エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行】
  
シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road

都城隍廟(百度百科3) 

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2020年4月1日
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
総合メニュー

都城隍廟(百度百科1)  都城隍廟(百度百科2)  都城隍廟(百度百科3)
都城隍視察1  城隍廟視察2  城隍廟視察3  城隍廟視察4

 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は中国西安市(長安市)にある都城隍廟です。

◆都城隍廟3Xi'an 中国西安市)



 第二門を入ると、精巧で美しい劇楼(神楽殿?)があり、大殿(本堂)の南北に向かい合って配置されています。中央の広場には、伝統的で素晴らしい木材建築の牌楼(門)があり、その庇には美しい色彩の絵や陰陽太極八卦の図案が描かれています。大殿(本堂)には間口七間、奥行き5間の広い部屋があり、中央には西安都城隍(守り神)が安置され、両側には判官、「牛頭馬面」や「黒白無常」などの地獄からの使者(鬼卒)が配置されています。

 注)牛頭馬面」や「黒白無常」 中国の怪情報より
  牛頭馬面=〘仏〙 牛の頭をした鬼と馬の頭をした鬼。地獄の獄卒という。
  中国では死者の魂を「あの世」に連れ去る神がいると信じられている。日本で牛
  頭馬頭(ごずめず)と呼ばれる牛頭馬面がその代表的な神の名だ。その牛頭馬面
  と並び称されるのが黒白無常である。黒白無常は黒無常と白無常という2柱の神
  である。両者ともに閻魔大王に仕える冥界の武将である。 

 注)鬼卒=獄卒 浄土宗大辞典より
  罪人を捕え置く監獄(獄舎)の番人、下級の役人、看守のこと。司直、邏卒らそ
  つともいう。仏教では、地獄に堕ちた亡者を苛責する鬼のこと。すなわち地獄の
  鬼卒のことをいう。ⓈⓅnaraka-pālaⓈⓅniraya-pālaⓈⓅbandhana-pālaka。
  様々な形相をし、種々の道具や業火をもって罪人を責め苦しめさいなむという恐
  ろしい存在である。アビダルマ(論書)時代になると獄卒が有情(生命いのちあ
  るもの)か非情(生命いのちなきもの)かということが大いに問題となる。それ
  は有情ならば罪人とともに業火に焼かれ、非情ならば罪人を責められなくなると
  の矛盾にもとづく。『俱舎論』一一では「罪人を地獄に投げ入れる鬼は有情であ
  り、地獄の中にあって罪人を責める鬼は有情でなく、罪人の業力によって作り出
  されたものである」(正蔵二九・五八下、趣意)とする。


主要建築物


出典:百度百科

 原建築の主要建物は、大門、玉皇閣、楽舞楼、牌楼、大殿、道舎、廂房などで、後にほとんどが破壊されてしまいます。現在残っているのは清王朝時代の雍正元年(1723年)に修復された大殿とその枡組の張り出した庇が伝統的で雄大な姿を残しています。

 屋根瓦には瑠璃瓦がしかれ、前庇の透かし扉や窓には浮き彫りにより様々な図案や花の模様が描き出されています。それらの彫り模様は精緻で図案は極めて美しいものです。本堂内には守り神(城隍)、判官、子供たちの塑像が配置されています。廟の外の牌坊(門)の前には銅製の獅子一対が置かれていますが、これは明時代の嘉靖三十八年(1559年)に鋳造されたものです。この廟は、西安の有名な古い道教寺院と商店(商人)そして様々な職人たちが集まる場所にあります。

 2001年6月25日、西安都城隍廟は、明・清時代の古代建築の力作であるとして、国務院により第五次全国重点文物保護対象施設に指定されました。

 注)廂房(しょうぼう) コトバンクより
  中国の伝統的な住宅の形式。院子と呼ばれる中庭をとり囲んで,北に正房また
  は堂屋という主屋,東・西にそれぞれ廂房という脇部屋,南に倒座という向い部
  屋を配するのが基本型。北京,河北,山西一帯に分布する典型的なものは,中庭
  を垂花門によって南北二つに分け,それぞれを内院,外院と区別する。…


建築様式

 城隍廟の大牌楼(門)は明・清時代の様式をもつ古い建築を模したものであり、意気軒昂で、人々は建築工芸のすばらしさを賞賛しています。門牌楼の高さは14.5メートル、幅は32メートルで、巨大な紅色の門柱4本の周りを12本の補助柱が支えています。二重の庇は前が丸く反り返った入母屋造りの屋根(歇山頂:けつさんちょう)で五本の梁をもつ構造となっています。屋根は五本の背柱に六つの獣を乗せ、中央に三列有り、両側にはそれぞれ垂直に二列、また、四つの翼角は筒瓦で覆われていました。

 注)卷棚式屋顶
  卷棚式屋顶也成为元宝脊,其屋顶前后相连处不做成屋面脊而做成弧线形的曲面
, 也就是说卷棚式屋顶的“正脊”是弧形的,与普通人字形屋顶不一样,没有屋顶
  的正脊。譬如北京颐和园中的谐趣园,屋顶的形式全部为卷棚式屋顶。

 注)垂背
  垂脊是中国古代传统建筑屋顶的一种屋脊,根据其制作材料的不同分琉璃垂脊和
  黑活垂脊。对庑殿顶的正脊两端至屋檐四角的屋脊,一说也叫垂脊,但另一说为戗
  脊。

 注)翼角
  是中国古代建筑屋檐的转角部分,因向上翘起,舒展如鸟翼而得名,主要用在屋
  顶相邻两坡屋檐之间。

 牌楼の門の東南西の三面にはぐるっと回廊が繋がっています。牌楼門の上には金箔を施した絵が描かれ、その正面中央にはやはり金箔で「珠をもてあそぶ二匹の龍」が描かれています。その二匹の龍の両側には左右対称に金箔で“左龍”と“右龍”が描かれ、それらの龍の上と下には、金箔で二匹の龍が対称的に描かれ、美しい花の図案も描かれています。この二匹の龍は青い空とカラフルな雲の中で向かい合って描かれています。

 正面左と右の中央にある金箔の絵は、龍と鳳凰です。左右対称に龍と鳳凰が描かれ、それぞれの側に右鳳凰と左鳳凰を描き、その上と下には、金箔で美しい花が対称的に描かれています。鳳凰は、口に紅色で美しい花をくわえて彩り豊かな雲の中に飛び、遙か遠くから相互に呼び合うように描かれています。中心となる金箔の絵の上下には、美しく精緻な図案や花の模様で埋め尽くされています。


廟内の装飾

 牌楼の門は木製の建物で、枡組構造が美しい美観を創り出し、匠の素晴らしい技を見せています。門全体は古典的かつ伝統的に慣れ親しんだ色彩の美しい彫刻を施した屋根の梁と、美しい絵を描いた棟木構造となっており、まるで盆栽の鉢のように美しく、この建物を牌楼の門が一段と高貴なものとしています。

 枡組は,中国古代建築における特有な構造部分で、中国の古い建築にとって重要な役割を果たしています。明・清時代には次第に装飾的はものへと変化していきました。是は、建築の等級(位・格)を示すものでも有り、位の高い高貴な建物ほど枡組は複雑かつ豪華なものとなっています。


文化的特徴

 昔は、西安の古い城隍廟牌楼門の枡組は豪華絢爛で、この城隍廟が当時、突出した効能と地位をもつ寺院であったことを十分に示していました。牌楼門の門の一番上の正面には大扁額があり、金箔の大きな文字で「都城隍廟」と描かれています。背面の大扁額にも同様に大きな金箔の文字で「你来了麽」((日本語では、「よくいらっしゃいました」)と描かれています。これらの二つの額の文字は顔真卿の楷書真筆から選ばれた文字と言われています。

 注)顔 真卿(がん しんけい)709-785年 Wikipediaより
  唐代の政治家・書家。字は清臣。本貫は琅邪郡臨沂県(山東省)。中国史でも屈
  指の忠臣とされ、また当代随一の学者・芸術家としても知られる。(中略)
  顔氏は顔真卿以前より能書家の家系として知られており、真卿も壮年期には張
  旭に筆法を学び、書論『張長史十二意筆法記』を残している。(中略)
  真卿は初唐以来の流行である王羲之流(院体)の流麗で清爽な書法に反発し、「
  蔵鋒」の技法を確立した。力強さと穏やかさとを兼ね備えた独特の楷書がその特
  徴である。伝説では、顔真卿が貧しかった頃、屋根裏に染みた雨漏りの痕を見て
  この書法を編み出したといわれている。叔父・顔元孫が編纂した「干禄字書」の
  規範意識に基づく独自の字形を持つものも多いが、その字形は当時標準とされた
  楷書とは異なり、正統的な王羲之以来の楷書の伝統を破壊するものであったため
  賞賛と批判が評価として入り混じっている。これらの楷書は「顔体」(顔法、
  北魏流)とも呼ばれ、楷書の四大家の一人として後世に大きな影響を与えた。楷
  書作品には『顔氏家廟碑』、『麻姑仙壇記』、『多宝塔碑』、『顔勤礼碑』など
  がある。(後略)

宗教活動


宗教活動
出典:百度百科

 1942年、日本の侵略者によって悲劇的に爆破された建物があり、「10年間の大災害」の宗教活動は中断せざるを得なくなりました。歴史的な理由から、市の神殿は長い間占拠されてきました。

 2003年3月、西安市政府は寺院の商人の移転に資金を提供し、寺院の財産を道教協会に返還しました。西通りのリフォーム事業、総合的な計画システムの寺、これは過去の雄大な神殿を復元しました。

 2005年10月に、都城隍庙の前の広場の改修プロジェクトが完了し、そびえ立つ都城隍庙のふたつの門が復元され、鐘楼と鼓楼の塔に鐘の音が響き渡り、古代の首都西安の壮大な光景になりました。


出典:百度百科


都城隍視察1つづく