。桃山~江戸前期の京の芸術家。家職(刀剣鑑定)のほか書・陶芸・漆芸に秀で、晩年は洛北鷹峯に芸術家村をつくった。

*16 俵屋宗達
桃山~江戸初期の京の絵師。生没年不詳。扇面画の工房「俵屋」を主宰。装飾的で生命感あふれる新様式の画風を創造。「風神雷神図屏風」など。

*17 尾形光琳
一六五八~一七一六。江戸中期の京の絵師。繊細で装飾性に富む画風を確立(のち琳派として受け継がれる)。「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」など。


◆法華経とは何か
 出典:日本大百科全書(ニッポニカ)

 インド大乗仏教初期に成立した経典であり、すべての仏教テキストのうちでも、もっとも重要な経の一つ。サンスクリット原典はサッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtraといい、ネパールにその完全な写本が数種伝えられ、20世紀初めに完本が出版された。

 そのほか中央アジア(西域、チベット)本、ギルギット(カシミール)本などがあり、チベット訳もある。漢訳は、(1)竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、(2)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、(3)闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)の3本がある。

 (1)はサンスクリット原典に比較的近いが、解読しがたい。(2)が断然群を抜いて広く読まれ、それが中国や日本の仏教に与えた影響、そしてそれを通じて文学などにみえる反映は、あらゆる仏教経典をあわせたもののなかで最大である。ただし(2)は当初数か所の欠落があり、それらはやや後代に付加され、さらに(3)の補訳の一部を含む。

 現行の『妙法蓮華経』は「提婆達多品(だいばだったぼん)」を加えているが、羅什訳原本にも他書にもなく、それを除くと、すべてのテキストが27章からなる。これらを前半の13章(『妙法蓮華経』だけ14章まで)と後半の14章とに分け、前半を「迹(しゃく)門」、後半を「本門」とする。

 迹門の中心思想は、当時の仏教において、声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)のいわゆる小乗の二乗と、菩薩(ぼさつ)の大乗との計三乗を、一乗(一仏乗)に統一することを説き、さまざまな仏教帰依(きえ)の方便(手段)がことごとく成仏の因縁となることを教えて、ここには寛容宥和(ゆうわ)の思想がみられる。

 「譬喩(ひゆ)品」(以下章名は『妙法蓮華経』による)だけではなく、多くの章は、まことに巧みな譬喩を交えて、仏教信仰を勧め、また、この『法華経』を尊重すべきことを教える。「見宝塔品(けんほうとうぼん)」などに宝塔について説かれるのは、当時ブッダ(釈迦(しゃか))や偉大な仏教者にゆかりの品々を祀(まつ)った塔(これをストゥーパという)を崇拝していた人々と、この経との密接な関係を物語るとみられる。

 本門の思想は、「如来寿量(にょらいじゅりょう)品」に明言されるように、かつてこの地に現れた歴史上のブッダは方便の姿にすぎず、本来の仏は永遠に滅びることのない久遠(くおん)常住不滅であることを強調する。

 「常不軽(じょうふぎょう)菩薩品」には、どんな場合にも、どんな人に対しても、尊敬を実践した菩薩の物語がある。「観世音(かんぜおん)菩薩普門(ふもん)品」は、観世音菩薩があまねく衆生を救済することを説いて、観音(かんのん)信仰の根拠となり、この章が独立し、『観音経』として広く読まれて現在に至る。

 古くから、『法華経』をよりどころとして自説をたて、学派・宗派を確立した人々は数多く、また注釈書も圧倒的に多い。とくに、この経に依拠して、中国の智ぎに始まる天台宗は、最澄(さいちょう)により日本に伝えられ、その本拠の比叡山(ひえいざん)には、以後の出家者のほぼすべてが、いったんは籠(こも)って修行し、鎌倉仏教の祖師たちもここに学んだ。なかでも日蓮(にちれん)が『法華経』そのものに傾倒して、「南無妙法蓮華経」の唱題を始めたことは名高い。日蓮宗の系譜から出る現在の日本のいわゆる新宗教の多くも、『法華経』の精神の実践に活躍している。

[三枝充悳]

『坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』上中下(岩波文庫)』▽『松濤誠廉他訳『法華経1・2』(長尾雅人・梶山雄一監修『大乗仏典4・5』1975、76・中央公論社)』▽『織田得能著『法華経講義』(1978・東方出版)』


◆参考 法華経『妙法蓮華経』概説の概要
 出典:Wikipedia

 法華経の鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されています。

 現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科しています。

 迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく五百塵点劫という久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分です。

 迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えています。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違がありますが、この教説を依用する宗派は多いといえます。

 また、三分(さんぶん)の観点から法華経を分類すると、大きく分けて(一経三段)、序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科しています。また細かく分けると(二経六段)、前半の迹・本の二門にもそれぞれ序・正宗・流通の三分があるとしています。

妙法蓮華経二十八品一覧

前半14品(迹門:しゃくもん)
 第1:序品(じょほん)
 第2:方便品(ほうべんぼん)
 第3:譬喩品(ひゆほん)
 第4:信解品(しんげほん)
 第5:薬草喩品(やくそうゆほん)
 第6:授記品(じゅきほん)
 第7:化城喩品(けじょうゆほん)
 第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
 第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
 第10:法師品(ほっしほん)
 第11:見宝塔品(けんほうとうほん)
 第12:提婆達多品(だいばだったほん)
 第13:勧持品(かんじほん)
 第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)

後半14品(本門:ほんもん)
 第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)
 第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
 第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
 第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
 第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
 第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
 第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
 第22:嘱累品(ぞくるいほん)
 第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
 第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
 第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)(観音経) 
 第26:陀羅尼品(だらにほん)
 第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)
 第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

その他の追加部分
 第29:廣量天地品(こうりょうてんちぼん)
 第30:馬明菩薩品(めみょうぼさつぼん)

 28品のほか、以上の追加部分も成立していますが、偽経扱いとなり普及しませんでした。「度量天地品第二十九」は冒頭部分のみを除いて失われています。『妙法蓮華経』28品と同じくネット上でも大正新脩大蔵経データベースで閲覧できます。 


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