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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


ヘルクラネウム(エルコラーノ)遺跡と
Ruins of Herculaneum


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

ヘルクラネウム遺跡と池田こみち
 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

ヘルクラネウムとは 1  ヘルクラネウムとは 2  ヘルクラネウムとは 3
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◆ヘラクラネウム(エルコラーノ)遺跡の歴史

 ナポリからほど近いレッジーナの街の端、ナポリ湾を臨むところにイタリアでも最も重要かつ愛される考古学的遺跡のひとつ、古代の都市ヘルクラネウム(Herculaneum:イタリア語ではエルコラーノ)があります。イタリア語、スペイン語などでは冒頭のHを発音しないので、ヘルクラネウムとなりますが、イタリア語ではヘルクラネウムです。

 そのヘルクラネウム(ラテン語:Herculāneum)は古代ローマの町で、その遺跡はイタリアのカンパーニャ州ナポリ県エルコラーノというコムーネ(自治体)内に位置します。現在、遺跡の一部が公開され重要な観光資源となっています。 ヘルクラネウムは、ポンペイ、スタビアエ、オプロンティスと共に西暦79年8月24日に始まったヴェスヴィオ火山の噴火により失われたことで有名です。

 ヘルクラネウム遺跡からヴェスヴィオを望む


青山貞一がグーグルアースで作成

 以下の写真はナポリ湾、エルコラーノ(ヘラクラネウム遺跡)、ヴェスヴィオ山をグーグルあー図を使いモンタージュ写真化したもの。エルコラーノ(ヘラクラネウム遺跡)は現在の地表より10~20m低くなっているため、モンタージュ写真では地下に埋没してよく見えません。また2000年前は、海岸線がエルコラーノ(ヘラクラネウム遺跡)の南端までありました。

青山貞一がグーグルアースで作成

 ヘルクラネウムの町は噴火により高温の火砕物で埋まり、冷えて火山性の凝灰岩となりました。1981年に海辺にあったボートハウスから人骨が発見されて以来、300体以上の人骨が発見され考古学者らにも注目を浴びました。ヴェスヴィオ噴火当時、ヘルクラネウムはポンペイに比較し小さな町でしたが、より豊かな人々が住んでいました。


 神話の伝説(Dionigi d'Alicarnassoの伝えるところ)によれば、このヘルクラネウムの街は、誰でもないあのヘラクレスがイベリア(スペイン)からの帰りに発見したとされています。イベリアでヘラクレスは恐ろしい怪物ゲリオンの群れを捕まえるために十回もの激しい戦いに苦しめられました。そのため、この街は、ローマ人によってヘルクラネウムと呼ばれ、ギリシャ人によってヘラクレイオンと呼ばれることになりました。

 注)ヘラクレス (古希: Ηρακλής, Hēraklēs) とは
  ヘラクレス (古希: Ηρακλής, Hēraklēs) は、ギリシア神話
  の大英雄。ギリシア神話に登場する多くの半神半人の英雄の
  中でも最大の存在である。のちにオリュンポスの神に連なった
  とされる。ペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引
  く。12の功業を行う際、ティーリュンスに居住するようになった彼
  をデルポイの巫女が 「ヘラの栄光」を意味するヘラクレスと呼ん
  でからそう名乗るようになった。キュノサルゲス等、古代ギリシア
  各地で神として祀られ、古代ローマに於いても盛んに信仰された。
  その象徴は弓矢、棍棒、鎌、獅子の毛皮である。ローマ神話(ラ
  テン語)名は Hercules (ヘルクレース)で、星座名のヘルクレス
  座はここから来ている。
  英語名はギリシア神話ではHeracles(ヘラクリーズ)、ローマ神話
  ではHercules(ハーュリズ)。イタリア語名はギリシア神話では
  Eracle(エーラクレ)、ローマ神話では Ercole(エールコレ)。フラン
  ス語名はギリシア神話では Héraclès (エラクレス)、ローマ神話で
  は Hercule (エルキュール)という。なお、欧米ではローマ神話名
  の方が一般的に用いられている。Wikipedia

  
  ヘラクレス像
  Source:Wikimedia Commons
  遠藤 昂志 - CC 表示-継承 4.0, リンクによる


最も可能性が高いの死後の肖像画クレオパトラVIIのプトレマイオス朝エジプトと赤い髪王室身に着けていると彼女の明確な顔の特徴、王冠ローマエルコラーノ、半ば紀元1世紀からと真珠がちりばめられたヘアピン
Source:Wikimedia Commons
Public Domain, Link

 ハリカルナッソスのディオニュシオス(Dionigi d'Alicarnasso)は、古代の帝政ローマ初期の歴史家、修辞学の教師であり、小アジアのハリカルナッソス(現 ボドルム)に生まれ、オクタウィアヌスがマルクス・アントニウスを下し、帝政を開始した頃にローマに移住、ギリシア語と修辞学を教えつつ、自らもラテン語を学びローマの歴史の著述を始めています。

 没年はわかっていませんが、紀元前7年以降と考えられています。神話時代から第一次ポエニ戦争を扱った全20巻の『ローマ古代誌』はその代表作です。1巻から9巻までは完全に、10巻と11巻は一部欠けていますがほぼ残っています。しかし残りの8巻は散逸し、他の著作の引用として伝わるだけです。


 注)第一次ポエニ戦争(羅: Primum Bellum Punicum,
   紀元前264年 - 紀元前241年)
   第一次ポエニ戦争はカルタゴと共和政ローマの間で戦わ
   れた三度にわたるポエニ戦争の初めのものである。この
   戦争で二つの勢力は、地中海のシチリアとその周辺海域
   の覇権をめぐって、23年間にわたって争った。


 歴史的に、ヘルクラネウムは上述のように、ギリシャにその起源がありますが、その痕跡は、最も古い古代の町の壁、数メートル以外はごく僅かしか残っていません。それ以外の町のレイアウトである;カルディン(cardines)とデクマニ(decumani)(つまり、南北に走る幹線道路は、海岸線と並行で、一方東西に走る道路は海岸に直角で非常に急勾配となっている)のように、非常に一般的な様式で、きちんとした角度で造られていて、すぐにギリシャのネアポリス(Neapolis:ギリシア語の「ネアポリス」=新しいまち)が頭に浮かびます。


ヘルクラネウムとは 2へつづく