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シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

ヴェネツィア( Venezia、イタリア)

はじめに 1

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編 **
掲載月日:2019年4月20日改訂公表予定2020年7月1日
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

はじめに 1(Venezia、イタリア、Venice)

 「シルクロードの今を往く」の最終到着地は、イタリアのヴェネツィア(Venezia, ベニス)です。

 私達たちは、2006年3月、イタリアのミラノの北にある町に現地調査で行った日の翌日、日帰りで滞在しているミラノからヴェネツィアに行きました。


世界的に有名なミラノの大聖堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006-3-16

 残念ながら改修工事中で内部には入れませんでした。


世界的に有名なミラノの大聖堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006-3-16


訪問先のミラノ市にあるロンバルディア環境財団
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006-3-16
 
 1976年7月10日、ミラノの北のセベソ(Seveso)という町にあった農薬工場が大爆発し、風下地域を中心に有機塩素系の有害物質、具体的にはダイオキシン類が大量に飛散し大気を汚染するとともに、土壌を高濃度に汚染し、大きな被害が出ました。この大事故は「セベソ」事故として世界的に有名です。

 下の写真は2006年、私達はイタリアのミラノに行き、ミラノ大学医学部の教授らとセベソ事故の影響、被害などについて議論したときのものです。セベソ事故はイタリアのロンバルディア州、ミラノの北25km付近に位置するセベソの農薬工場で発生した爆発事故ですが、私達がでかけたのは2006年3月、事故からちょうど30年目にあたる年でした。

 現地は、30年経っても当時、依然として厳しい土地利用規制が行われており、敷地内数カ所にある井戸では、定期常的に地下水に含まれるダイオキシン類など有機塩素系化合物の測定が行われていました。EU諸国は、このセベソ大事故で得られた各種の知見、データを元に、その後、EU指令を出してゆきます。


ロンバルディア研究財団で議論する池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006年3月


ロンバルディア研究財団にて
撮影:研究所スタッフ Nikon Coolpix S8  2006年3月

 以下はセベソの駅のホームです。


セベソの駅にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006年3月


セベソの駅にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006年3月


セベソ市役所前にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006年3月

  以下はセベソの現場です。農薬工場跡地を含む広い地域が公園となっており、フェンスの中は立ち入り禁止となっています。


セベソの現場にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2006年3月


セベソの現場にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10  2006年3月


 以下は帰国後、現地調査、議論を踏まえて執筆した研究論文(pdf 22頁)です。

 ◆セベソのダイオキシン大事故から30年:
 イタリア、EUはセベソから何を学んだか~現地調査を踏まえて~
 青山貞一(武蔵工業大学環境情報学部 、池田こみち(環境総合研究所)
 

ヴェネツィア2つづく