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都民の水瓶、狭山湖岸の
「トトロの森」湿地帯に
大墓地計画(3)

 〜湿地現地視察〜
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2014年6月21日  
独立系メディア E−wave

無断転載禁

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 次に、私達が行った現地視察について紹介しよう。

◆「さいたま緑の森博物館」

 この辺一帯は「さいたま緑の森博物館」となっており、地域には以下の看板があちこちにたっていた。この辺一帯は狭山丘陵そしてトトロの森と呼ばれる地域そのもののである。

 私達が現地調査したのは、写真中、現在地とあるところより右(東)側、所沢市三ヶ島二丁目一帯である。ここには看板にあるように早稲田大学所沢キャンパスがある。

 なお、以下の地図の下端にある黒い林道より下(南)は東京都の所有、管理地であり東京都水道局のフェンスとゲートがあって、湖岸や湖面には物理的に近づけないようになっていた。


写真8 「さいたま緑の森博物館」案内図


写真9 「さいたま緑の森博物館」の案内板(これは湿地近くにあった)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆さいたま緑の森博物館の概要


写真10 博物館案内所脇にある「水鳥の池」(2008年7月)

概要

 さいたま緑の森博物館は、埼玉県入間市宮寺地区(65ha)にある県立の博物館。将来は所沢市糀谷・堀之内地区(20.5ha)も加わり、合計面積は85.5haとなる。 狭山湖の北岸、狭山丘陵の一角に位置し、埼玉県立狭山自然公園の中にある。狭山丘陵の自然や雑木林そのものを野外展示物として自然観察の場として活用する場を目的とした博物館である。

 施設は案内所の小規模な建物のみで屋内展示物は少ないが、敷地内には雑木林や湿地、ため池などがあり、遊歩道を歩いて生息する動植物を観察したりすることができる。里山の野外展示であるが、里山景観公園ではなく、茶畑や果樹園、野菜畑など、地元農家による生産農地も含めた、いわゆる生きた野外博物館(フィールドミュージアム)である。定期的な自然観察会や稲作体験教室、雑木林体験教室も開催されている。入館無料。

 さいたま緑の森博物館では、開館した入間市域と整備中の所沢市域で異なる管理方式をとっている。入間市域では、指定管理会社委託方式により博物館の運営管理を行っている。入間市域では博物館設立以来、博物館活動を支えるさまざまなボランティア組織が存在する。稲作体験教室では、地元住民による「稲仲の会」、自然観察会のリピーター、「早稲田大学匠の会」等、雑木林体験教室では、特定非営利活動法人「埼玉森林サポータークラブ」がそれぞれの専門分野で協力している。

 一方、所沢市域では、2004年12月18日に設立された地元の「糀谷八幡湿地保存会」が全面開館まで運営管理を直接行っている。糀谷八幡湿地保存会は、会員数約40名で、糀谷八幡神社の宮司と氏子、および地元住民のほか、地域の研究者・NPOもメンバーとなっている。

 2008年11月、入間市域では、博物館活動を自主的に支える「緑の森倶楽部」(事務局は案内所内)が結成された。緑の森倶楽部は、さいたま緑の森博物館の活動に関わる人たちの「友の会」としての組織で、自主的な自然環境調査や自然観察会等のイベント企画・実施を行っている。構成メンバーは、博物館の設立時以来、博物館主催で開催していた自然観察会の講師や、自然観察会、里山教室、体験教室などのイベント等に参加した地域の市民が友の会に参画している。

歴史

 1986年11月、狭山丘陵の自然保護活動を進めていた環境保護市民運動団体「狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議(1981年設立)」と「狭山丘陵を市民の森にする会(1981年設立)」は、連名で埼玉県に対し狭山丘陵の活用と保全の基本計画をまとめた『雑木林博物館構想』(90頁のレポート)を提示した。それを受けた埼玉県は、1990年に知事決裁を以て保全計画を確約した。その間、環境保護団体と埼玉県自然保護課(当時)は、協同により当該地の調査に基づき、基本計画、実施計画について室内や現地での協議を重ね、1995年7月、「雑木林博物館構想」は、ほぼ中身どおりに「緑の森博物館」として実現した。

 しかし、オープン前から博物館の予定地では、マウンテンバイクや犬の訓練、違法な魚の放流等の事例が相次いでいた。そのため、緑の森博物館が、狭山丘陵の自然環境と歴史的環境の保全に向けた博物館として維持されるよう、1995年5月、狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議およびトトロのふるさと基金は、緑の森博物館の管理運営に関する考え方を埼玉県に提出した。その内容は、以下の4項目を基本原則としている。

・里山景観を保全する。
・生物多様性を保全する。
・来訪者による利用は環境学習、自然観察に限る。
・計画的かつ効果的な管理を行う。

出典:Wikipedia


◆現地調査ルート

 要所で車を降りて視察し、写真を撮影した。また赤○内の生き物湿地は徒歩でほ木道を含めほぼくまなく歩いた。

 私達が現地調査したルートはほぼ以下の赤色線のルートである。


図4  現地調査ルート図
   出典:グーグルマップから池田こみち、青山貞一作成

 ※6月21日になって開発予定地の詳細が分かった。これについては(4)に詳述する。

◆湿地及びその周辺の現地視察

 以下はトトロの森20号地、21号地近くの900区画墓地近くに行く道の入り口。ここには、里山平地林再生事業の看板があった。


写真11 トトロの森(里山湿地)への入り口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下は湿地に向かう道。


写真12 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 緑の森博物館(仮称)の看板。奥にある柵より背後は早稲田大学所沢キャンパスの敷地である。

 下が湿地にある木道。木道は2箇所ある。木が生い茂り、昼なお暗いという感じである、


写真13 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真14 木道にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 随所に看板があり湿地、鳥、植物、水生植物、昆虫などの解説があるが、どの看板も色があせているので、設置してかなりの時間が経過しているものと思われる。看板には環境省、埼玉県とある。


写真15 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は植物を説明する掲示板。ここにも看板には環境省、埼玉県とある。


写真16 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 さいたま緑の森博物館地域の「自然環境」は以下の通りである。

 さいたま緑の森博物館は、生産農地や雑木林のある、生きた野外博物館(フィールドミュージアム)である。博物館の大部分を占める樹林地は、代償植生としてのコナラ林であり、全域にわたって分布している。コナラ林は狭山丘陵の代表的な木本群落であり、丘陵の尾根筋から斜面、谷沿いに広がり、入間市域および所沢市域まで見られる。

 また代表的な谷戸には休耕田に起因する湿地が広がっている。入間市域には大谷戸湿地、西久保湿地、小ケ谷戸湿地、所沢市域には八幡湿地がある。大谷戸湿地と西久保湿地では谷戸地形の谷戸頭から谷戸尻までの距離が長く、特に湿性植物群落が分布している。湿地の植生ではミゾソバ群落、ヨシ群落、ミヤマシラスゲ群落が分布している。湿地のうち、水田して活用しているのは西久保湿地と八幡湿地の谷戸尻部分である。

 博物館内の植物の種類は、埼玉県による調査報告書(1998年)によれば、123科696種が記録されている。哺乳類はアズマモグラ、アブラコウモリ、ヤマコウモリ、ノウサギなど8科11種、鳥類は32科123種、両生類はヤマアカガエルやニホンアカガエルなど6科8種、爬虫類はニホントカゲやカナヘビ、ジムグリなど5科8種、魚類は5科12種、水生昆虫は22科31種が記録されている。
 
 出典:Wikipedia



写真17 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 生き物湿地。水鳥の楽園とある。


写真18 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真19 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真20 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真21 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下は、湿地を雰囲気を伝える渾身の一枚。


写真22 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真23 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400


写真24 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 地域は結構起伏がある。右側のフェンスより右は早稲田大学の敷地。


写真25 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400

 おそらく下の写真より奥の地域が墓地計画用地と思われるが、この時点では正確に予定地を把握しておらずまだ不明であった。。


写真26 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下は、湿地帯へのアプローチの入り口にある産廃業者の施設。


写真27 産廃事業者敷地の入り口
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真5再掲 巨大墓地予定地のすぐ南にある産廃施設
    出典:グーグルマップ衛星画像

 湿地帯の北側には、早稲田大学所沢キャンパス(大学院の人間科学学術院とスポーツ科学学術院がある)がある。そもそも、この巨大開発を開発許可したことが今回の巨大墓地開発計画の布石となっていると思われる。大学の敷地は、365,668u(約12万坪)と巨大である。

 市街化調整区域でも水源に近い地域は、巨大開発の例外を一度でも認めると、次々に開発計画が立てられる可能性が高くなる。

 これは埼玉県が全く無思慮に埼玉県の農地に産業廃棄物処理施設の設置許可を次々に出し、気づいてみたら産廃銀座となり、1999年のダイオキシン騒動、事件まで何らまともな対応をとらなかったこととも共通する。

 仮に制度的に開発が可能な場所であっても、計画段階の協議で埼玉県が事情をしっかり説明し、お引き取り願うのが当然のことと思える。これは公共施設であれ大学であれ同じである。大学や高等学校でも開発時点だけでなく、その後もさまざまな環境負荷を地域の自然環境に及ぼすことは間違いないからである。

 所沢キャンパスにはA地区と、研究棟と湿地からなるB地区に分かれるとある。どうせなら、早稲田大学は湿地帯全部を買収し、すべて保存緑地、湿地とすべきであった。これは今からでも遅くはないだろう。この地域はいわゆるビオトープ、エコアップ研究にとってももってこいの場所であるはずだ。

 件(くだん)の早稲田大学所沢キャンパスだが、聞いたところでは、知人が早稲田の学生だった頃、所沢キャンパスの話があって、別にもう一カ所、候補地があったようだが、学内の派閥、利権争いが激しく、噂では、西武の堤氏のプッシュがあり、そちらの派が最終的に巻き返して所沢になったという話があった。

 早稲田大学は質的向上ではなく、量的拡大をめざし、本庄早稲田キャンパスでも広大な土地を買収している。大学キャンパスの立地なら、もっと環境面からの見識を持って対応すべきである。困ったものである。

 ありそうな話である。

 
※ ちなみに青山は、早稲田大学の教育学部、理工学部で環境関連の非常勤講義を
    永年してきた。学生、とくに建築学科の学生にはこの種の問題に関心を持つものも
    結構いたことを覚えている。



写真28 早稲田大学所沢キャンパスにある大学院
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

早稲田大学所沢キャンパス

 早稲田大学所沢キャンパスは埼玉県所沢市三ケ島に所在する早稲田大学のキャンパスである。学内に人間科学部、スポーツ科学部、人間科学研究科、スポーツ科学研究科および付随施設を持つ。

 所沢キャンパスの全面積は2008年2月時点で365,668平方メートルであり、早稲田大学のキャンパスとしては本庄キャンパスについで2番目に広い。南隣には狭山丘陵が広がる自然に近接した立地にある。同キャンパスは100号館(校舎)、101号館(校舎)、所沢スポーツホール、所沢学生共同利用棟、野球場、織田幹雄記念陸上競技場、アクアアリーナからなるA地区と、研究棟と湿地からなるB地区に分かれる。


写真29 早稲田大学所沢キャンパス
出典:早稲田大学

歴史
1987年4月 - 早稲田大学創立100周年事業の一環として所沢キャンパスを開設。
        人間科学部を設置。
2003年 - スポーツ科学部を設置。
2006年 - スポーツ科学研究科を設置。


図30 早稲田大学所沢キャンパス
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

出典:Wikipedia

 永年、東京都新宿区の超狭小な早稲田大学のキャンパスを見てきたものには、広大でゆったりとしたキャンパスであるが、さりとて衛星画像で見るまでもなく、東京都民の水源地でありトトロの森を大規模伐採してキャンパスをつくったことに違いはない。

 さらに近くには、埼玉県立芸術総合高等学校がある。


写真31 埼玉県立芸術総合高等学校
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下は、狭山丘陵に見る開発と保全の現代史 である。読めばトラスト基金が保全したトラスト地は、約4万m2 とのことである。これ自体、すばらしいことではあるが、早稲田大学所沢キャンパスひとつの敷地面積が 36万j5,668m2におよんでいることから明らかなように、ひとたび分野を問わず、開発を許すと、トラスト運動にとっても壊滅的な影響がでることになる。

狭山丘陵に見る開発と保全の現代史

 昭和以降、当地域は大規模な開発が行われ、第二次世界大戦前は東京市による水源開発、第二次世界大戦戦後は西武グループにより、西武ドームや西武園ゆうえんちに代表されるレジャー開発が行われてきた。一方でこれまでに高等植物1000種以上・鳥類200種以上が確認されている。準絶滅危惧(NT)種であるオオタカも棲息する。

 最東端の八国山周辺は、宮崎駿が監督した長編アニメ映画『となりのトトロ』で舞台のモデルとされたことから、本作の公開年(1988年、昭和63年)の前後より以降日本で広く知られるようになった。作品の人気により狭山丘陵の全域は「トトロの森」の愛称を得、直接的にあるいは作品を通じて間接的に親しまれる地域となった。なお、八国山周辺の都県境より埼玉県側は西武グループによって宅地開発されているため、映画のような雰囲気が現存するのは東京都側のみとなっている。

 1990年(平成2年)には、狭山丘陵の自然と文化財を守るためのナショナルトラスト運動「トトロのふるさと基金」が設立され、翌年には1号地の買取に成功。以来、この団体は2013年(平成25年)10月時点で、埼玉県所沢市内に20ヶ所、東京都東村山市内に1ヶ所のトラスト地(合計面積は約4万0,010m2)を所有している。取得に投じた合計金額は約3億0,878万円となっている。
 
 また、狭山丘陵に程近い、狭山湖に発する柳瀬川の中流部、西武鉄道池袋線が渡河する点の西側(秋津駅の西北西500m)、埼玉県所沢市北秋津と東京都東村山市秋津町にまたがり柳瀬川両岸にある「淵の森緑地」で柳瀬川右岸の雑木林約1500m2を市民が宅地開発から守るため募金を行い東村山市に寄付するという運動も成功した。東村山市ではこの寄付金もあわせて、緑地を買い取ることにしている。

出典:Wikipedia

つづく