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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

ウルグ・ベク天文台跡博物館A
Ulug'bek nomidagi Observatory Track
in Samarkand


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月20日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

巨大なウルグ・ベク天文台の六分儀

 何と言っても、この天文台跡にある博物館の一番の目玉は、当時の天体観測に欠かせない六分儀の展示です。

 上述したように、博物館建物のの前には、下の写真にあるように六分儀が外部から見れるようになっています。実際の六分儀は地下にあります。


ウルグ・ベク天文台跡の六分儀見学場所   出典:Wikipedia

 下がその六分儀です。


ウルグ・ベク天文台跡六分儀  出典:Wikipedia


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 下は六分儀が設置してある構造物の地表面の写真です。


六分儀が設置してある構造物の地表面の写真
撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400

 下は実際の六分儀の利用を描いた絵です。


撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 一方、下は博物館内部で撮影した六分儀の部品のようなものです。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下に六分儀とは何かについて、簡単に説明しておきます。

◆六分儀(Sextant)

 六分儀は天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具です。弧が60°(360°の六分の一)であるところからこの名がついています。天体の高度測定、自身の位置の割り出しなどに利用されます。大型の六分儀がおもに天体観測用に使われたのに対して、小型の六分儀は船舶の天測航法用に使用されています。また、六分儀にちなんでろくぶんぎ座という星座もあります。




出典:Wikipedia

 下はウルグ・ベク天文台の六分儀の設計図?


撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 下は天文台の開発当時の六分儀とそれを覆う建屋の模型です。現在は、大部分が地下にある六分儀ですが、当時は大部分が地上部にあり一部が地下にあったものと思われます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は六分儀を収納する建築物の模型です。デザインは天文台とは思えないほど、なかなかエレガントなものになっています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8



ウルグ・ベグ天文台のモデル
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 以下はウルグ・ベグ天文台を描いたものです。


撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400

 以下もウルグベク天文台のモデルのひとつのようです。



撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400

 下はおそらくウルグ・ベクが使ったとされる天球儀です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 この天球儀はギリシャで発達し、3世紀には既に教育用の道具として使われていました。さらに重要な用途として、観測の補助としても使われていました。

 イスラム社会では8世紀頃、ギリシャの天球儀をさらに改良し、初めてこれについての論文を書いています。これはイブラヒム・アル・ファザリが書いたもので、Dhat al-Halaq(リングのついた道具)というタイトルでした。

 アッバース・イブン・フィルナスは9世紀に、天球儀のリングを持ったまた別の道具を製作してカリフであるムハンマド1世に献上したと考えられています。天球儀とアストロラーベの両方の機能を持った道具は、中世のイスラム圏の天文学者や発明家によって作られています。

 さらなる改良はティコ・ブラーエによってなされ、そのことは著書 Astronomiae Instauratae Mechanica に記されています。さらに天球儀はルネサンス期にヨーロッパに広く普及しています。

 ルネサンス期の科学者の肖像では、しばしば天球儀を片手に持った姿が描かれている。これは知恵と知識の象徴だったようです。天球儀は当時の機械装置の中で最も複雑なものになりました。

 これは多くの技術の改良をもたらし、またその後の多くの機械装置のデザインのモデルとなりました。

 天球儀はその後も教育用の便利な道具として生き続けましたが、中心に地球があるものはプトレマイオス型、中心に太陽があるものはコペルニクス型と呼ばれています。


 下は当時、ウルグ・ベクが表した天体観測に関する著書です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 ウルグ・ベクはポーランドのコペルニクス、イタリアのガリレオよりも100年以上前に、天体観測を行い地動説に類する所見も出していますが、実はこの分野の先進国、ポーランドには、その後も優れた天文学者がいたようです。

 下はコペルニクスについての記述です。

◆ニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日 - 1543年5月24日)

 ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭です。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えています。これは天文学史上最も重要な再発見とされています。太陽中心説をはじめて唱えたのは紀元前三世紀のサモスのアリスタルコスです。コペルニクスはまた、教会では司教座聖堂参事会員(カノン)であり、知事、長官、法学者、占星術師であり、医者でもありました。暫定的に領主司祭を務めたこともあります。

出典:Wikipedia

 ところで、ポーランドには、コペルニクスのあと、グダンスクにヤン・ヘベリウス(Jan Geveliyning)という天体学者がおり、ウルグ・ベク同様、天文台を建築しています。下は建設中最中の写真です。

 ヤン・ヘベリウスはヨハネス・ヘヴェリウス(ポーランド語:Jan Heweliusz、ドイツ語:Johannes Hewel、1611年1月28日 - 1687年1月28日)とも言い、ポーランドが生んだ天文学者で月の地形学の創始者とされているひとです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 ヤン・ヘベリウスは、ウルグ・ベク同様、多くの星座をはっけんしています。

 たとえば、こぎつね座、こじし座、たて座、とかげ座、やまねこ座、ろくぶんぎ座、りょうけん座、ケルベルス座 (Cerberus)、しょうさんかく座 (Triangulum Minor)、マエナルスさん座 (Maenalus Mons) という10個の星座を設定したが、これらのうち、先の7つは現在も使われています。

 ヤン・ヘベリウスはポーランド・リトアニア共和国のグダニスク(ダンツィヒ)にて、ボヘミアから移住して醸造所を営む家庭に生まれました。ギムナジウムで学んだ後、オランダのライデンで法学を学びます。その後、英国やフランスを旅し、ピエール・ガッサンディ、マラン・メルセンヌ、アタナシウス・キルヒャーらと交流を持っています。

 1673年、レンズの直径15センチメートルで鏡筒に当たる部分の長さが45メートルにもなる空気望遠鏡(対物レンズと接眼レンズの距離が大きく離れた構造をしており、そのため鏡筒は設けられず、両方のレンズを1本の棒で固定する望遠鏡)を制作し、公開で天文観測を行っていたそうです。

 この望遠鏡「ヘヴェリウスの空気望遠鏡」は彼の代名詞であり、また、空気望遠鏡と言えばヘヴェリウスの名が第一に挙げられます。あまりに巨大であったために風や震動の影響を受けやすく、観測は巧く行かなかったようですが、1682年に到来したハレー彗星の観測では成果を挙げています。

 下の絵の中央にいるのがそのヤン・ヘベリウスです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はウルブ・ベクに関連し、過去、ウズベキスタンで発光されました切手とコインです。
 
 時代を超えずいぶん沢山の切手やコインが発行されたことが分かります。それだけウルグ・ベクは、ウズベキスタンの国民の心に浸透している偉人なんでしょう。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


つづく