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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

日蓮堂・日蓮洞窟

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
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  日蓮聖人波題目碑    蓮堂・日蓮洞窟


 次は道路を挟んで反対側にある日蓮同・日蓮洞窟です。


出典:グーグルマップ


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 続いて、旅立つ日蓮聖人を新潟県柏崎市のあたりまで船で送り届けたという旧家「船元家」が建てたお堂「日蓮堂」へ。

 少し山に入った所にひっそり佇む小さなお堂は、草に覆われているうえ、とても古びています。やや荒れた印象がありますが、お堂の中には大事そうに手入れされたお曼荼羅が掲げられていました。

 本行寺の武藤上人によれば、ここは地元の有志の方々が手入れをしてくれているのだそう。年に二度は、その地元の方々が日蓮堂に集まり、お題目を唱えるということですが、なんと、集まる方々の大多数は日蓮宗以外の宗派とのこと。

 過去に村に立ち寄り様々な逸話を残したひとりの人間・日蓮聖人を偲ぶ思いと、宗派は関係がないのかもしれませんね。考えてみれば、とても人間らしく、自然な話です。

出典:日蓮宗 寺めぐり


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

佐渡市真浦・日蓮洞

  県道から日蓮堂に向かう途中、右側の小さな小道に入り奥へ進むと海蝕洞窟があります。佐渡市の案内板「日蓮洞窟の由来」には次のように書かれています。

 「文永十一年三月十三日、河原田一谷を出発して真野渋手より梨の木道を経て大木戸越えよりこの坂道を下り、その日遅くに真浦に着き給う。されど、宿るべき家も尋ねあたらず、この洞窟に夜露をしのぎ、翌十四日舟本家に迎えられ一泊、翌十五日、この浦より船出せしと・・・ そのみぎり、立子家の老婆が粥一杯持成したり」と伝えられている。

 なお、この洞窟は、明治30年の洪水でその大半が埋まり、近年その一部を掘り出したものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 今回は時間の関係もあり、日蓮洞窟をみつけることはできなかった。

日蓮洞窟

 県道から日蓮堂に向かう途中、右側の小さな小道に入り奥へ進むと海蝕洞窟があります。佐渡市の案内板「日蓮洞窟の由来」には次のように書かれています。

 「文永十一年三月十三日、河原田一谷を出発して真野渋手より梨の木道を経て大木戸越えよりこの坂道を下り、その日遅くに真浦に着き給う。されど、宿るべき家も尋ねあたらず、この洞窟に夜露をしのぎ、翌十四日舟本家に迎えられ一泊、翌十五日、この浦より船出せしと・・・ そのみぎり、立子家の老婆が粥一杯持成したり」と伝えられている。

 なお、この洞窟は、明治30年の洪水でその大半が埋まり、近年その一部を掘り出したものです。


つづく