シルクロードの今を征く Now on the Silk Road![]() ![]() コッレール美術館1(Museo Correr) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年4月20日 独立系メディア E-wave Tokyo |
<ヴェネツィア総合メニュー> <美術館1> コッレール美術館1 コッレール美術館2 コッレール美術館3 コッレール美術館4 コッレール美術館5 コッレール美術館6 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 ◆コッレール美術館(Museo Correr) 下はグーグルマップで見たコッレール美術館の位置です。 ![]() 出典:グーグルマップ ![]() 出典:グーグルマップ 下はコッレール美術館の外観の写真です。 ![]() サン・マルコ広場をコの字型で囲む建物がコッレール美術館(Museo Corre) Source:Wikimedia Commons CC BY 3.0, Link ![]() Saint Mark's basilica, in Piazza San Marco square in Venice, as seen from the "Museo Correr" museum. Picture by Giovanni Dall'Orto, August 12, 2007. Source:Wikimedia Commons G.dallorto, Attribution, Link ![]() サンマルコ広場から見たコッレール美術館 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10 ![]() サンマルコ広場から見たコッレール美術館 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10 概要 コッレール美術館は、イタリアの北、ヴェニスにある美術館で、ヴェニスのサンマルコ広場に位置しており、ヴェネチア市民博物館財団が運営する11の市営博物館の一つです。美術館は、広場の南側にそって延びており、新行政館の上層階に位置しています。豊かで多様なコレクションを有しており、コッレール美術館はヴェニスの芸術と歴史を網羅しています。 歴史 ![]() ベルナルディノ・カステリ(Bernardino Castelli)によるテオドロ・コッレールの肖像画 Source:Wikimedia Commons Public Domain, Link コッレール美術館は1830年、テオドーロ・コッレール氏が遺言によりヴェニス市に寄贈したコレクションが元になっています。伝統的なヴェネチアの家柄であるコッレール家の一員で、几帳面で熱心な収集家であり、ヴェニスの歴史を彩る芸術や文書、あるいは個々の文物の収集に生涯を捧げた人でした。彼の死後、すべての品々は、その家族が住んでいた大運河沿いの宮殿と共に市に寄贈されました。この貴族一家は、コレクションの保存と拡大のため、また、それらの品々を市民が見たり触れることができるように、市に基金を残しました。 ![]() コッレール美術館の天井 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link 彼が、作品を集めていた時期は非常に特殊な時代であり、1797年にヴェネツィア共和国が陥落し、その後何十年もの間、外国の支配下に置かれ、必要以上に多くのヴェネツィア人の家族が貴重品のコレクションを売り払うことを望んでいた時代でした。いくつかのコレクションは外国人に買われることになりました。 しかし19世紀の初めの数十年の間、市場にはまだ多くの作品がありました。コッレールは若い頃からの飽くことのない収集家であり、あらゆる種類の物を買い、信じられないほどの量の作品を集めることに彼のすべての資産をつぎ込みました。コッレールは自分自身が鋭い目利きであることを発揮して、間違いなく非常に独創的な作品群を収集することができました。彼はコレクションが一般市民に公開されるべきであるという明白な意図をもっており、美術館はついに1836年に公開されました。 何年にもわたり、博物館の収蔵物はカタログ化され整理され、研究者と一般の人々にそれぞれのコレクションの中で最良のものを見る機会を提供してきました。その後の遺贈、寄付、および買収がコレクションに追加され、最終的にはさまざまな作品が他の場所に収容されることになります。 コッレール美術館2につづく |