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2018年・東日本大震災
復旧実態調査(福島県編)

相馬市松川浦


青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日 最終公開日:2020年2月28日
 独立系メディア E-wave Tokyo
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 久ノ浜・末続 原発立地自治体放射線量 新地町1 新地町2 相馬市松川浦
 相馬市大洲松川線 南相馬市沿岸部 飯舘村(放射線量) 久々の会津若松


 2018年6月18日、午前、新地町で吉田町議から復興・復旧について話を伺い、それをもとに1時間弱議論したうえで、車で町全体を視察した。

 新地町と相馬市の境界で行われている各種のプロジェクトを車窓から見ながら、お別れし吉田町議にお別れを告げ、次の目的地、すなわち昨日は放射線測定で通過しただけだった相馬市と南相馬市を経て、飯舘村から伊達町、福島市に向かうこととしてた。

 最初は新地町のすぐ南にある相馬市である。以下は車のナビが指し示す松川浦近くの相馬市である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 相馬市は下のグーグルマップにあるように、沿岸部に松川浦があり、それを取り囲むように太平洋岸に細長い半島がある。


出典:グーグルマップ

 下は新地町から南下してきたとき、最初に出会う相馬市の松川浦である。この辺りに温泉旅館やホテルが集中している。2011年9月19日に、青山、池田、鷹取で来たときには、この辺りを車で回り被災状況を調査した。


出典:グーグルマップ

 松島町同様、松川浦の太平洋側の細長い半島が防波堤になったため、他地域のような被害はなかったものの、松川浦と太平洋との間には、大きな斜張橋があり、この下から津波が侵入し、浦を遡上していった。

 今回もこの辺りを車で通過したが、松川浦のほとんどは復旧、復興しており被災したホテル、旅館も営業再開していた。

◆相馬の松川浦

 砂州により太平洋と隔てられた南北5 km・東西3 kmの南北に細長い入り江(湾)だが、海水の出入り口は北側にある1908年(明治41年)1月から1910年(明治43年)にかけて掘削されたわずか幅約80 mの水路部分のみであり、太平洋との間の陸地が100 m程度の幅しか無いため、実感としては「海のすぐそばにあるもうひとつの海」である。

 水路開削以前は砂洲側に河口があったが、潮流の変化や暴風などにより河口が塞がれたり位置がたびたび変わった。入り江の入り口内側は松川浦漁港のひとつ原釜漁港、浦内最南部に磯部漁港がある。

 大小の島や岩が点在する風光明媚な風景は日本三景の松島になぞらえて 「小松島」とも評され日本百景のひとつに数えられ松川浦県立自然公園にも指定されている。春から夏にかけては潮干狩りが、漁港近くの海岸や、浦内最大の島・中州などで行われる。海苔の養殖が盛んで入り江内には数多くの竹竿が垂直に林立している。日本の白砂青松百選の選定も受けている。
 出典:Wikipedia

 松川浦は平均水深が約1m、最大水深も5.5mと浅い。周囲長は23kmもある。この裏に大津波が侵入、遡上しても、この注意23kmもある浦が緩衝帯の役割を果たすものと思えるが、実際は緩衝帯にはなったものの、遡上する津波が浦の周辺に立地する多くの旅館などに損壊を与えたのである。

松川浦の概要と沿革



・1688年(貞享5年) - 第5代中村藩主相馬昌胤が、松川浦を新名所と公認すべく、東山天皇に勅許を願い出る。明治時代まで - 製塩事業が行われる。
・1908年(明治41年)1月 - 松ヶ江村、飯豊村、磯部村の三ヶ村組合により河口の掘削を開始。
・1910年(明治43年) - 掘削が終了し、河口に板橋を架橋する。
・1913年(大正2年)8月 - 台風で板橋が流失し、渡船にて河口を横断し始める。
・1951年(昭和26年)3月27日 - 松川浦県立自然公園が指定される。
・1995年(平成7年)3月 - 松川浦大橋が開通。
・1999年(平成11年)10月3日 - 松川浦漁港で全国豊かな海づくり大会を開催する。
・2001年(平成13年)12月 - 日本の重要湿地500に選定される。
・2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災による津波で被災。
 出典:Wikipedia


空から見た松川浦 出典:Wikimedia Commons


◆2011年9月19日現地視察における松川浦の写真集

 相馬市松川浦地区も東日本大震災による地震、津波の影響を受けた。以下は現地調査などによる写真である。


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


撮影:鷹取敦 CASIO EX-H20G


出典:相双ビューロー


出典:相双ビューロー


出典:相双ビューロー


出典:相双ビューロー


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆今回、2018年6月18日の現地調査時の写真


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は松川浦での空間放射線量率です。0.06μSv/hでした。これはほぼ東京23区の地上1mの平均値に近い値です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:グーグルマップ

 この後、相馬市の沿岸側にできた車が中央を走れる防潮堤南相馬で南相馬に向かう。


つづく