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富士五湖、自然と文化・歴史短訪

放光寺5 文化財
Houkouji, Yamanashi pref.

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年9月
 

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放光寺文化財  出典:放光寺

紙本墨書大般若経 589巻



 本経典は遠州山名郡(現静岡県磐田市)鎌田山医王寺の旧蔵であったが、「放光寺因由書」によると「右大般若経遠州山名郡鎌田山医王寺庫本に候処、天文年中武田信玄公遠州乱入之砌、鎌田山致焼亡、右般若経之儀者其節故有之天文年中より当寺什物二相成候由申伝候」とあることから、天文年間武田氏によって伝えられたと考えられる。

 従ってこの経典を放光寺にもたらしたのが信虎・信玄のいずれかであろうと思うが、これを遠州と最も縁故の深い安田義定の開基寺に寄進したことは事実であろう。大般若経は建武5年(1338)にはじまり、暦応4年(1341)に中止になり、さらに嘉慶元年(1387)に再開、嘉慶2年(1388)に結願となった。文明15年(1483)に修補している。経典は現在11巻が掛けて589巻が保存されている。


放光寺遺跡出土品一括



 平成六年八月実施の同遺跡の発掘調査によって出土した、常滑大甕一点、天目茶碗一点、および刀子一点である。遺跡は中世の墓跡で、埋葬主体である大甕は13世紀後半、茶碗は15世紀第2四半期という年代が与えられる。二つの遺物の年代幅が大きいが,茶碗は副葬品であるため、遺跡の時代は15世紀後半であろう。

  大甕は口径43センチ、器高68.8センチ、底径19センチを測る。外面には割口に沿って布を貼った痕跡が確認でき、また、断面にもニカワらしい接着剤が残っている。肩部から頸部の中間に「扇」を模った刻印が7ヶ所見られる。

  茶碗は口径12センチ、器高6.5センチ、底径6.5センチを測る。内面全体および外面上部三分の二ほど鉄釉が厚くかかる。高台の削り出しは明瞭でなく、口縁の立ち上がりも緩やかである。また、刀子は残存長17.8センチを測る。

  被葬者については不明であるが、本品は発掘調査により出土したもので、出土状況等は記録されているため、考古資料としての価値は高い。(塩山市史)


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