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2018年・東日本大震災
復旧実態調査(福島県編)

相馬市沿岸・市道大洲松川線


青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日 2020年3月11日第2次公開
 独立系メディア E-wave Tokyo
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 久ノ浜・末続 原発立地自治体放射線量 新地町1 新地町2 相馬市松川浦
 相馬市大洲松川線 南相馬市沿岸部 飯舘村(放射線量) 久々の会津若松


 この後、相馬市の沿岸側にできた車が中央を走れる防潮堤南相馬で南相馬に向かう。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 トンネルを抜けると下の写真のように、堤防の上に道路が構築されていた。左側が太平洋、右側が松川浦である。 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 子の堤防上の道路は、下の河北新報の地図にあるように、市道大洲松川線といい、相馬市から南相馬市の北まで通じている。


復旧した市道大洲松川線。右は松川浦。左に太平洋の海原が広がる
出典:河北新報

 下はその相馬・市道大洲松川線の最下位についての河北新報の記事。

◆松川浦観光復活を 相馬・市道大洲松川線が7年ぶり再開
  河北新報 2018年04月22日日曜版

 東日本大震災の津波被害に遭った相馬市沿岸部を縦貫する市道大洲松川線が復旧工事を終え、一般通行が21日始まった。観光地松川浦の周遊が7年ぶりに可能となった。

 太平洋と松川浦に挟まれた市道は、高さ9メートルを超える大津波で堤防ごと決壊して不通となった。通行が再開したのは新設部分を含め約5.9キロの区間。うち約2.5キロ以上で直線が続く。

 海岸堤防と一体構造で、復旧に関する新法に基づいて県が工事を代行した。堤防を震災前より約1メートルかさ上げし、津波が堤防を越えてもすぐに全壊しない粘り強い構造とした。事業費は海岸線の整備を合わせて約220億円。
 現地であった式典で、立谷秀清相馬市長は「この道がない限り再生はあり得ない。風光明媚(めいび)な風景と復興を喜びたい」とあいさつ。関係者らがテープカットして通り初めをした。

 市観光協会の伊東博之事務局長は取材に「夏には近くの原釜地区の海水浴場も再開予定。被災地から観光地に向けた一歩となる」と期待した。

 以下は少し南下したところから、トンネル方向を振り返り見た写真ある。右が太平洋岸、左が松川浦である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下は、上の場所(パーキングエリア)で南相馬方向を見た写真。右が松川浦、左が太平洋側である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下はさらに防潮堤上の道路を南相馬方面に行ったところにあった標識である。右折すると、相馬市街それに常磐高速道路があると記されていた。私たちは、南相馬方面の直進する。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 グーグルマップで現在の位置を見ると、下の写真の右側(太平洋岸)の最下部近くにいる。

 県道74号線で、相馬市街や常磐自動車道(6号線)、さらに常磐線鉄道、常磐自動車道(E6)に行けるが、私が値はまっすく南下し、南相馬の鹿島区を目指す。


出典:グーグルマップ

 さらに南下すると、堤防上に2人の男性がいたので、話しかける。何でも3.11以前は相馬に住んでいたが、疎開後、現在は東京から毎週車で磯釣りに来ているとのことだ。東京からは相当の距離があるが、おそらく望郷の思いがあるのだろう。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 確かに相馬の南端には、下の写真のように磯釣りに適した場所となっていた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく