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シルクロードの今を征く Now on the Silk Road

ヴェネツィア( Venezia、イタリア)
 
サン・クレメンテ島(Insel San Clemente)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2020年10月10日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
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サン・クレメンテ島   
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆サン・クレメンテ島(Insel San Clemente)

概要

 サン・クレメンテ島(Insel San Clemente)は、イタリアのヴェネタ潟の中の島で、ヴェネチアの南よりで、マラモッコ港から船が出ています。


空から見たサン・クレメンテ島
Source:Wikimedia Commons
CC 表示-継承 3.0, リンクによる


ジュデッカ側からヴェネチア潟をみる。手前にあるのがサン・クレメント島
Source:Wikimedia Commons
CC 表示 2.0, リンクによる


歴史

 貴族ピエトロ・ガッティレッソ(「強盗貴族」とあだ名された)により、自らの罪を贖うために1131年に教会が建てられ、12世紀半ばからグラードの総司教に属するアウグスチヌス派の修道院になりました。

 その後、聖地巡礼に赴く、あるいは戻ってくる巡礼を宿泊させるための巡礼教会(Hospital)が建てられました。 この島に最後まで残っていたアウグスチヌス派の修道士は、1432年に亡くなりました。その後、修道院と教会は、エウゲニウス4世がこの地に慈善兄弟教団の修道士たちを移し、修道院と教会、巡礼教会の再建を指示し、島を再び活性化させる時まで寂れていました。

 教会は島の西の方に今日もそのままに残っていて、修道士達によって再建されたそのままになっています。 世界中から著名な人々や聖職者がこの島を訪れています。マントヴァ公国の使者の1人は、このヴェネチアにペストを持ち込んだという言い伝えもあります。


教会の正面
Source:Wikimedia Commons
CC 表示 2.5, リンクによる


 神のご加護により伝染病が終息した後、ヴェネチア共和国はその感謝の気持ちを表すために教会にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を建立しました。

 1451年には、フリードリヒ3世が、彼をキオッジャまで迎えに出てきたヴェネチア共和国の総督と共にブチントーロからサン・クレメンテにやってきました。

 1645年から1810年まで、カマルドリ修道会の修道士たちがこの島を支配しました。それはナポレオンの命令により、教団がヴェネチアから撤退するまで続きました。 またヴェネチア市からかなり離れていることもあり、ここには大きな火薬庫が置かれていたこともあります。

  この建物は、19世紀の半ばにヴェネチアを支配していたオーストリアの手により、女性精神科患者の隔離ための精神病院に改築されました。これは今日まで続いていましたが、バザリア法により廃止になりました。

 ここから1km離れたサン・セルヴォーロ島が、男性患者の隔離のための精神病院になっていましたが、こちらも病院の廃止に伴い精神病院博物館として病院の一部を残し、他はヴェネチア国際大学(en:Venice International University)と国際会議場になりました。

 2003年から島には古い歴史的建造物を改装した5つ星の豪華ホテル(サン・クレメンテパレス)があります。 改修された教会も2003年4月15日に一般公開されるようになりました。 2003年12月31日現在で、島の住民は2人です。島は一番高いところで海抜4mしかありません。


サン・クレメンテ島の教会
Source: Venetico, Google Map Street View 


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