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伊能忠敬と日蓮の足跡を
たどる千葉の旅
 

清澄寺2
(千葉県鴨川市)

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
Dec. 12, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁


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清澄寺の歴史

 771年(宝亀2年)不思議法師が訪れて虚空蔵菩薩を祀り、開山する。
 836年(承和3年)円仁(慈覚大師)が訪れて再興し、天台宗となる。
 1096年(嘉保3年)雷による火災で堂宇が焼失し、国守の源親元が
   再建する。
 1157年(嘉禄元年)北条政子が千日講を催し、宝塔・輪蔵が造立
   されたほか大蔵経4000巻余が納経された。
 1233年(天福元年)道善を師として、日蓮が入門する。
 1253年(建長5年)日蓮が立教開宗を宣言する。
 1387年(至徳4年)三宝院の弘賢が清澄寺の別当職に就く。
 1392年(明徳3年)梵鐘を鋳造する。
 1618年(元和4年)智積院の頼勢が徳川秀忠の命により入寺し、
   真言宗に改宗する。
 1717年(享保2年)八事山興正寺・天瑞和尚は、虚空蔵菩薩を
   奉納する。
 1920年(大正9年)真言宗清澄寺30世玉瀧義秀住職が法華山門
   不入を解き、盛大に立教開宗会を催す。
 1949年(昭和24年)真言宗清澄寺31世岩村義運住職が末寺45ヶ
   寺と袂を分かち、真言宗智山派から日蓮宗に改宗する。
   岩村義運は日蓮宗大本山清澄寺1世貫首となるが、すぐに
   下山。以降、貫首は日蓮宗管長が就任し、寺務を司る別当職
   が置かれている。
 1973年(昭和48年)堀日栄別当代に祖師堂建立。


清澄寺の境内・伽藍


出典:大本山清澄寺公式サイト


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11

 以下伽藍の解説の出典は大本山清澄寺公式サイトです。

・清澄寺仁王門

仁王門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11


仁王門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11

 文久3年(1863)に建てられたもので、左右の金剛力士像はお寺のガードマンの役目を持っています。 正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しています。

・清澄寺信育道場

信育道場
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11

 立教開宗750年を迎えるにあたり平成11年に建てられ、宗門行事、団体信徒の修行、参籠、講習会などに使用されています。元々の建物は、昭和27年立教開宗700年を記念し当山特別大本願人日野隆司氏により建設されました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11

・清澄寺観音堂

・清澄寺観音堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-12-11

 そもそも安房の国札三十四ヵ所観音霊場巡礼は、鎌倉時代、後堀河天皇在位の
貞永元年(1232年)、悪疫が流行し、飢饉にも襲われ、世情が百鬼夜行の惨
憺たる有様だったことに心を痛めた時の高僧たちが相図って、安房国内に奉
安する観世音菩薩にご詠歌を奉納し、厨子の帳を開いて巡り、拝んだことに
始まるといわれている。

 当山の観音堂は、明治13年(1880)に再興。十一面観音を祀り、安房国札三十四観音の第十七番札所になっていて、丑年と午年に開帳されます。


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