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目黒不動尊・瀧泉寺短訪1

    

 (東京都目黒区下目黒)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
28 May, 2018  独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

 その1   その2   その3   その4

 江戸時代荏原郡目黒村の東京都目黒区には上目黒に円融寺、中目黒に祐天寺といった由緒ある寺院があります。では下目黒にはどのような寺院があるかというと、目黒不動瀧泉寺通称、目黒不動尊があります。東京都内には不動明王に関連して、高幡不動や目黒不動など、地名や駅名に不動がつく地域がありますが、目黒不動は東京の都心に近い目黒にあるそのひとつです。

 青山の自宅は目黒不動にも近く、小学生のことから毎月の縁日28日に、親から小遣いをもらい目黒不動尊に出かけていました。また広場が少ない品川区、目黒区の子どもにとっての遊び場となっていました。

 目黒区不動尊一帯は、複雑な地形で、広大な敷地は平地と高台の2つに分かれており、急な階段で両者は結ばれています。また傾斜地には前不動寺、垢離堂、勢至堂といった古いお堂があります。

 2018年6月1日、私たちは夕方4時に研究所を出て東急目黒線で不動前駅に行き、徒歩で目黒不動尊を訪れました。不動前の駅から目黒不動尊に向かう途中の参道の両側には、昔ながらのお店が並んでいました。


出典:グーグルマップ

 私たちは目黒不動尊に、東急目黒線の不動前から徒歩で向かいました。

目黒不動への交通アクセス

バス  JR五反田駅(西口)より東急バス渋谷行(渋72系統)
      「目黒不動尊境内」下車

徒歩 @JR「目黒駅」より徒歩(約20分)
    A東急目黒線「不動前」より徒歩(約15分)

車   山手通り「かむろ坂下」より信号2つ目右折


◆目黒不動は江戸近郊の行楽地

 弘治3年(1557年)に堂塔の修理造営を行ったが、元和元年(1615年)に火災のため、ほとんど焼失してしまった。しかしながら本尊と本尊所持の「天国の宝剣」は奇跡的に難を逃れた。

 下は江戸時代の古地図にみる目黒不動尊(瀧泉寺)、行人坂、大円寺です。地図中、左側にあります。地図中、目黒川が左上から右下に流れ、東京湾に流れ込んでいることがわかります。


江戸時代の古地図にみる目黒不動尊(瀧泉寺)、行人坂、大円寺
出典:国立国会図書館

 その後、寛永7年(1630年)に上野護国院の末寺となり、将軍家の保護を受けるようになった。そのきっかけとなったのが、将軍家光が鷹狩りで目黒の辺りに来ていた時、可愛がっていた鷹が行方不明になるということがあり、そこで不動の僧に祈らせたところ無事に戻ってきたという。喜んだ家光は不動を深く尊信し、焼失していた堂塔を再建したという話である。

 以来、幕府の保護が厚く、江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわった。

 
近くには、行人坂上の夕日が丘などの景観地もあったし、俗に蛸薬師と呼ばれる成就院や、蟠龍寺もある。少し足を延ばせば、名刹祐天寺もある。江戸の三富と呼ばれた富くじが行われたことも、目黒不動繁栄の一因となった。

独鈷の滝と前不動堂

 慈覚大師が長安の青竜寺に清い滝があったのを思い出し、試みに
独鈷を投げたところ、たちまち泉が湧き、滝となったと伝えられている。二条の清水が銅製の竜口から注いでおり、不動講の水垢離場みずごりばとなっている。近年水量は減ったが、1年中水が枯れることはない。

独鈷の滝

 独鈷の滝の左手にあるのが前不動堂。本尊は不動明王立像で、庶民信仰の便を図ったものとも、本堂に祈願するための徳を積む修業の場であったともいわれる。

 独鈷とは…煩悩を打ち砕く仏具 です。

 出典:目黒区 歴史を訪ねて


江戸時代の浮世絵に見る目黒不動瀧泉寺

 以下は江戸時代の浮世絵に見る目黒不動瀧泉寺です。


江戸自慢三十六興  目黒不動餅花  絵師:広重
出典:錦絵でたのしむ江戸の名所、国立国会図書館


江戸名所  目黒不動尊  絵師:広重 出版者:山田屋
出典:錦絵でたのしむ江戸の名所、国立国会図書館


目黒不動之図  絵師:国芳 出版者:[丸屋清次郎]
出典:錦絵でたのしむ江戸の名所、国立国会図書館


目黒不動瀧泉寺の概要

 天台宗寺院の1は、泰叡山と号します。瀧泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられ、関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられます。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、
江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺[現天王寺])の一つに数えられたといいます

出典:猫の足あと

目黒不動瀧泉寺の概要2

 瀧泉寺(りゅうせんじ)は、東京都目黒区下目黒にある、天台宗の寺院です。山号は泰叡山(たいえいざん)です。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれてます。江戸三大不動・江戸五色不動の一つであり江戸三十三箇所第33番札所さらに関東三十六不動第18番です。 「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もあります。また青木昆陽の墓があることでも知られています。

出典:Wikipedia


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-1


◆江戸五色不動

 江戸五色不動は、江戸時代には五眼不動といわれ、五方角(東・西・南・北・中央)を色で示すものです。その由来については諸説ありますが、各位置は江戸城(青)を中心として、それぞれ水戸街道(黄・最勝寺)、日光街道(黄・永久寺)、中山道(赤)、甲州街道(白)、東海道(黒)といった江戸府内を中心とした五街道沿い(又は近く)にあることから、徳川の時代に江戸城を守るために置かれたといわれています。ただし、色はあくまで仏教上の方角を示すもので、目に色があるわけではありません。

名称 寺院名 宗派 郵便番号 所在地 交通
 ・目黒 瀧泉寺 天台宗 153-0064 目黒区下目黒3-20-26 JR「渋谷」「五反田」
   「恵比寿」駅より東急バス渋72系統「目黒不動尊境内」下車
 ・目青 教学院 天台宗 154-0004 世田谷区太子堂4-15-1 東急新玉川線・
   東急世田谷線「三軒茶屋」駅より徒歩五分 NTT世田谷裏
 ・目赤 南谷寺 天台宗 113-0021 文京区本駒込1-20-20 JR「駒込」駅よりバス
   「吉祥寺」下車 約五十米
 ・目黄 永久寺 天台宗 110-0011 台東区三ノ輪2-14-5 地下鉄日比谷線「三ノ輪
  」駅下車 東約500米 小松川高校前
 ・目黄 最勝寺 天台宗 132-0035 江戸川区平井1-25-32 総武本線「平井」駅下車 
   東へ約500米 小松川高校前
 ・目白 金乗院 真言宗豊山派 171-0033 豊島区高田2-12-39 JR「目白」駅よりバス
   「鬼子母神下車150米宿坂下)

 出典:目黒不動公式Web


◆天台宗の教え

  宗 旨  天台宗(天台法華円宗)
  総本山  滋賀県 比叡山 延暦寺
  祖 師  高祖(中国)天台大師 智禅師
        宗祖(日本)伝教大師 最澄上人
         
《立教開宗》 
 中国の天台智者大師が、お釈迦様御一代の教えのうち、最もすぐれた法華経を中心として天台宗をお開きになり、其の後伝教大師が中国に渡られ、これを伝えて、延暦二十五年一月二十六日、日本の天台宗を開かれ、日本仏教の根源となった宗旨であります。
天台宗はこの法華経にもとづく「一乗の教え」を根本として、密教、禅法、戒法、念仏などをその実践の法門としています。
            
《本尊》
 天台宗のご本尊は、阿弥陀様、薬師様、観音様、地蔵様、不動様などをおまつりしてありますが、それらは皆、法華経に説かれている「久遠実成の釈迦牟尼如来」(永遠のいのち、無限の命をそなえられた宇宙の本体としてのお釈迦様)と同一体であるから、従ってこれらすべての仏、菩薩を敬信します。

《教義》
 此の世のいろいろ異なったことがらは、すべてうつりゆく仮の相であるが、それはそのままに仏のいのち、すがたである。私共は皆仏の子として、仏と同じ仏性を生まれながらそなえているので、人々がこの理りにめざめて、仏の道にいそしみ、はげむように導くのが、天台宗の教えである。

《経典》
 俗に「朝題目、夕念仏」とも称される如く、法華経の諸法実相(すべてのものは、みな仏そのもののあらわれである)の立場に立って、すべての大乗経典を敬い読誦致します。

 出典:目黒不動公式Web


◆目黒不動瀧泉寺の歴史

 寺伝では、808年(大同3年)円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したといいます。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明です。

 860年(貞観2年)清和天皇より「泰叡」の勅額を下賜され、山号を泰叡山としました。1615年(元和1年)本堂が火災で焼失しました。1630年(寛永7年)寛永寺の子院・護国院の末寺となり、天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになった時、徳川家光の庇護を受けて、1634年(寛永11年)50棟余におよぶ伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めました。

 1812年(文化9年)「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われた(他は湯島天満宮、谷中感応寺)。富くじ興行は1842年(天保13年)天保の改革により中止となりました。寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰がありました。

 江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれています。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされています。

 江戸時代には大いに栄え、門前町が発達した。門前町の名物として、当時目黒の名産品であった竹の子(江戸後期に薩摩藩より移植したものが商品作物として普及)を使った竹の子飯と棒状に伸ばした練飴(白玉飴)を包丁でトントン切っていく目黒飴が人気でした。また、餅花という細い竹にしんこ餅を付けた物や粟餅などもあったといいます。江戸名所図会にはこの目黒飴屋の風景が載っていて、図会に載っている絵では従業員が10人近くみられる大店であったことがうかがえます。

出典:Wikipedia


目黒不動瀧泉寺の縁起

 目黒不動瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられています。関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられます。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺(現天王寺)の一つに数えられたといいます。

 天台宗泰叡山龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。

 江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中感応寺(現天王寺)と並んで「江戸の三富」と称されました。

 境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財)と「勢至堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。

 その昔、境内には「銅造役の行者倚像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手の池近くには「山手七福神」の一つの恵比寿神が祀られています。裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。

 出典:目黒区教育委員会


つづく