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2012年4月14日(土)の18時30分から、文京区民センターにて「許すな!憲法改悪・市民連絡会」主催の市民講座で「震災がれき処理を考える視点」と題した学習会で、「がれき」の広域処理問題についてお話する機会を得た。 当日は雨の中であったが会議室の定員を超える方にご参加いただいた。ふだんの講座の倍以上の方が参加されたとうかがい、この問題に対する関心の高さを実感した。 参加した方には一般の方に加えて自治体議員も多く、都内の区議、市議だけでなく、千葉県内から市議も参加され、都内で広域処理引き受けを表明している多摩市の阿部市長も参加された。 学習会では約1時間、広域処理問題の必要性、妥当性、正当性のそれぞれの側面からの問題点を整理して話をした。特に必要性・正当性の問題は知られてない点が多い。 そこで、必要性の問題については広域処理をしないと20年かかると思っている人も少なくないことから(今日の参加者にもそう思い込んでいる方がいらっしゃった)、現地の状況や、環境省の公開しているデータ等を踏まえて、環境省が全面広告等で誇張している印象とはかなり異なった状況であること、環境省の特設サイト等には具体的なデータに乏しいことなどを指摘した。 正当性については、非公開で当事者の参加もなく開催され、開示請求をする度に議事録作成をやめ、会議の録音をやめていった環境省のがれき検討会の異常さ、細野大臣の虚偽答弁等に代表される合意形成のおかしさと、それが現在の混乱と亀裂を生んでいることについて説明した。 妥当性については、国が「問題ない」と強調する放射性物質による汚染の課題について被災地処理、広域処理共通の問題(首都圏のごみ焼却問題にも共通する問題)として国のデータ等を示して指摘し、放射性物質以外の汚染物質についての国の検討会が全く議論していないこと、データも示されていないこと等を含めて指摘した。 単なる放射性物質の問題に矮小化し、透明性も参加もなく、広域処理の結論ありきで、議事録作成の費用は惜しみ、広報には惜しみなく税金を投入する国(環境省)のあり方と、なんでも燃やして埋めてしまおうという震災以前からの焼却主義に広域処理問題の本質はあるのであって、民主主義が問われている問題なのである。 当日の資料としてはレジメの他、E-wave Tokyoの「特設スレッド:がれき広域処理」や、東京新聞の記事等を配布していただいたが、これらを読まれている方、Youtubeに掲載された青山、池田の講演をご覧になっている参加者もいらっしゃった。 ■特設スレッド:がれき広域処理質疑では、先日環境省が行った1週間のパブリックコメント(詳細は下記に記載)について、広域処理と関係ありそうだがよく分からないので説明して欲しいという質問が出た。このパブリックコメントも、正当性の観点から非常に問題が大きく、環境省の現在の体質を象徴したものである。 ■環境省の異様なパブリックコメント〜警戒区域等解除地域の廃棄物処理の課題〜環境省、メディアのキャンペーンが功を奏しているのか、ほかの問題については何でも話し合える仲間とも、広域処理問題については率直な議論が出来ない、という声もあった。 他には、本来市町村の自治事務である一般廃棄物を広域処理できるというはおかしいのではないか、外部被ばくで1mSv、食べ物で1mSv(4月からの新基準)、廃棄物の基準で8000Bq/kgで1mSvと、それぞれ1mSvなのはおかしいのではないか、自治体はごみが減っていて焼却能力があまってるので、広域処理を喜んで受け入れているのでは、がれきの汚染のうち放射性物質については東電の負担で処理すべきではないか、(横須賀市からの参加者の方から)神奈川県知事が芦名の処分場で受け入れると言っているが処分場建設当時の約束を守らないのはおかしいのではないか、広報に9億円+15億円かけるのはおかしい、などの意見や質問が出た。 終了後に参加された方々とお話をしたが、その中に「首長なんですが」といらっしゃった方がいた。名刺をみると多摩市の阿部市長であった。多摩市は広域処理受け入れを決めたそうである。住民と直接対峙する立場である市長としては、受け入れは苦渋の決断だったようである。石原都知事が受け入れを表明したため、基礎自治体としては、市は都の下部団体ではないと知事に苦言を呈しながらも、受け入れざるを得ないとの判断のようである。環境省や都のやることが合意形成としては雑過ぎるという点において意見が一致した。住民と対峙しなければならない立場として忙しくてなかなか時間が取れない中、今回の学習会に参加されたそうである。 先の質疑で、ごみ処理能力が余っているから基礎自治体は喜んで受け入れているのでは、という質問に対して、ごみ処理施設の立地・運営について最前線で基礎自治体は苦労してきているのだから単純に喜べるものではないと思う、と答えたが、まさにそのとおりだった。都知事が受け入れたから市が受け入れざるを得ない、との判断には疑問があるが、基礎自治体が環境省の乱暴な進め方と都知事のパフォーマンスに翻弄されている状況は想像したとおりであった。 広域処理への賛成、反対の立場を超えて、必要性・妥当性・正当性の側面から、客観的な事実に基づいて、透明性と参加のある議論をしてこそ、本当の「絆」となるのではないだろうか。 |