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禅寺総合ページ 短訪 平林寺(春・初冬)
◆平林寺の庭園と紅葉 (出典:説明文は平林寺の公式Web、写真は青山貞一、池田こみち) 平林寺の総門に立つと、まず目に入るのが一直線に並ぶ禅宋様式の伽藍の美しさ。きらびやかさはありません。修行の寺らしい、いかにも武蔵野の禅寺という風情がそこにあります。 平林寺の伽藍は野火止めに移転後、時代とともに変化しますが、現在も変わらない端正なたたずまいを見せているのは、総門・山門・仏殿などの建造物です。 拝観受付で頂いたパンフの表紙 ◆樹林静寂・林泉境内【静】禅の心と自然がおりなす静謐なる造形美。 ◆ふじ棚庭園と半僧坊 林泉境内は書院奥にあり、約千坪の広さを有する地泉回遊式の庭園です。江戸中期の作庭と伝えられ、県の「名勝」にも指定されています。 庭上方は枯山水の石組で築山を形成し、下方は心字池を配し、武蔵野の樹林を借景として作庭されています。 ・半僧坊 山門の左側、放生池近くに唐破風をつけた入母屋造りの半僧坊感応殿があります。半僧坊は、静岡県引佐郡引佐町にある臨済宗方広寺の鎮守である半僧坊大権現がその源と言われています。権現とは、仏教の仏様が神として仮の姿で現れることを言います。 明治23年(1890)、鎌倉建長寺の守護神として分祀された半僧坊は、同27年、一九世玉圓禅師の代に平林寺に勧請されました。 半僧坊の由来について『奥山半僧坊縁由記』には「半僧坊の本尊は半僧坊大権現、すなわち後醍醐天皇の第十一皇子で、遠州奥山の方応寺の開山である聖鑑禅師に随侍し、時として奇怪な風体の山の神化し、霊妙摩訶不思議の神通力をもつ守護神なり……」とあります。 この半僧身の容姿をした老翁の霊験はそののち、近郷付近にまで聞こえ、庶民の素朴な悩みをも消除するとして崇拝され、のちに禍い転じて利益と成す半僧坊信仰は次第に拡大し、関東までも広がったのです。 毎年4月17日はこの大祭の日で、感応殿では大般若経600巻などの転読などが行われます。近隣法類のお練りや稚児行列などもあり、雅楽の音が響く平林寺の門前には200軒余りの各種露店や植木市などが軒を連ね、善男善女で大いに賑わいます。 ふじ棚と半僧坊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ふじ棚と半僧坊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ふじ棚 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 下は半僧坊に参拝する池田です。 ふじ棚と半僧坊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 半僧坊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 半僧坊の前の池田 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 実は半僧坊は下の半僧門のすぐ裏にあります。この門は半僧門というように、本来、半僧坊のための門なのです。 平林寺半僧門(道路の反対側から撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 半僧坊と半僧門の位置関係は以下の境内案内図の下段の左側を見て頂ければお分かりになります。 平林寺境内案内図 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ◆放生池 池泉は遊歩探勝できるように設計されていて、右方から眺望すると淡路島の形を取り入れてあり、それは作庭時に意図されたもののようです。前庭を埋め尽くす芝生が明るく開放的な池泉庭と、幽邃な深山の景を造りだす自然とが相俟って、幽玄閑雅な世界を作りだしています。 池泉の水源は、近年まで境内を流れる野火止用水の支流にたよっていましたが、現在は地下水を汲み上げて引水しています。 なお、林泉境内は奥庭であり、禅修行の場と重複するため、一般の拝観は許されておりません。 下の写真は放生池から見た半僧坊(奥の建物)です。 放生池 庭園 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ◆弁天堂 下は放生池の小島にある弁天堂です。 放生池の小島にある弁天道 庭園 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-15 つづく |