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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

滝平白山神社・能舞台

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次 

 草苅神社・能楽舞台1  草苅神社・能楽舞台2  度津神社
 大崎白山神社・能舞台1  大崎白山神社・能舞台2  小泊白山神社・能舞台
 椿尾気比神社・能舞台  滝平白山神社・能舞台 


 以下は何度も近くを回りながらながらなかなかたどり着けなかった滝平白山神社・能舞台だが、地域住民(神社近くの農家の奥さん)場所を教えていた、この地に嫁いだ女性)に伺うことで何とかたどり着いた寺院とその能舞台である。


出典:グーグルマップ 


出典:グーグルマップ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は滝平白山神社とその能舞台の写真である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 池田が話している相手の女性は、私たちが30分ほど迷っていたところ、最後に私たちを案内してくれた方である。

 滝平白山神社への参道は、下を通る県道81号線の「白山神社前」というバス停から続いているのだが、今は誰もそこを通る人はいないのか、参道は苔むして夏草が生い茂り通行不能となっている。かりにその参道を歩いて神社まで昇ってくれば、写真の鳥居をくぐるとすぐ左手に能舞台が設けられていて、観客席となる小さな広場があり、神社のお社はその先の、さらに古びた石段の上の奥まったところにあることがわかる。まさに中山間地の斜面の隙間にやっと造られた神社であり、能舞台なのだ。

 私たちがさんざん迷ったあげく、道ばたで農家の奥さんに教えてもらってようやく白山神社にたどり着くと、その奥さんは歩いて私たちのあとを心配そうにやってきて様子を見守って下さった。聞けば、この能舞台は彼女がこの地に嫁いでから50年この方、一度も能が演じられたことはなく見たことがないとのことだった。しかし、夫の舅・姑は能を楽しんでいたとの話を聞いているという。彼女は能は見たことがないが、白山神社の氏子なので、いつも草取りをしたり境内の手入れをしているという。私たちが東京から訪ねてきたというと、遠くからこんな山奥の神社や能舞台を見に来てくれてとても嬉しいと話し、小雨が降る中、見学を終えてそこを去る私たちを見送ってくれた。

 この女性は私たちが神社を去るときも見送ってくれた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆滝平白山神社能舞台

 羽茂大崎と川茂に挟まれている滝平地区。県道81号線に白山神社の標柱があります。県道から神社は確認できず、100メートルほど登ると滝平白山神社の能舞台にたどり着けます。本殿は能舞台よりさらに高い場所に建てられています。

 舞台は本舞台と後座からなり、橋掛かりが社務所と繋がっています。こちらの能舞台の建築年数は不明ですが、どの舞台よりも長い年月を感じさせる舞台です。

 滝平地区にはもう一つ、能舞台が存在しました。平成18年に相川の春日神社に移設したことで知られている、滝平諏訪神社の能舞台です。

 小さな集落にかつては二つも能舞台があったことから、滝平地区も大崎地区同様、能文化が盛んだったことがわかります。

 住所 〒952-0501 新潟県佐渡市羽茂滝平152

出展:佐渡が誇る能舞台   南佐渡地区商工会Webサイト


 能舞台が建てられてから150年ほど経つ今もなおこうして守られているのは、神社の氏子をはじめ、地域の方々や島内外の方々のご協力があるからです。観て触れて佐渡の能の歴史と文化を感じてみてはいかがでしょうか。南佐渡にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。


◆共通論考 佐渡が誇る能舞台   
−古くから能と深い繋がりのある羽茂地区−

 佐渡南部に位置する「羽茂」。ここでは、古くから「能」が盛んに行われてきました。 現在佐渡には、30以上の能舞台があると言われておりますが、そのうち6つの能舞台が羽茂に残されています。そのほとんどは、神社の境内に存在しています。

能の歴史
「能」=「世阿弥」というイメージを持たれる方が多いと思います。しかし実際は、江戸時代に初代佐渡奉行であり能楽師でもあった大久保長安が、奈良から2人の能楽師を連れてきたことが、佐渡で「能」を広めるきっかけになったとされています。

 また、羽茂で能を盛んにした先駆者と言われる人は、大崎地区の葛原五兵衛さん、村山地区の岡崎長右衛門さん、西三川地区の金子柳太郎さんだと言われており、この方々を筆頭に羽茂全体、更には小佐渡西地域に「能」が広がっていきました。

 佐渡の能は、神社に奉納する「神事能」とされていましたが、独自の進化を遂げ「庶民の能」として親しまれるようになりました。能月間で知られる6月は、農家の方々が田植えを終え、五穀農穣を願って鎮守様への奉納能として行われています。この時期は、佐渡のいろんな箇所で観能することが出来ます。

出典:南佐渡地区商工会Webサイト


つづく