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シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

大唐西市博物館 視察27

 馬・ラクダ・ヤクの中国メディアコラム

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察27



 以下は中国メディアにおける馬、ラクダ、ヤクについてのコラムです。


この館 この一点

絹の道の古き調べが……
三彩駱駝載楽俑



唐三彩唐(618~907年) 駱駝の高さ48.5センチ、
俑の高さ11.5センチ

 唐三彩は、様々な色のうわぐすりの低温化学反応によってできたもので、唐代の職人が作り出した芸術品である。うわぐすりには、黄、緑、褐色、黒、白などがあり、黄、白、緑の三色が基調となるために、通称で唐三彩と呼ばれる。

 唐三彩には数多くの形があるが、人、馬、ラクダをかたどったものが最もすばらしい。人俑には男性、女性、文官、武将、歌い手、踊り手などの形があり、その他、碗、皿、壺、硯、枕などの日用品、家具、戦車・馬、楼閣などの形も見られる。

 今回紹介した「三彩駱駝載楽俑」は、唐三彩の代表作で、1959年、西安郊外の唐代の墓の副葬品として見つかった。ラクダの全身は白く、背中には長方形のフェルトが敷かれ、人が座れるような台の形になっている。

 その上に座った7人の男性の楽手が、琵琶、笙、笛などの楽器を演奏し、悠然と音楽に酔いしれている。中央に立っている女性は、唐代の典型的な「ぽっちゃり美人」で、歌いながら踊り、とても生き生きとしている。これらは、古代のシルクロードで、各民族の深い交流と経済文化の交流が盛んだった様子を現している。

 漢代以降、中国と西域各国の往来が始まり、果てしなく続くシルクロードを往き来するラクダや馬のキャラバンは、交易の象徴になった。

 誇張した容姿、大きく力強いラクダが空を仰いでいななく様子は、陶酔した歌い手や踊り手と対照的で、はるか昔の時代にいざなってくれるかのようだ。(2003年8月号より)


出典:人民中国

陝西歴史博物館
 文・魯忠民

 古都・西安の大雁塔北西に位置する陝西歴史博物館は、1944年6月に創建された中国初の近代大型博物館である。

 前身は陝西省歴史博物館で、1991年6月には、新館も完成し、対外開放された。

 総敷地面積は6万5000平方メートル、建築面積は5万5600平方メートル。中央に主館、周囲に分館がある唐代風の建築群は、古代建築の趣と先進技術を融合させた上品なつくりで、民族的伝統と中国西北地方の特色を兼ね備えている。

 陝西省は、周、秦、唐など、13の王朝が首都を置いた文物の宝庫。同博物館には、陝西地区で出土した貴重な37万点以上の文物が所蔵されている。

 数が多いだけでなく、種類も豊富で、貴重な品が多いことで知られている。主な所蔵品に、青銅器、唐代の墓から出土した壁画、陶磁俑、建築材料、漢・唐代の銅鏡、金銀玉器、硬貨、陶磁器などがある。

 また、書画、経典、織物、骨器、木器、漆器、鉄器、石器、印章、封泥(古代中国で、貴重品を収めた箱や竹簡・木簡文書の封緘に用いた粘土塊。

 しばったひもの結び目などに、柔らかいうちに押印した)などのほか、近現代の文物や民族・民俗文物も少なくない。

 常設陳列は「陝西古代史陳列」、歴史の流れを糸口に各時代の典型的文物3000余点を整理した陳列で、同地区の古代社会文明の発展状況を紹介している。

 
 



大唐西市博物館とラクダ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



<ミニ解説> ・色絵胡人駱駝俑(北方民族が駱駝に乗る色絵陶製人形)

出典:(百度百科)

 唐時代(618~907年)の作品、高さ85cm、駱駝の長さは76cm。北方民族の男性像は、頭に先の尖った帽子をかぶり、眉は濃く、目鼻は裂が深く、八の字型の髭を付け。体には真っ赤な開襟の胡服を身にまとっています。

 色は黒で長ズボン、足先は尖った靴を履き、両手には駱駝の手綱をもち、足は広げて袋の上に跨がっています。駱駝の頭の部分には飾りを付け、両側には何かぶら下げています。フタコブラクダは首を持ち上げ前を見据えて大きく口を開け歯を見せ、鬣が揺れながら前進しています。

出典: 大唐西市博物館(百度百科4)




◆<草原にウマがいて、沙漠にラクダがいて、チベットにヤクがいること>

 内蒙古の草原に行くと、そこには、モンゴル人がいて馬がいる。人間が馬に乗って羊の群れを追っている。

 そんなことは、行かなくとも最初から分かっている?

 その通り。馬が羊に乗って人間を追っていることはない。それでも、何年か前に草原の中のモンゴル人のパオに一週間ほど泊めてもらったことがあるのだが、そこで、最も強く印象に残ったことは、なるほど、モンゴルの草原にはモンゴル人と馬と羊がいるのだ、ということであった。

 モンゴル人と蒙古馬というのは、驚くほど仲が良い。モンゴル人は歩く前から馬に乗るという。幼くしては馬の乳を飲んで育つ。長ずると馬乳酒に酔う。馬の尻尾の毛を弦とし、馬の頭をかたどった楽器、馬頭琴を弾く。そして、モンゴル人が馬に乗って草原を疾駆する姿は何とも美しい。

 泊めてもらった家族は、七十頭の馬を飼っていた。馬の群れを追って草原を疾走する様子を何度も見かけたものだが、それは実に壮観で、ジンギスカンの軍隊の疾風怒濤を彷彿とさせるものであった。馬あってのモンゴル人。モンゴル人あっての馬。「ああ、草原という場で、モンゴル人と馬とは運命的な出会いをしたのだ」。そんな想いに駆られたものであった。

 チベットに行く。そこには、ヤクがいる。ヤクという動物をご存じだろうか。黒くって、でかくって、モソッとしている。見るからにむさ苦しい。初めて見た時から、「ああ、これがヤクだ」と分かる。

 ところが、このむさ苦しいヤクが、実にヤクに立つ。乳からチーズやバターを作る。肉を食べ、毛を使って服やテントを作る。糞は燃料にする。荷物も運ぶし人も乗せる。しかも高地に強い。高山病で苦しんでいるヤクなんてみたことがない。チベット人はヤクなしには生活が成り立たない。

 同時に、ヤクにとってもチベットは別天地なのかも知れぬ。空気が薄い分、外敵もいなければ人も少ない。気温は低いが、ちゃんと厚い毛皮がついている。その厚い毛皮も、湿気が多いと脱ぎたくもなるが、乾燥しているから快適だ。

 チベットのためにヤクがいるのか、ヤクのためにチベットがあるのか?

 ともかくも、高度に苦しみながら何日か過ごすと、なるほど、「チベットのような桁はずれた荒野には、ヤクのようにむさ苦しい動物がよく似合う」、と合点するものである。

 沙漠に行くとラクダがいる。トンゴリ砂漠にもタクラマカン砂漠にも。ただ、見ているだけでは分からない。ラクダに乗って沙漠を歩くとよく分かる。二日間でも良い、三日間でも良い。幾つも幾つも砂丘を越えてゆく。これが実によく歩く。大きな蹄で砂をしっかりと踏みしめ、砂丘を登り砂丘を下る。人の足で歩いたら大変だ。 二週間、飲まず食わずでも歩けると言う。しかも、コブが二つあって座りやすくなっている。何で、こんなウマい動物が沙漠にいてくれたのだろう?

 シルクロードと言う。中国の絹がローマに伝わり、インドの仏教が中国に伝わる。「しかし」、とラクダの背に揺られながら思う、「ラクダがいなかったらシルクロードもなかったのではないだろうか」、と。

 ラクダの背からみる沙漠というのが、また、格別だ。砂丘という砂丘には風紋が刻まれている。砂丘が大きな波なら風紋はその中のさざ波。そして、静かだ。何の音もない。さざ波を踏むラクダの足音がキュッキュッと鳴るだけだ。その音も、沙漠という静寂に吸い取られ消えてゆく。沙漠はラクダに揺られて行くに限る。

 言いたいことは、こういうことだ。
 蒙古の草原に立ってみなさい、沙漠の熱風に吹かれてみなさい、チベットの高度にボーッとしてみなさい。そこであなたが出会うウマやラクダやヤクは、テレビで知っているそれとは、絶対に違いますよ。
「テレビを捨てよ、旅に出よ」、のオススメでした。

出典:「トコトコ」2004年6月号に掲載


視察28へつづく