上州みなかみ町、自然と歴史短訪 たくみの里(旧須川宿)3 Takumino-sato in Minakami. Town 青山貞一・池田こみち 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年7月26日 |
みなかみエコパーク、たくみの里 たくみの里1 たくみの里2 たくみの里3 以下は須川宿資料館。 ここには旧三国街道須川宿の歴史を紹介されており、脇本陣跡の資料館には、本陣時代に使われていた古文書や文具など約1,000点におよぶ貴重な品々が展示されているという。残念ながら、この後、北軽井沢の保養所に帰るため、次回に。 出典:https://snow-country.jp/?a=contents&id=509 須川宿資料館について 三国街道を通る参勤交代の本陣跡にあり、当時往来した大名の古文書や文具など、約1000点に及ぶ貴重な資料が展示されている。 営業期間 公開:9:00~17:00 休業:火 年末年始 所在地 〒379-1418 群馬県利根郡みなかみ町須川755-1 MAP 0278-64-1032 なお、最後になったが、以下に須川宿の概要を示す・ ◆須川宿(みなかみ町)概要: 出典:https://www.guntabi.com/kaidou/mikuni/sugawa.html 須川宿(みなかみ町)は三国街道の街道筋に整備された町で、相俣宿と今宿との間に位置していた。須川宿の集落的な発生は判らないが、鎮守である熊野神社が平安時代後期に源頼義(河内源氏2代目棟梁)によって創建されたとの伝承が残されている事から、これが事実とすれば比較的早くから成立していたと思われる。 享保3年(1686)には49軒、明治10年(1877)には129軒の家屋があったとされ、本陣(梅沢家)と脇本陣がそれぞれ1軒づつ設置された。旅籠の数は不明だが天保13年(1842)の村松藩(藩庁:村松城・新潟県五泉市)が参勤交代で利用した際は18軒に分宿している事からもそれ以上の旅籠が存在していたと思われる。 特に須川宿本陣である梅沢家は長岡藩(藩庁:長岡城・新潟県長岡市)の藩主牧野家が参勤交代で須川宿を利用する際には宿泊や休息で利用した為、看板や書状などの資料や、周辺の宿場や村々に発した「目安箱雑用残金送付に付請取方廻状」、「岩鼻県大急廻状御用」、「国絵図改正に付一村限り絵図面提出方の催促状」などが残されている。 享和3年(1803)に行われた伊能忠敬の第4次測量で三国街道を利用した11月14日(旧暦10月1日)には須川宿で昼食を採って塚原宿の名主権左衛門宅で宿泊している。 一方、須川宿の近場にある赤谷川沿いには湯宿と呼ばれる温泉場があった為、一般の旅人はそこの温泉宿を利用する事例も多く、宿泊客を呼び込む苦労もあったそうだ。明治7年(1874)に切ヶ久保新道が開削されると新道が幹線道となり、そこから外れた須川宿は次第に衰退していく。 現在の須川宿は"匠の里"として町並み整備が進み、水路などが復元(元は街道中心に流れていたそうだ。)され、平成12年(2000)には歴史国道に指定されている。 又、脇本陣跡の敷地に建てられた須川宿資料館には須川宿本陣の門(安永8年:1779年建築、切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門形式)だった建物が移築され、資料館内部には本陣の上段の間が復元されている。郊外には名刹である泰寧寺が境内を構えている。 帰途、以下の看板を見つけた。最下段に初越のこみちと、あったので、行ってみる。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日] 初越のこみちは、以下のように、まさに多種多様な草花があるこみち(径)であるが、今回は時間の関係で看板を見るにとどめた。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日 ここには、以下の麦わらでできたお馬さんがあったが、別途調べたら豚など、いろいろあるようだ。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日 よくできていて、乗ってみたくなる。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日 道の駅 たくみの里 出典:グーグルマップストリートビュー 道の駅 たくみの里 出典:グーグルマップストリートビュー 道の駅 たくみの里 出典:グーグルマップストリートビュー このあと、同じ群馬県の西はずれにある北軽井沢の保養所まで車を飛ばした。 下は北軽井沢の保養所。今日は大変有意義な一日だった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日 泰寧寺へつづく おすすめ ◆上州みなかみ町 自然と歴史短訪 一ノ倉沢 ◆上州みなかみ町 自然と歴史短訪 泰寧寺 |