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ヴェネツィア( Venezia、イタリア)

大運河3
(Canal Grande)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁

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大運河(カナル・グランデ)1  大運河(カナル・グランデ)2  大運河(カナル・グランデ)3
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大運河(カナル・グランデ)7  ジュデッカ運河  水上バス

 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆大運河3(カナル・グランデ)

 大運河(カナル・グランデ)は、ヴェネツィアの島の中を逆S字に流れる運河です。


カナル・グランデ(衛星写真)
Source:Wikimedia  Commons
パブリック・ドメイン, リンクによる

ルネッサンス

 15世紀初頭までには、ルネッサンス建築のモチーフが、ダリオ宮殿やスピネッリ宮殿などの建物に見られます。後者はヴェネツィアのこのスタイルの先駆者であるマウロ・コドゥッシ(Mauro Codussi)によって設計されました。

 彼のもうひとつの仕事でありカ・ベンドラミン・カレルギー(Ca 'Vendramin Calergi:現在はカジノを開催している)は、(時代の)変遷が完了したことを示しています。大理石をくりぬき抜き空きのある大きな窓は円弧形をしており、柱は3つの古典的様式で並んでいます。

 1527年にローマから到着したヤコポ・サンソヴィーノ(Jacopo Sansovino)のプロジェクトでは、古典的な建築様式がより明白になっています。運河に沿って、彼は壮大で有名なコルネール宮(Palazzo Corner)と白いファサードを水平にレイアウトし、中央の中庭のまわりを開発するためにドルフィン・マニン宮(Palazzo Dolfin Manin)を設計しました。

 他のルネッサンス様式の建物は、パパドポリ宮(Palazzo Papadopoli)と聖ルカのグリマーニ宮(Palazzo Grimani di San Luca)です。 この時代のいくつかの宮殿には、イル・ポルデノーネ(Il Pordenone)、ティントレット(Tintoretto)、パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)などの画家たちによるフレスコ画が描かれていましたが、残念なことにその多くが今では失われています。中でも特に注目に値するのは、カッペロ宮(Ca Cappello)のヴェロネーゼ(Veronese)とジョヴァンニ・バッティスタ・ゼロッティ(Zelotti)によるフレスコ画で、S.ポーロ川(Rio de S. Polo)との交差点で大運河を見下ろしていました。

ベネチアンバロック


サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
Source:Wikimedia  Commons
CC 表示-継承 3.0, リンク


 1582年、アレッサンドロ・ヴィットーリア(Alessandro Vittoria)は、昔ながらのコーニス(小窓付き壁)、壊れたペディメント(破風、切り妻屋根の三角形の部分)、装飾的なモチーフなど、バロック様式の要素が認められるパラッツォ・バルビ( Palazzo Balbi:現在はヴェネト州庁舎)の建設を始めました。

 ヴェネツィアの主なバロック建築家はバルダッサーレ・ロンゲーナ(BaldassarreLonghena)でした。1631年に彼は壮大でヴェニスで最も美しい教会の一つであり、大運河の象徴な建物でもあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の建築を始めました。ファサードの古典的なレイアウトは装飾と多くの彫像が特徴的です。特に、彫刻としては重要な洗練された渦巻き貝がドームの頂上を囲んでいます。

 ロンゲーナ(Longhena)は後に、ともに多くの彫刻とキアロスクーロ効果(明暗の効果)で有名な2つの雄大な宮殿、カ・ペーザロ (Ca 'Pesaro)とカ・レッツォーニコ(Ca'Rezzonico)を設計、そしてナザレの聖マリア教会(Santa Mariadi Nazareth)(Chiesa degli Scalzi)も設計しました。しかし、様々な理由で、偉大な建築家はこれらの建物のどれも完成したとは思っていませんでした。そして、
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を除くすべての建物の設計は彼の死後修正されています。

 ロンゲーナ(Longhena)の主題は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giambattista Tiepolo)による有名なフレスコ画の一群を含め、ラビア宮(Palazzo Labia)の2つの古いファサードで繰り返し見られます。ロンゲーナ派ではサン・スタエ(San Stae)と、カ・コーナー・デッラ・レジーナ(Ca'Corner della Regina)のファサードつくったドメニコ・ロッシ(DomenicoRossi)と、後にカ・レッツォーニコ(Ca' Rezzonico)を完成させたジョルジョ・マサリ(Giorgio Massari)らの建築家を育てました。

 16世紀と17世紀には共和国は衰退の始まりを迎えますが、それでもなお大運河では、最も高度な建築活動が見られました。これは、一部には、経済的困難に直面していた共和国に対して、地域に住む貴族の家族(ラビアのような)が増えて、パトロンとして莫大な金額を支払ったことが一因であると言えます。これらの家族がこの新しい地位を確立すると、彼らは自ら運河沿いに印象的な館を建て、他の家族にも自分たちの家を新しくするように促しました。

新古典派建築

 運河沿いの新古典派の建築様式は18世紀まで遡ります。前半にはサン・シメオン・ピッコロ教会が建てられ、印象的なコリント式の柱廊玄関、中央広場、銅張りのドームが寺院としての形を表す円蓋(キュポラへ)と続きます。(18世紀)後半は、ジョルジョ・マッサリ(Giorgio Massari)によるグラッシ館(Palazzo Grassi )に遡ります。

近代


リアルトの鮮魚店
Source:Wikimedia  Commons
CC BY-SA 4.0, Veza


 1797年にヴェネツィア共和国が崩壊した後、ほとんどのヴェニスの豪華な宮殿のような建物は中断されました。未完成のものとしては、サン・マルクオーラ(San Marcuola)とヴェニエール・デイ・レオーニ館(Palazzo Venier dei Leoni:ペギー・グッゲンハイム・コレクション(Peggy Guggenheim Collection)があります。

 貴族階級の名門一族たちは支配統治という彼らが受け継いできた役割から逃れ、時に革命的勢力によって迫害され、多くが他の住居を求め出ていきました。その結果いくつか歴史的な宮殿は撤去されました。しかし、多くは他の用途を見いだすことができ、その後も使われています。そして、複数の建物で行われた修復作業では18世紀の外観を保存することができました。20世紀後半までに、最も有名な宮殿のほとんどは市、州、または市民機関によって所有されることとなりました。


Vaporetti(水上バス)は大運河を通って乗客を運んでいます。
Source:Wikimedia  Commons
Аутор: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Peter_K_Burian" title="User:Peter K Burian">Peter K CC BY-SA 4.0, Веза


 イタリアのナポレオン王国の時代には、修道院的な宗教規則によるナポレオンによる抑圧のために、市内の不動産の大部分が空洞化しました。それによって、大量の調度品や美術品が骨董品市場に流出し、また、国の所有物となりました。大修道院はその機能を変え、サンタ・マリア・デラ・カリタ聖堂の建物群は美術館(アカデミア美術館)となりました。

 サンタ・クローチェ(Santa Croce)の建物群は、パパドポリ庭園(Giardini Papadopoli)の庭園へと変貌しました。そしてサンタ・ルチアの建物群(一部はアンドレーア・パッラーディオ(Palladio)によって設計された)はサンタ・ルチア駅の建設のために完全に壊されました。

 イタリア王国への加盟により、ヴェネチアは街の静けさを取り戻し、建物の美しさを尊重しつつを尊重しながら大運河沿いの建設を刺激してきました。ときには、リアルとの鮮魚店のようにゴシック建築様式のリバイバル建築が再現されています。

イベント


大運河のゴンドラ
Source:Wikimedia  Commons
By <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Peter_K_Burian" title="User:Peter K Burian">Peter K Burian</a> -CC BY-SA 4.0, Link


歴史的レガッタ


 9月の第1日曜日には、歴史的なレガッタ(「Regata Storica」)が開催されます。ベネチアンのボートレースは、川の堤や水上の浮きスタンドから何千人もの人々が見物します。競技に先だって、歴史的な行列であるコルテオ・ストリコ("Corteo Storico")が行われます。この行列は1489年のキプロス女王キャサリン・コルナロの退位された後、ヴェネチアに入られたことを記念して行われます。

マドンナ・デッラ・サルーテの祭りの日

 11月21日、ヴェネツィア人は1630年~38年に流行したペストの救済を聖マリアに感謝するため、聖マドンナ・デッラ・サルーテ教会への巡礼の行列を行います。巡礼行列は、サンタ・マリア・デル・ジッリオ教会(Santa Maria Zobenigo)から広場大運河を渡る仮設の舟橋を渡って屋台や伝統的な料理をお楽しみます。


大運河(カナル・グランデ)4つづく