■青山貞一:久々の[みなと横浜] 歴史散歩(目次)
@開港広場
A横浜三塔
B「象の鼻」と「赤れんが倉庫」
C山下公園
D海岸通りから元町へ
E蘇る中華街
Fトワイライト「みなとみらい21」
Gブルーライト横浜
Hダークナイト・イン横浜
歴史散歩地域の全景 出典:グーグルアース
■みなとみらい線で蘇る「中華街」
1時間半ほど散歩したこともあって、お腹が空いてきた。食事と言えば、横浜と言えば中華街だ。
「開港広場」、「横浜三塔」、「山下公園」から中華街は歩いて10分足らずだ。下の地図で中華街は左上、ローズホテルより上の地域。中華街大通りに主要な店が軒を連ねている。
横浜中華街の概要 約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。 1859年、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁が来住した。その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。 1894年に日清戦争が勃発すると中国人の多くが帰国してしまうが、戦争が終わり、1899年に条約改正により居留地が廃止されると、中国人は職業制限を受けたものの、居留地外にも住むことを許され、中華街は急速に人口が増えてさらに発展した。 戦後の復興期に横浜港は賑わい、香港との往来も復活した。1955年には中華街大通りの入り口に「牌楼門」が建てられ、牌楼(門)の上「中華街」と書かれたことで、それまでは南京町と呼ばれていたこの街が次第に「中華街」と呼ばれるようになった。 2004年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい21線が開業し、終着駅として元町・中華街駅が設置された。駅の名称に「中華街」が入り、東京の渋谷駅から東急東横線の電車が直通運転されることで、中華街のアクセス状況や知名度は向上した。 出典:Wikipedia |
最後に横浜と言えば中華街。ひさびさチャイナタウンに行ってみた。下の写真はかなり中華街の中心部から離れた横浜スタジアム側の門。
横浜スタジアム側からの中華街入り口
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25
グーグルアースの3次元立体図でみた横浜公園と横浜スタジアム。
右側のビルの裏が中華街。
出典:グーグルアース
上の門をくぐったときにはまったく分からなかったのだが、有名な加賀町警察がある中華街の中心部に到着したら、本当に驚いた。世の中、かなり不景気のはずだがk、中華街はものすごい人出だ。
下の写真は加賀町警察署の前の中華街の門。
ひさびさとは言っても、私がいる学部(武蔵工大環境情報学部)は横浜にあり、毎年、忘年会は中華街で行っている。しかし、忘年会は夜に大学からバスで乗り付けるため、日中の中華街を見たのは本当に久しぶりだった。
神奈川県警加賀町警察署前から見た中華街入り口
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25
赤、黄と色も鮮やか。横浜の中華街はいつ行っても楽しい。見てもよし、当然、食べてよしだ。ひとりで行く場合のポイントは、小さな店で満員に客が入っている店を選ぶこと。それに必ず店の前に金が示されている店を選ぶことだ。
さらに言えば、メインストリートの店よりは、路地に入ったところにある小さな店ならまず、間違いない。これは中華街の近くに住む友人から伺ったことだが、私の経験でも間違いないところである。
メインストリートから一歩路地に入るといろいろな発券がある中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.27
メインストリートから一歩路地に入るといろいろな発券がある中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.27
今日はひとりだったので、その原則にそって加賀町警察の裏側にある小さな飯店で「五目焼きそば」を頼んだ。650円である。少々待たされたが、おいしかった!
界隈性と活気にあふれる中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25
ひさしぶりに来たのだが、中華街の町並みもかなり変わっていた。下の写真にあるように街路樹がたくさん植えられ、潤いがでてきた。ゆっくり歩きながら一軒、一軒の店を見ると、それぞれが改装で創意工夫している。
下の写真を見ると何となく渋谷のセンター街奥のイメージだ。