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シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road


大唐西市博物館 視察41

製紙・硯

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察41



 製紙・硯

唐・西市と製紙技術・紙品質・用途

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下の主な出典は、紙の発明と歴史 【古代中国での発明と蔡倫による改良】、中国語スクリプトです。

 紙は古代中国四大発明の一つであり、後漢の宦官であった蔡倫が発明し、105年に皇帝に献上したと言われていましたが、近年の古い遺跡から次々と文字の書かれた「紙」が発掘され、蔡倫の時代よりも300年ほど昔、つまり前漢の中期ごろから紙は使われていたことがわかってきました。

 紀元前数百年、ふるわたやぼろ布を洗って平らな場所に置いたまま忘れてしまっていると、それらが風化してボロボロになりそのまま乾燥してやがて薄い膜のようなものができ…こうした偶然の結果、紙の先祖は生まれたと想像されています。

 ではなぜ蔡倫が紙を発明したと言われるかというと、書写の道具として存在はしていても価値あるものとは思われていなかった「原始的な紙」を、蔡倫が画期的な書写の道具として開発し、しかも原始的な紙であっても作るには一苦労であった工程をもシンプルかつ大量生産が可能なものにしたからです。

 紙が使われるようになる以前、中国で文字は竹簡や木簡、または絹に毛筆で書かれていましたが、紙の発明により、竹簡や木簡のようにかさばらず、絹のように高価でない紙は中国全土に普及していきます。それでも竹簡は依然として重用され紙との併用時代が続き、完全に紙が竹簡に取って代わったのは晋代(265~420)になってからでした。

 紙が発明されているのになぜすぐ紙の時代にならなかったのか不思議ですが、美しい美術品のような竹簡に比べて紙はなんとも安っぽく、高尚なものを記すにふさわしくないと考えられていたのです。

 やがて紙はその製造法とともに、日本など東アジアやベトナムなど東南アジアに伝わり、さらに中央アジア、イスラム世界、そしてインドやヨーロッパに伝わっていきます。日本に伝わったのは7世紀のことです。イスラム世界では9世紀ごろに政治の世界で紙が使われるようになりました。

 
 以下は大唐西市博物館に展示されている木版印刷作業現場のジオラマです。


大唐西市博物館に展示されている木版印刷作業現場のジオラマ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


左側:辟雍砚=辟雍硯(へきようけん)
右側:风子砚=風字硯(ふうじけん)

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

  注)辟雍(へきよう、bi-yung)
    西周時代から設けられた中国の高等教育機関。璧雍・辟廱とも書く。
    「辟雍」とは古代中国における「大学」のことなのです。
    周代といいますから、約3000年も前の古代です。大学に相当する機関は、
    東序(とうじょ)・瞽宗(こそう)・成均(せいきん)・上庠(じょう
    しょう)・辟雍(へきよう)の5つに分かれていました。そのなかで中央
    に位置していたのが「辟雍」です。それで後に辟雍が大学の代名詞として
    用いられるようにもなりました。辟雍は天子が学問を教えられたり、儀式
    を行なったりする場所であり、他の4つで音楽・舞い・礼儀などいわゆる
    六芸を教えたといいます。(出展:辟雍会Webサイトより)

  注)風字硯(ふうじけん) コトバンクより
    古代に用いられた硯すずりの一種。手前の縁がなく、「几」の字の形を
    しているもの。
    外形が風字形で手前に縁がなく、硯背の手前左右に足があるもの。
     晋代には,硯面が鳳字形をなし,
    墨池を臼状に作り,硯背に2足を施した鳳字硯(風字硯,箕様(きよう)
    硯,鳳池硯ともいう)の流行したことが文献の上で知られている。
    しかし出土硯の多くは円形,方形の下に3足または4足を施した陶硯,
    瓷硯,石硯である。…



大唐西市博物館に展示されている木版印刷作業現場のジオラマ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下のジオラマにある十二峰灰陶硯についての解説です。

 硯(すずり)は、墨を水で磨り卸すために使う、石・瓦等で作った文房具です。

 中国では紙・筆・墨と共に文房四宝の一つとされています。硯及び附属する道具を収める箱を硯箱といい、古来優れた工芸品が多数あります。一般に硯箱は、桐や花梨でできているものが多いといえます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 注) 陶硯
  硯のうち、陶磁器で作られたもの。磁器のものは磁硯と称する。制作の
  歴史は古く、出土品などからも発見される。実用面では石硯に及ばないが、
  彩色、形状に趣があるものも多いため、観賞用として飾られることもある。

<ミニ解説> 山脈形灰色陶製硯

出典:(百度百科)

 唐時代の作品、高さ12.5cm、長さ61cm、硯面の直径13.5cm。硯の形が山脈の様な造形となっています。下には足が3つあり、平たい四角形となっています。石を積み重ねて作られ、硯面は箕(穀物を入れる袋)の形をしており、周りに12の峰が取り囲んでいます。

 真ん中の峰の間に小さな凹み(硯の水を溜める部分)があり、その大きさは口の直径が2.0cm、深さが3.1cmとなっています。


出典:大唐西市博物館(百度百科4)




十二峰灰陶硯を展示したジオラマのアップ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


視察42つづく