日本と中国の歴史をひも解くシリーズ 「南京安全区」における 虐殺と強姦の実態(3) 出典:反戦史レポート 2020年12月14日 1937年南京大屠杀安全区及安全区内暴行史 来源: 抗战史记 2020-12-14 翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授) 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月11日 |
(1) (2) (3) 国際委員会のメンバーで金陵大学教授のベデス氏は、1938年1月10日、南京安全区と南京で日本人が行った性暴力を次のように推定している。 金陵大学の敷地内だけでも、職員寮やアメリカ人が住んでいる家を含めて、私は100件以上、300件ほどの詳細を知っている。 その辛さ、恐ろしさは想像を絶する。 11歳の少女や53歳の女性が強姦され、汚された。 以上の数字や証言から、日本軍による性暴力の規模が膨大であり、非人道的であったことは明らかである。 日本兵は女性を強姦する際、力で強要し、抵抗すれば殺していた。 12月20日の午後、江蘇路23号付近の家で、4人の日本兵が3人の女性を強姦し、中にいた男性をピストルで脅して「音を立てるな」と言い、その翌日の午後、さらに2人の日本兵が同じ家で女性を強姦した。 翌日の午後、さらに2人の日本兵がやってきて、同じ場所で女性を強姦し、それを止めようとした傍観者の1人が撃たれた。 南京の赤十字国際委員会のメンバーであるマッカラムは、1937年12月29日の日記に「規律がなくなり、多くの日本兵が酔っ払っている」と書いている。 昼間は、気に入った女性を探して南京安全区(難民センター)の家に入り、夜になると戻ってきて強姦していた。 避けると、担当者はその場で銃剣で撃たれた。 11、12歳の少女や、50歳の女性も惜しくはない。 抵抗は命を奪い、重傷者は病院に運ばれた。 妊娠6カ月の女性が反撃に出て、下腹部を含む顔や体に16カ所の刺し傷を負った。 赤ちゃんを失ったが、自分の命は守った。 ワイテリング氏と中国の同僚 日本の将校やジャンダルムは、事実上、南京安全区の兵士による強姦や残虐行為に参加し、それを容認していた。 南京の赤十字国際委員会の魏紓林(ぎじょりん)のアシスタントをしていた中国人の鄭瑞芳(ていずいほう)さんの日記には、「昨夜(12月19日)は正面にジャンダルムが寝ていて、それでも夜中に兵士が入ってきて、500号室の居間で多くの人を強姦した」と書かいていた。 今日、日中に2人の兵士が500号室に来て、1人は部屋のドアの前に立ち、1人は中で他の人に外に出るように言い、若い女性が強姦されるのを放置した。 今日(12月20日)は、さらに多くの難民がやってきて、200号の3階が満杯になった。 ここには憲兵隊の保護があると思っているのだが、実際にはやはり憲兵隊が少女を中庭に引きずり込み、人間としてではなく動物として、場所を問わず強姦した。 今日の昼、兵士たちが二人の女の子を引きずって来て、彼女たちの物を奪っていった。 たまたま将校が訪ねて来て、華(ヴァイタリンの意、中国語では「華さん」と呼ばれている)が兵士のしたことを見てみろと言ったので、彼は恥ずかしい思いをしたが、実際にはそんなことはどうでもよくて、中国人は自分の敵であり、華にはそれが理解できなかった。 金陵女子学院の警備に当たり、将校が兵士を率いてトラックに乗り、女性の集団をさらって強姦するという残虐行為を目撃した元日本第16師団第33歩兵団の井上市雄は、「南京陥落後、私は金陵女子学院の警備に入った。 ガードマンは10人で、1週間の引き継ぎ制度があった。 女子大は、女性のための特別なシェルターでしあった。 日本軍の将校が来て、『しばらく入っていてくれ』と言われたものだ。 そして、建物の中に入り、彼女たちを連れ去っていった。 警官もそうではなく、女の子を連れ去って強姦していた。 士官は、中尉以下の戦隊長クラスが多かった。 私たちは警察ですが、警察官は上司なので、彼女たちが誘拐されるのを止めることはできなかった。 キャンパスに出入りしていたのは、第33師団(第16師団のこと、筆者注)だけでなく、第9師団のものや第16師団の第30旅団もあった。 トラックでやってきた。 日中はあまり来なくて、1日に2〜3人くらい。 一度に4、5人が来て、その中には警官もいて、3人は銃を持っていた。 また、1日に5~6人来たこともあり、1人は20人くらいの女の子を連れていった 嫌がって泣く子もいたが、トラックの荷台に乗せられ、上から茅をかぶせられた途端、素直になったという。 送り返された少女たちは、とても少ない。 「日本軍は残忍で開放的であった」ということがよくわかる。 強姦や輪姦だけでなく、中国人女性を殺して、ほとんどの中国人女性が帰ってこないようにした。 日本軍は、難民地域の外国人住宅の女性たちも惜しまなかった。 12月20日、数人の日本兵が駐在員のダニエル博士の家に押し入り、2人の女性を2階から1階に引きずり込み、3時間にわたって集団強姦した。 日中であっても、南京安全区では日本兵による女性への強姦事件が後を絶たなかった。 12月20日の午後、3人の日本軍将校が漢口路小学校の難民保護施設の事務所に侵入し、職員を強制的に退去させ、2人の女性を公然と強姦した。 . 12月22日、2人の日本兵が金陵大学の養蚕科に侵入し、13歳の少女を強姦した。12月23日、漢口路小学校の避難所で3人の日本兵が2人の少女を強姦し、そのうちの1人はまだ13歳だった。12月25日、聖書教師養成学校で2人の少女が3人の日本兵に強姦され、そのうちの1人は 12歳だった。 12月13日、聖書教師養成学校の近くのわらぶき小屋に住んでいた女性が、日本人に連れられて市内のある場所に行き、1日に7~10回、性病になるまで強姦された。 年配の方は一晩に10~20回、若くて美人の女性は一晩に40回も輪姦されていた。 ラーベをはじめとする国際救援委員会のメンバー Photo Original Source: Mr.John Magee, USA 南京安全区国际委员会和国际红十字会南京委员会 写真出典:百度百科 1938年1月に入っても、南京安全区では日本人による強姦事件が大量に発生していた。 中国人女性に対する性暴力も、南京大虐殺に次ぐ残虐行為となった。 南京安全区は日本の残虐行為を止めることはできなかったが、国際的な友人たちが中国の難民に与えた大きな助けには変わりはない。 そして、彼らは皆、報告書や記録を残しており、日本軍の犯罪を暴くための貴重な生の情報を提供してくれた。 また、南京大虐殺という日本の残虐行為を示す今日の最も重要な証拠でもある。 しかし、南京安全区にいた中国の難民があれほど悲惨だったのなら、南京安全区の外にいる中国の同胞の悲惨さも想像に難くない。 特記事項:上記コンテンツ(画像や動画がある場合はそれも含む)は、情報蓄積サービスのみを提供するセルフパブリッシング・プラットフォーム「NetEase」のユーザーによってアップロード・公開されたものです。 お知らせ:上記のコンテンツ(写真や動画がある場合はそれも含む)は、ソーシャルメディアのプラットフォームであるNetEase Haoのユーザーがアップロードして投稿したものです。は、情報の保存サービスのみを提供しています。 |