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都民の水瓶、狭山湖岸の
「トトロの森」湿地帯に
大墓地計画(5)

 
〜狭山湖(山口貯水池)視察〜
青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2014年6月22日  
独立系メディア E−wave

無断転載禁

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 ところで、私達東京都民は意外と知らないようだが、毎日使っている都民の水道水は、通称、狭山湖、東京都の正式名称、山口貯水池に蓄えられた水によって多くがまかなわれている。

 現地調査の後、狭山湖をぐるりと一周し、堰堤にも行ってみた。途中、狭山湖の南側の湖沿いの道路で以下の看板を見た。この辺でもかつて墓地開発計画があったのか、それともはるか対岸側で起きた墓地建設問題にエールを送っているのか分からなかったが、いずれにしても、狭山湖や多摩湖沿岸域は環境がよく、おそらく地価も安いので、高齢化社会まっただ中にあるこれらの地域は墓地開発に狙われるのかも知れない。


写真34 墓地建設反対の看板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真35 墓地建設反対の看板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下はWikipediaに見る狭山湖の歴史と自然である。


写真36 狭山湖全景  
出典:Wikipedia

 下は狭山湖の堰堤から見た墓地開発方向の写真である。地形的に谷戸がダム湖に沈んだ後がリアス式海岸のようになっており、樹木が覆い被さっている様は非常に美しい。 写真のちょうど真ん中の後方に墓地予定地がある。


写真37 狭山湖の堰堤から見た墓地開発現場方向の写真  写真のちょうど真ん中の後方
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は墓地開発の現場方向を望遠で撮影した写真。樹木が湖面に落ちる様子がなんともすばらしい。やはり湖岸一帯は、水源地としてまた自然景観地として保全しておきたいものである。


写真38 狭山湖の堰堤から見た墓地開発現場方向の望遠写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は狭山湖の堰堤で撮影した一枚。遠くに小中学校の頃、遠足で来た時に見た三角帽子の塔がある。


写真39 狭山湖の堰堤にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


写真40 狭山湖の堰堤にて
撮影:池田こみち Nikon Coolopix 6400

 下は堰堤にあった解説版の狭山湖(山口貯水池)の全景写真である。よく見ると、背景にも多くの町がある。こんなダムの写真今まで見たことがない。


写真41 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆狭山湖概要

 ところでこの山口貯水池は狭山湖の通称でよばれる、埼玉県所沢市・入間市にある1934年(昭和9年)完成の東京都水道局水源管理事務所村山・山口貯水池管理事務所が管理する人造湖である。

 山口貯水池は多摩川(羽村市)の小作取水堰(小作・山口線)及び羽村取水堰(羽村線)からの導水を主要な水源としているが、一部金堀沢・大沢などの天然の湧き水が流れ込む。湖の水は東村山市の東村山浄水場、武蔵野市の境浄水場へと導かれ、東京都の上水道として供給される。

 埼玉県所沢市・入間市に位置しているが、東京都水道局管理のため、当然ながら埼玉県の上水道としては供給されていない。1998年(平成10年)から2002年にかけて、堤体の上流側と下流側に腹付け盛土を行い堤体の断面規模を大きくする耐震強化工事を実施した。

 北岸には根古屋城の城跡が存在する。隣接する東京都東大和市の村山貯水池(多摩湖)も同じ理由で作られた人造湖。

歴史・経緯

 東京市の人口増加に対応した水源確保のため、埼玉県入間郡山口村(現在の所沢市)に1927年(昭和2年)から7年の歳月をかけ建設された。
 
 貯水池は狭山丘陵の柳瀬川浸食谷を活用して造られた。工事にあたり村山貯水池の資材運搬と導水管(羽村村山線)工事の際に敷設した羽村-山口間の軽便鉄道を復活させて、砂利運搬に利用した。廃線跡の一部は東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線などのサイクリングロードとして整備されている。

 第二次世界大戦中、空襲による破壊に備えるため、既存の堤防の上に自然石とコンクリートによる耐弾層が施工された。高欄や親柱は耐弾層に埋められたが、後の平成の耐震工事の際に発見された。さらに1995年(平成7年)に起きた阪神・淡路大震災を契機とし、1998年(平成10年)から2002年11月にかけて堤防と取水塔の補強工事が実施された。

 耐震工事とともに周辺の整備も行われ、以前はなかった堤防の途中に設けられた数カ所の階段や展望デッキも新設された。耐震工事前の堤防の道の両脇には石が敷き詰められていたが、新しい堤防はそれがなくなり、歩きやすくなった。新しい堤防の道は以前の堤防の雰囲気を残すためか、道と道の両脇の色が異なっている。

 なお、耐弾層を除去した際に昭和初期の高欄や親柱が発見された。耐弾層が保護の役割をしていたため、当時の面影がきれいに残っていた。


写真42 現在の高覧
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は堰堤の上にあったマンホール?の蓋である。場所は埼玉県所沢市であるが、蓋にはしっかりと東京都の銀杏(いちょう)のマークが刻印されていた。


写真43 東京都の銀杏(いちょう)のマークが刻印されていた
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆自然

 湖畔は松やクヌギの雑木林で、緑豊かな武蔵野の情景を醸し出している。春には、ソメイヨシノとツツジが咲き誇る名所でもある。2万本にも及ぶ桜が開花すると、湖周辺は花見を楽しむ家族連れなどで非常に賑わう。周辺は県立狭山自然公園となっており、その美しさは埼玉の自然100選にも選出されている。狭山丘陵には「狭山丘陵いきものふれあいの里」と「さいたま緑の森博物館」が整備され、狭山丘陵の自然について学ぶことができる。

 下は堰堤近くにあったすばらしい樹木。


写真44 堰堤近くにあったすばらしい樹木
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下もすばらしい樹木群。遠くに見える町は所沢市下山口町地区である。


写真 すばらしい樹木群。遠くに見える町は所沢市下山口町地区
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8