メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 ハドリアヌスの長城 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ ハドリアヌスの長城 ローマ帝国時代のスコット1 ローマ帝国時代のスコット2 ローマ帝国時代のスコット3 ハドリアヌスの長城のカフェ ◆ハドリアヌスの長城の概要 ハドリアヌスの長城(Hadrian's Wall)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡です。 広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもあります。 2世紀に第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設されました。ハドリアヌスの長城は1987年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにあします。 ハドリアヌスの長城 Source: Wikimedlia Commons 現存するハドリアヌスの長城 Source:Visit Hadrian's Wall | Official visitor information ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させましたが、ケルト人の侵入に悩まされていました。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始されます。 完成には10年の歳月がかかりました。作業者は、ローマ帝国の支配地から動員されました。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つです。 完成当時は、東部のニューカッスル・アポン・タインから西のカーライルまで118kmにも及んでいましだ。 壁の高さは4から5m、厚さ約3m。後の方で建設された部分は約2.5mに狭くなっています。完成当初は土塁で、その後に石垣で補強されたと考えられています。 約1.5kmの間隔で監視所も設置されていました。また、6km間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備されたと推定されています。 この長城は文化的境界ではなく、あくまで軍事上の防衛線として建設されましたが、スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった4世紀後半以後も、17世紀まで使用されていました。このため、イングランドとスコットランドの国境として半ば固定化し、現在のイングランドとスコットランドの境界線にも大きな影響を与えています。 関連ブログ ◆青山貞一:スコットランド独立の背景Aローマ帝国時代 ◆青山貞一・池田こみち:スコットランド+北イングランド現地調査報告 〜ローマ皇帝・ハドリアヌスの長城〜Hadrian's Wall of Roman Empire ◆ハドリアヌスの長城の写真ギャラリー Logo Historic Scotland Source;English Wikimedia 下は現存するハドリアヌスの長城の一部です。 ハドリアヌスの長城 Source:Wikimedia Commons スティール・リッグ近くのマイルキャッスル39 Source:Wikimedia Commons ※マイルキャッスルとは(出典:Wikipedia ) 「マイルキャッスル」とはローマ帝国時代に、およそ1ローママイル(約1.5km)ごとに建てられた小型の四角い要塞のこと。イギリスのハドリアヌスの壁のような主要なローマ時代の要塞にそって造られている。ハドリアヌスの壁については、東の2/3が石で造られており、西側の1/3は木製の柵に芝を詰め込んで造られていたが、後に、木製の部分は石で作り替えられた。大きさはさまざまだが、一般的には内部が約15m×18m(20ヤード)、石壁の厚さは3m(10フィート)、高さは隣接する壁の高さにそろえて、およそ5〜6m(17〜20フィート)だった。全部で80のマイルキャッスルと158の櫓があった。 Source:http://www.english-heritage.org.uk/visit/places/hadrians-wall/history/ ハウステッド要塞のトイレ Source:Wikimedia Commons ハウステッド要塞近くの壁の一部 Source:Wikimedia Commons つづく スコットランド総目次へ |