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 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

テヘラン3

(Tehrān、イラン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月2020年7月31日公表予定
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テヘラン
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 次はシルクロードの途中にあるイランのテヘラン3です。

◆テヘラン

 これに対し、1921年にはレザー・シャーがテヘランでクーデターを起こして政権を奪取し、1925年には議会によって皇帝に推挙され、ここにパフラヴィー朝がはじまったのです。


ガージャール朝の下で宰相を務めたミールザー・タギー・ハーン・アミーレ・
キャビール。アミーレ・キャビールは宰相として上からの改革を図ったが、
近代化改革に無理解な保守派の宗教勢力と国王ナーセロッディーン・シャー
の反対に遭ってその改革は頓挫し、内憂外患に苦しむ19世紀イランの自力
更生の道は閉ざされた。
Muhammad Ibrahim Naghashbashi (? - 1851), Photo:Monfie 2013 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


パフラヴィー朝時代

 イランでは王朝の交代とともに遷都が行われるのが常でしたが、レザー・シャーは首都をテヘランのままにし、逆に大規模な改造を次々と行ってゆきました。

 1934年には城壁が撤去され、跡地には北のシャー・レザー通り(現在のエンゲラーブ通り)、東のシャバーズ通り、南のシューシュ通り、西のネザミ通りの4つの大通りが整備されました。また、旧市街を貫通する直線の大通りを建設し、旧城壁の環状道路と直線道路の交点には円形の広場が設置されました。

 旧城壁の南端、シューシュ通りの南側にテヘラン中央駅が建設されたのもこの時期のことです。現在のテヘランの基本構造はこの時期によって完成したため、現在のテヘランは「レザー・シャーの個人的創造物」ともいわれています。

 第二次世界大戦中、レザー・シャーは親ドイツの立場をとり、ナチス・ドイツに侵攻されているソヴィエト連邦への支援ルートとしてイラン縦貫鉄道を使用することを拒否したため、ソ連軍とイギリス軍によって1941年に イラン進駐が引き起こされ、レザー・シャーは退位しました。

 9月17日には両軍がテヘランに入城しました。王位は息子のモハンマド・レザー・パフラヴィーが継ぎました。1943年には連合国首脳がテヘランに集まり、テヘラン会談を行っています。

 戦後、モハンマド・レザー・パフラヴィーは父王の政策を受け継いで近代化を進めました。テヘランは首都として急成長を続けており、城壁の撤廃によって郊外への都市の成長も急速に進みました。とくに、扇状地の北端はガージャール朝時代より避暑地として上流階級の別荘地となってきましたが、都市の急成長とモータリゼーションの進行は。この地域を新興高級住宅地とし、さらにこの両区域を結ぶ地域も高級住宅街として発展してゆきました。

 富裕層が住むシャー・レザー通りの北側には新たなビジネス中心が作られ、開発が進みました。モハンマド・レザー・パフラヴィーも1971年にペルシャ帝国建国2500年祭記念事業としてシャーヤード・タワー(現アーザーディー・タワー)を市の西部に建設するなどモニュメントの建設を行い、テヘランの整備に努めました。


1971年に建設されたアーザーディー・タワーとアーザーディー広場
不明 - http://travel.webshots.com/photo/1000135519000131611, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

イスラム共和国時代

 モハンマド・レザー・シャーの独裁と急進的な西欧化は市民の反発を買い、1979年にはイラン革命が起きて皇帝は失脚し、ルーホッラー・ホメイニー(ホメイニ師)による革命政権が誕生しました。

 革命政権は、パフラヴィーに基づく通りや建物の名前を改名させたものの、都市開発の方向性自体はパフラヴィー時代を踏襲しました。しかしシャーがアメリカへ亡命したため両国間の緊張が高まり、1979年11月4日にはテヘランのアメリカ大使館を占拠してシャーの身柄引き渡しを求めるという、イランアメリカ大使館人質事件が起きました。

 これによって両国の関係は決定的に悪化しました。イラン・イラク戦争ではスカッドミサイルの標的となり、度重なる空襲もあり甚大な被害を出しました。同時にテヘランには難民が集まり、混乱をきたしました。

 イラン・イラク戦争当時はソ連式の集合住宅が無計画に作られ、テヘランはさらに歴史的建造物を失いました。現在では50階を越えるアパートなど超高層建築のビルが増えています。

 2007年には高さ435mの新しいランドマーク・ボルジェ・ミーラードも完成しました。反米強硬派で交渉する事すら不可能であるとされたアフマディネジャド元大統領が任期満了で退任した事がきっかけとなり、新大統領に選ばれたロウハニ大統領は対米穏健派とされており、これをもって2016年からアメリカ合衆国との外交対話関係が回復しました。


テヘラン4つづく