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●2008年2月22日午後 半日時間をとってソレントからポンペイにでかけた。 私がポンペイに関心を持つのは、私たちの環境総合研究所の別荘(保養所)が北軽井沢にあることに関連している。別荘の比較的近くに浅間山がある。 以下の記述にあるように、ヴェスヴィオ同様、活火山の浅間山は、天明3年(1783年)に大噴火し、その火砕流によって浅間北麓の吾妻郡鎌原村、今で言う群馬県嬬恋村一帯に住んでいたひとびと1000人以上が亡くなったという。 たまたま火砕流に早く気づき、鎌原地区に今もある鎌原観音堂に階段を上り、逃げ込んだ93名のみ助かったとされいる。 火山災害から命を救った観音堂は厄除け信仰の対象となっている。 この災害では当時の村の人口が600人程であり、477名もの人命が失われたという。鎌原観音堂の階段の高さ分が生死の分かれ目になったという。
浅間山大噴火の被害については、群馬県指定文化財のなかに以下のようなきじゅつもある。
私たち環境総合研究所の別荘(保養所)はその鎌原観音堂のすぐ近くにあることもあり、浅間山大噴火との関連でヴェスヴィオ山の大噴火のことが気になっていた。 |
グーグルアースで3次元展開した浅間山 作成:青山貞一 | |||
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グーグルアースで3次元展開した浅間山の火口部分 作成:青山貞一 |
下図は、ヴェスヴィオ山大噴火による影響範囲を示したものである。おそらく風向の関係でソレントは影響、被害を免れ、またアマルフィ海岸地域はソレント半島の高い山脈が壁の役割をすることで甚大な被害を免れたことが推測される。 ヴェスヴィオ山大噴火による影響範囲 L'eruzione del 79 d.C. Source:Da Wikipedia, l'enciclopedia libera.(イタリア語版ウィキペディア) 以下はヴェスヴィオ山の大噴火による火山灰と火砕流がポンペイの町を襲ったときの史実の一部である。なお、その詳細は、イタリア語版のウィキペディアはじめ多くの文献・資料がある。ここでは概括するにとどめておく。
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グーグルアースで3次元展開したヴェスヴィオ山 作成:青山貞一 |
グーグルアースで3次元展開したヴェスヴィオ山の火口部分 作成:青山貞一 |
ヴェスヴィオ山大噴火の想像図 |
Source:Da Wikipedia, l'enciclopedia libera.(イタリア語版、ウィキペディア) |
ソレントからポンペイへ 出典:Google Map より青山が作成 |