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江戸の桜名所探訪

権現山公園

青山貞一

掲載日:2015年4月4日
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◆名所探訪・目黒川両岸の秀逸なサクラ
@目黒川に桜見物船  A目黒川沿いに五反田へ  B目黒川沿いに大崎へ  C目黒川沿いの大崎新副都心
D目黒川沿いの東海寺周辺
江戸の桜名所探訪・城南5山 御殿山
@城南5山、御殿山  A御殿山 北品川4  B御殿山庭園  C御殿山と権現山
D明治の鉄道と御殿山  E東海道線沿いに権現山へ  F権現山公園
◆江戸の城南5山探訪 八ッ山・島津山・池田山
@八ッ山、開東閣、ソニー村  A島津山、ソニー資料館  B島津山、清泉女子大  C池田山、旧正田邸跡

「権現山公園」到着

 かくして、江戸時代、御殿山の一角であり、徳川家康が近くに品川御殿をつくりサクラの花見をしたという権現山に到着しました。ここは現在、丘の上に品川区立の小さな公園、それもサクラが沢山ある権現山公園となっています。

 現地は下の写真のように、住宅地のなかの街路のどん詰まりに急な階段があり、その上に権現山公園がありました。規模はそれほど大きな公園ではありませんが、高台にあるので見晴らしはよいです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 下のグーグルマップの赤い目玉マークが公園です。北側に御殿山トラストコート、南側にタワーコート北品川、南西に目黒川が見えます。


出典:グーグルマップ

 下は権現山公園の標識です。果たしてここに来る区民の何%が権現山の意味を知っているか、また御殿山との関係を知っているかは不明ですが、歴史的、文化的な地名を史蹟としてでは無く、公園名として残していることは良いことだと思います。

 しかし、史蹟としていないので、以下のプレート以外何の解説看板も、教育委員会の解説もありません。今年は徳川家康没後400年の記念すべき年ですが、残念ながら、公園には何一つ家康に関する説明はありませんでした。至極残念なことです。

 もっぱら、これは御殿山地区でも同じことです。今回、都合3日、5回御殿山地区(北品川4,5丁目)を歩き回りましたが、どこにも江戸時代の桜の名所であるだけでなく、御殿山の由来、名所旧跡としての解説はありませんでした。これも至極残念なことです。

 郵便配達などの関係で東京の地名、それも歴史を刻んでいる地名ははほとんどすべてなくなりました。たとえば港区六本木の六本木ヒルズがある場所は,その昔は材木町とよばれていました。現在東京23区で古い地名が残っているのは新宿区の一角だけです。

 地名がなくなると言うことは、その地域の歴史文化が無くなるのに等しいことを私達はもっと真剣に考えるべきであると常々思っています。

 その意味で言えば、かつて御殿山をとり仕切っていたソニーは、現在、高輪の一角にソニー歴史資料館を残すのみで跡形も無くなっています。これも品川区民としては大変残念なことです。

 下は権現山公園のサクラです。

 訪れたのは平日の昼でしたが、すでに何組かがサクラ見学の宴会をしていました。またいわゆる席取りをしているグループもいました。サクラはさすが大変秀逸ですばらしいです!


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 公園からは、旧御殿山ヒルズ、現在の御殿山トラストタワーのビルが北北西に樹木越しに見えました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 南東の方角にはタワーコート北品川の超高層マンションが眼前にそびえていました。この唐突に建つ超高層マンションは、おそらく地主が都市産業、不動産会社から利殖、相続対策などで薦められ建設したものの、リーマンショックなどの大不況で中断したマンションと推察されます。

 少し調べたら次のような記述がみつかりました。
 「2009年築の当物件ですが、リーマンショックの影響があったためか竣工前後まで「賃貸」、「分譲」どちらになるのかさえ不明で、結局「賃貸」となった後もそのドタバタが影響したのか空室がなかなか埋まらず礼金0はもちろんのこと、フリーレントキャンペーンをずっと行っていたのが印象的です。」

 現地に行ってみればすぐに分かりますが、東海寺のブログで書いたように、すぐ隣には徳川家光が関わった大徳寺系の由緒ある東海寺があります。またすぐそばには、家康の権現山があります。

 超高層マンションは両方の歴史的文化的な場所を台無しにしているのです。東京の不動産屋は、土地の由来などにお構いなくこの種の超高層マンションの建設を進めます。その結果、東京を中心に首都圏ではありとあらゆる場所で、歴史、文化、それに上から眺められると言う意味でプライバシーが破壊されています。もちろん、まちの眺望、景観も壊されています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 公園そのものは児童公園の規模なので、写真のように児童用の滑り台などの遊具が置いてありました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 権現山公園視察後、私は東海道線に沿って北に向かい、東海道線、東海道新幹線、JR山手線、など8種の鉄道をまたぐ跨線橋に行きました。

 この跨線橋は、またぐ鉄道の種類の多さだけでなく、鉄道の歴史の重さからしておそらく日本一の跨線橋と言えるはずです。跨線橋については以下の解説をご覧ください。

◆跨線橋(こせんきょう)

 跨線橋とは橋の一種で、鉄道線路をまたぐものです。道路をまたぐ橋は跨道橋といいいます。鉄道駅構内で駅舎やホーム同士を連絡するために架けられるもの(跨線人道橋)や、踏切を廃して道路と線路を分離・立体交差化することを目的とするもの(跨線道路橋、一般的には「陸橋」と呼ばれるもの)があります。


出典:Wikipedia

 実は先にお見せしました以下の写真は、この跨線橋から撮影したものです。ただし、権現山公園側ではなく、逆の品川駅側を撮影したものです。


現在の御殿山周辺の鉄道、JR山手線、JR京浜東北線、湘南新宿ライン、
東海道線、東海道新幹線など、日本一、鉄道が集中しています。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 下の写真は跨線橋から権現山公園側を撮影したものです。真ん中にこんもり緑が見えるのが権現山公園です。たまたま撮影時、東海道新幹線が走っていました。このあたりは品川駅の近くなので速度は落としています。


現在の御殿山周辺の鉄道、JR山手線、JR京浜東北線、湘南新宿ライン、
東海道線、東海道新幹線など、日本一、鉄道が集中しています。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2


 下は跨線橋を渡りきった北品川4丁目から撮影した権現山公園です。緑の木々の合間からサクラが見えます。手前は、御殿山通りに向かう道路沿いのサクラです。


跨線橋を渡りきった北品川4丁目から撮影した権現山公園
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-4-2

 権現山公園はこれで終わりです。

 私はこの後、通称「ソニー通り」ともよばれます「八ツ山橋通り」を通って、「八ツ山」の関東閣さらに島津山、池田山へと向かいました。


つづく