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久々の「みなと横浜」歴史散歩
E蘇る中華街
青山貞一
掲載月日:2008年10月27日
無断転載禁



■青山貞一:久々の[みなと横浜] 歴史散歩(目次)
 @開港広場 
 A横浜三塔 
 B「象の鼻」と「赤れんが倉庫」
 C山下公園
 D海岸通りから元町へ
 E蘇る中華街
 Fトワイライト「みなとみらい21」
 Gブルーライト横浜
 Hダークナイト・イン横浜



歴史散歩地域の全景 出典:グーグルアース


■みなとみらい線で蘇る「中華街」

 1時間半ほど散歩したこともあって、お腹が空いてきた。食事と言えば、横浜と言えば中華街だ。

 「開港広場」、「横浜三塔」、「山下公園」から中華街は歩いて10分足らずだ。下の地図で中華街は左上、ローズホテルより上の地域。中華街大通りに主要な店が軒を連ねている。



横浜中華街の概要

 神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)。

 140年の歴史をもつ。以前は横浜南京町あるいは単に南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。

 約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされる。

歴史

 1859年、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁が来住した。その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。

 これが横浜中華街の起源である。この頃の商店は日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかった。

 1894年に日清戦争が勃発すると中国人の多くが帰国してしまうが、戦争が終わり、1899年に条約改正により居留地が廃止されると、中国人は職業制限を受けたものの、居留地外にも住むことを許され、中華街は急速に人口が増えてさらに発展した。

 袁世凱に追われ日本に亡命した孫文もこの地で華僑に匿われながら革命活動を続けている。しかし、1923年に発生した関東大震災で中華街は大打撃を受け、再び多数の中国人が帰国した。その後復興したものの、1937年に日中戦争が勃発すると、貿易の仕事も難しくなり、停滞期に入った。

 戦後の復興期に横浜港は賑わい、香港との往来も復活した。1955年には中華街大通りの入り口に「牌楼門」が建てられ、牌楼(門)の上「中華街」と書かれたことで、それまでは南京町と呼ばれていたこの街が次第に「中華街」と呼ばれるようになった。

 1972年に日中国交回復すると、日本人が多数来場するようになり、観光地として発展していった。牌楼門は1989年に建替えられ「親仁善隣」を掲げる現在の「善隣門」となった。

 2004年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい21線が開業し、終着駅として元町・中華街駅が設置された。駅の名称に「中華街」が入り、東京の渋谷駅から東急東横線の電車が直通運転されることで、中華街のアクセス状況や知名度は向上した。

 出典:Wikipedia


 最後に横浜と言えば中華街。ひさびさチャイナタウンに行ってみた。下の写真はかなり中華街の中心部から離れた横浜スタジアム側の門。


横浜スタジアム側からの中華街入り口
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25


グーグルアースの3次元立体図でみた横浜公園と横浜スタジアム。
右側のビルの裏が中華街。
出典:グーグルアース



 上の門をくぐったときにはまったく分からなかったのだが、有名な加賀町警察がある中華街の中心部に到着したら、本当に驚いた。世の中、かなり不景気のはずだがk、中華街はものすごい人出だ。

 下の写真は加賀町警察署の前の中華街の門。

 ひさびさとは言っても、私がいる学部(武蔵工大環境情報学部)は横浜にあり、毎年、忘年会は中華街で行っている。しかし、忘年会は夜に大学からバスで乗り付けるため、日中の中華街を見たのは本当に久しぶりだった。



神奈川県警加賀町警察署前から見た中華街入り口
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25

 赤、黄と色も鮮やか。横浜の中華街はいつ行っても楽しい。見てもよし、当然、食べてよしだ。ひとりで行く場合のポイントは、小さな店で満員に客が入っている店を選ぶこと。それに必ず店の前に金が示されている店を選ぶことだ。

 さらに言えば、メインストリートの店よりは、路地に入ったところにある小さな店ならまず、間違いない。これは中華街の近くに住む友人から伺ったことだが、私の経験でも間違いないところである。


メインストリートから一歩路地に入るといろいろな発券がある中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.27


メインストリートから一歩路地に入るといろいろな発券がある中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.27

 今日はひとりだったので、その原則にそって加賀町警察の裏側にある小さな飯店で「五目焼きそば」を頼んだ。650円である。少々待たされたが、おいしかった! 


界隈性と活気にあふれる中華街
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.25

 ひさしぶりに来たのだが、中華街の町並みもかなり変わっていた。下の写真にあるように街路樹がたくさん植えられ、潤いがでてきた。ゆっくり歩きながら一軒、一軒の店を見ると、それぞれが改装で創意工夫している。

 下の写真を見ると何となく渋谷のセンター街奥のイメージだ。
 

街路樹で潤いっぱいの中華街
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10 2008.10.25

 おそらく中華街が繁盛している大きな理由は、みなとみらい線という地下鉄ができたことだと思う。みなとみらい線は東急東横線に相互乗り入れしており、渋谷からから30数分で終点の元町・中華街駅まで行ける。


中華街にある寺院
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10 2008.10.27


中華街にある寺院
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10 2008.10.27

 実際街を歩く人を見ていると、以前すくなかった若い女性、学生が多い。中華街の渋谷化が起きているような感じすらした。

 この3月、ひさびさサンフランシスコに出かけたとき、チャイナタウンにでかけたが、どうみても横浜の中華街の方が人通りも多く、町並みもすばらしい!


みなとみらい線から中華街への入り口
撮影:青山貞一 Nikon Disigarl Camera S10 2008.10.27


<追記>

 中華街ではゴミの不法投機問題が後を絶たないようだ。以下は、Wikipedia から。 ただし、以下の記述に対してはいくつか事実を確認する証拠を示すべきとの注意書きがある。

 このような問題は、この春でかけたサンフランシスコの中華街(チャイナタウン)でも類似の問題が起きているようだった。

◆中華街ごみの不法投棄問題  出典 Wikipedia

 横浜中華街を含む横浜市は、1997年より事業者ごみ回収が有料化されている(家庭ごみは無料)。

 しかし、事業ごみの処理費用を浮かそうと家庭ごみとして「ごみの不法投棄」をする店舗が後を絶たない。悪臭だけではなくカラスが寄りつくなどの二次被害が発生し苦情が多いため、横浜中華街発展会協同組合と加賀町署が不法投棄防止夜間監視パトロールを行い、2007年4月から5月には中華料理店10店を取締ったが、罰則が無いためごみの不法投棄をやめない事業者もいる。

 ごみのマナーを訴える中国語のパンフレットを作成したが功を奏しておらず、現在もごみの不法投棄が続いている。

 巡回する署員にごみの不法投棄を見つけられた料理店経営者は次のように言った。「店がもうかっていないから、ごみ処理にかけるお金がなかった」

 ごみ回収業者との契約を指導された事業者の一人は次のように言い拒否した。「ごみ処理に何でお金をかけるのか」

横浜中華街発展会協同組合の林兼正理事長は次のように期待している。「マナー遵守で中華街のブランドイメージが上昇し、もっと魅力的な観光地になってくれれば」。

つづく