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ギリシャ旅行記

サロニコス湾の島々

アテネ市街


鷹取 敦

掲載月日:2013年12月28日
 独立系メディア E−wave
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内容目次
1 古代ギリシャと現在のギリシャ    4 メテオラ
2 アクロポリスの丘    5 サロニコス湾の島々・アテネ市街
3 オシオス・ルカス修道院、デルフィの遺跡   


この日に写真を撮った場所(Sony DSC-HX50VのGPSデータより Picasaで表示)

■サロニコス湾

 ギリシャは地中海の東端に位置する海に囲まれた国です。ギリシャの西側に面しているのがイオニア海、東側に面しているのがエーゲ海です。エーゲ海は西と北をギリシャ本土、南をクレタ島(ギリシャ)、東をトルコに囲まれています。

 ギリシャの領土はエーゲ海にある多くの島嶼を含みます。トルコの直近にある島までがギリシャの領土となっています。当時弱体化していたオスマン帝国がイタリアに敗北したことを契機として、領土問題で対立していたギリシャ、ブルガリア、セルビアが手を組み、オスマン帝国と戦争したのが第一次バルカン戦争です。第一次バルカン戦争でギリシャは、現在アテネに次ぐ第二の都市となっているテッサロニキを得ました。マケドニアの分割の仕方に関連して、ブルガリアがギリシャ軍とセルビア軍を攻撃して第二次バルカン戦争が始まり、勝利したギリシャは1913年のブカレスト条約でマケドニア、イピロス南部、クレタ島、そしてエーゲ海の島々を自国領としたことにより、エーゲ海のほとんどの島がギリシャ領となったのです。2つのバルカン戦争を通じてギリシャの国土は2倍、人口は280万人から480万人に増加しました。

 ギリシャの首都アテネが面しているのがサロニコス湾です。サロニコス湾はアテネのあるギリシャ本土の反対側にあるのがペロポネソス半島です。

 ちなみにギリシャがギリシャ王国として1830年に独立した直後の首都はアテネではなく、ペロポネソス半島のナフプリオンでした。独立4年後1834年に、人口わずか12,000人の地方都市アテネに首都が移されたのは、アテネが古代ギリシャの象徴だったからです。古代ギリシャを崇拝する国王オトン(バイエルン国王ルートヴィヒ1世の次男)が、オスマン帝国時代のイスラーム的な街やモスク、そしてビザンツ教会を取り壊して、新しく古代ギリシャ世界とつながりのある首都として作り替えたそうです。

資料:「物語 近現代 ギリシャの歴史 独立戦争からユーロ危機まで」、村田奈々子著

 ツアーの最終日はサロニコス湾にあるそれぞれ違った特徴のある3つの島、イドラ島、ポロス島、エギナ島を訪れました。


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サロニコス湾(Google Maps)


クルーズ船(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


港のネコ(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


港の光景(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 乗船時には民族衣装で迎えてくれます。ただし民族衣装の女性は船には乗らず、港でお見送りでした。


乗船の様子(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


港からの光景(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 イドラ島は3島のうちアテナから一番離れた島です。途中でエギナ島の東側を通過しました。いつもより島に近い位置を航行していたそうです。島の頂上付近にアフェア神殿が小さく見えます。


エギナ島の東側を航行中(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


エギナ島のアフェア神殿(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 ペロポネソス半島の直近を通過した際に半島の沢山の風力発電の風車が見えました。


ペロポネソス半島の風力発電(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■イドラ島

 古代にはここの泉があり、イドラという名前は「水」からきています。現在は飲料水は本土から運ばれているそうです。漁船が多く停泊している港町です。


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イドラ島の港の位置(Google Maps)


イドラ島の港(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


イドラ島の港街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


イドラ島の港街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


イドラ島の港街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


船上からみるイドラ島の港街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 船が桟橋に近づくとネコが集まってきました。船から下りたガイドさんからエサをもらうのを待っていたようです。


停泊する船に集まるネコ(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 この島はバイク、自動車の乗り入れが禁止されており、島内にはゴミ収集の自動車が1台あるだけです。そのかわり荷物を運ぶ馬やロバを多く見かけます。山の斜面に白い家屋が並ぶ、エーゲ海らしい景観です。


イドラ島の港街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


イドラ島の港の鷹取敦(撮影 鷹取美加 CASIO EXILIM)


イドラ島の街並(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


荷役用の馬(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


港に繋がれた荷役用の馬(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■ポロス島

 ポロス島はペロポネソス半島に狭い海峡を挟んで面しています。「ポロス」とは海峡という意味です。ポロス島には見晴らしのいい丘の上に時計台があり徒歩で登ることができます。

 写真の左端に小さく時計台が移っています。


海上からみるポロス島(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


海上からみるペロポネソス半島(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


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ポロス島の港の位置(Google Maps)


時計台(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


時計台への案内(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


時計台への道(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 残念ながら時計台には多くの落書きがありましたが、この場所からみる景観は絶景でした。


時計台(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 海峡の向こうに見えるのが、ペロポネソス半島のガラタ市街です。


時計台からみる海峡とペロポネソス半島(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


時計台(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


港町のレストラン街?(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■エギナ島

 エギナ島はピスタチオの産地として有名です。

 ここにはギリシャにある神殿の中で最も保存状態のよいことで知られているアフェア神殿があります。小さな魚市場のある港からバスでアフェア神殿まで移動しました。


エギナ島の港(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■アフェア神殿

 エギナ島にあるアフェア神殿は紀元前490年頃、パルテノン神殿の40〜50年前のもので女神アフェアが祀られています。スニオン岬のポセイドン神殿とパルテノン神殿とアフェア神殿を結ぶと正三角形となっており、標高も同じなのだそうです。


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アフェア神殿(Google Maps)

 アフェア神殿はパルテノン神殿のような大理石ではなく、石灰岩で建てられているのが特徴です。外側の柱は上までありますが、内側は2階建てとなっているのが分かります。

 神殿からの出土品はエギナ島の博物館に展示されています。


アフェア神殿・北東側(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アフェア神殿・南西側(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アフェア神殿・北側(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アフェア神殿からみるエーゲ海(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■聖ネクタリウ修道院

 聖ネクタリウ修道院は比較的新しいものです。歩けなかった少年の足に触って治癒を施したというギリシャ正教最後の聖人聖ネクタリウ(19世紀半ばから20世紀)を祀っており、聖ネクタリウの柩が安置されています。1980年代に建築が始まり未だに建築工事中です。修道院は見学することが出来ます。


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聖ネクタリウ修道院(Google Maps)


聖ネクタリウ修道院(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


聖ネクタリウ修道院正面(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


聖ネクタリウ修道院入り口(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


建築中の聖ネクタリウ修道院内部(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 金属でできた聖ネクタリウの柩に耳を当て、鼓動のような音が聞こえると御利益があると言われているそうです。試してみましたが、何も聞こえませんでした。


聖ネクタリウの柩(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

■アテネ市内

 空港に向かう日の朝のアテネ市街です。


アテネ市街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ市街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ市街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ市街(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ考古学博物館(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ中央公園(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)


アテネ市街・朝食用のパンの販売(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V)

 古代ギリシャ文明が広がっていた地域は、現在のギリシャ共和国内だけでなく、地中海東側の地域、小アジアに広がっていました。西欧、そして現在の世界の文明のルートの1つでもあるギリシャ、そして若くて激動の近現代史を持つ今のギリシャを満喫するには短いツアーでした。古代ギリシャ、そして近現代のギリシャの歴史の教訓から遠く離れた日本も学ぶべき事が多いと感じました。また機会があれば是非訪れてみたいと思います。