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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

ウルグ・ベク天文台跡博物館@
Ulug'bek nomidagi Observatory Track
in Samarkand


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月20日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁


ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 天文台跡には下の写真にあるような立派な入り口をもった博物館があります。

 ここには、ウルグ・ベクの天文台に関する文献資料や当時の天地観測に欠かせない六分儀をもった天台の模型、ウルグ・ベクよりも200年以上前にポーランドのグダンスクで天文台を開発したヤン・ヘベリウス(Jan Geveliyning)についての資料などが展示されています。

 私達はいつものように入場料、写真撮影料金を支払い入館しました。下は入場券のサンプルです。写真撮影付きで12000スムとなりました。400円弱です。
 

入場券のサンプル

 なお、ウルグ・ベクが使ったとされます大きな六分儀は、同じ敷地の別の位置で見学することが可能となっています。


ウルグ・ベク天文台跡博物館の建物の遠景 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ウルグ・ベク天文台跡博物館の建物 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ウルグ・ベク天文台跡博物館の建物 
ウルグ・ベク天文台 (トリップアドバイザー提供)

 下はウルグ・ベク天文台跡博物館内部の展示です。最初にウルグ・ベクの肖像があります。ウルグ・ベクは、単なる為政者というより、学者の風貌があります。また文化人の品格も感じられます。

 一言で言えば、ティムールはいうまでもなく軍人として為政者としてティムール帝国を創造しましたが、ウルグ・ベクは学者(天文学者、数学者など)、教育者、詩人、神学者、哲学者、歴史学者まどとして、学術、文化、芸術をたしなむ、すなわちティムール朝におけるイスラム文化を開花させた人物と言って間違いないと思います。


ウルグ・ベグの肖像画
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ウルグ・ベグの肖像画
撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400

 内部は以下のようになっており、模型、絵、著作などが整理され展示されていました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 入ってすぐ右には、ティムール王朝、ティムール帝国の版図(領土地図)があります。下の地図がそれです。おそらく地図にある赤、緑など線は、ティムールが14世紀に東アジアの諸ハーンを制しティムール帝国を完成させた足跡を示している物と思えます。

 これを見ると、ソ連時代のトルキスタンや現在のウズベキスタンを遙かに超える西はトルコ、シリア、ヨルダン、イラク、パキスタン、インドの一部、東はタジキスタン、キルギスタン、新疆ウイグル自治区の一部、北はカザフスタンの一部、南はトルクメニスタン、アフガニスタン、ペルシャなどがティムール帝国の領土であることが分かります。



14世紀におけるティムール帝国の版図(領土地図)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ティムール帝国 (1307年 - 1507年)

 以下は上の版図をさあマルカンドを中心として見たものです。西には現在のウズベキスタンの主要都市でありますブハラ(Buxoro)、ウルゲンチ(Urgench)、ヒバ(Xiva)、また北にタシケント(Toshkent)、さらに南には現在アフガニスタンの主要都市となっているヘラート(Hirot)という地名が見えます。


14世紀におけるティムール帝国の版図(領土地図)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 その近くに、ティムールについての歴史書がありました。書かれたのは15世紀です。このティムール歴史書の英語訳があればぜひ、読んで見たいものです。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はアミール・ティモールの家系図です。当然、一番上にアミール・ティモールがおり、ウルグ・ベクはその孫にあたるので、右端のティモールから数えて3人目に当たります。

 1394年、シャー・ルフとガウハル・シャード・アーガーの長男として、ウルグ・ベクはスルターニーヤで生まれます。シャー・ルフは息子を祖父の名前にちなんだムハンマド・タラガイと名付けましたが、ティムールの意向によってテュルクの言葉で「偉大な指揮官」を意味する「ウルグ・ベク」に改名されます。

 ペルシア語で「偉大な指揮官」を意味する「アミーリ・キャビール」「アミーリ・ボゾルグ」と称されていたティムールは、自分の称号と同じ意味を持つ「ウルグ・ベク」の名前を与えた孫に大きな期待をかけていたと考えられています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下はアミール・ティムールからウルグ・ベクまでの家系です。

アムール・ティムール 祖父
◆ティムール Timur(Tamerlane) 生没年:1336-1405

父:タラガイ
1370-1405 トランスオクシアナ アミール
1402 アンカラの戦い
1404 対明遠征出発

妻:サライ・ムルク・ハヌム(父:カザン・スルタン)
ウマル・シャイフ
1357-1376 ジャハーンギール
ミーラーン・シャー
ウマル
シャイフ
女:タガイ・タルカン・アガ・カラキタイ
1377-1447 シャー・ルフ
アカ・ビキ
スルタン・バフト・アガ
サアダト・スルタン
クトルグ・スルタン・アガ
妻:トゥルムシュ・アガ
妻:ウルジェイ・タルカン・アガ
妻:ウルス・アガ
妻:イスラーム・アガ
妻:ディルシャド・アガ
妻:トゥマン・アガ
妻:トゥカル・ハヌム
妻:トゥグディ・ベグ
妻:ダウラト・タルカン・アガ
妻:ブルタン・アガ
妻:スルタン・アガ
妻:ジャニベグ・アガ
妻:ムンドゥズ・アガ
妻:チュルバン・マリク・アガ
妻:バフト・スルタン・アガ
妻:スルタン・アラ・アガ
妻:ヌクズ
妻:ヌールーズ・アガ
妻:ビビ・ハヌム
出典:世界帝王事典

シャー・ルフ 父
◆シャー・ルフ Shah Rukh 生没年:1377-1447

父:アミール ティムール
1405-1409 ホラサーン アミール
1409-1447 スルタン

妻:マリカト・アガ
妻:ガウハール・シャド・アガ-1457
1394-1449 ウルグ・ベク
妻:トゥティ・ハトゥン・ナリン・ムガル
妻:アク・スルタン
妻:ミール・ニガル・ウズベク・ビスート
妻:ラール・タキン
イブラーヒーム
バーイソンクル
ムハンマド・ジューキー
妻:ソユルガトミシュ
出典:世界帝王事典

 以下は、ウルグ・ベクの父親、シャー・ルフの概要です。

◆シャー・ルフ概要
即位まで
 1377年に初代君主ティムールの四男としてサマルカンドに生まれました。シャー・ルフが生まれる直前にティムールはチェスをしており、城(ルフ、Rukh)の駒で王(シャー、Shah)手をかけた時に、ちょうど四男が生まれた報告を受けた。喜んだティムールは子に「シャー・ルフ」と名付けた伝承が残っています。1397年にヘラートを中心とするホラーサーン地方を領地として与えられ、1401年のアンカラの戦いにも従軍、彼の率いるホラーサーン軍は中軍の左翼に配置されています。

1405年、父が明遠征途中にオトラルで病死しました。ティムールは生前に嫡孫のピール・ムハンマド・ジャハーンギールを後継者に指名していましたが、シャー・ルフとティムールの三男ミーラーン・シャーの子ハリール・スルタンは自身の名前をフトバと貨幣に用いて独立の意思を表し、2人の他にも帝位を窺う王族は多くいました。

 こうした状況下でシャー・ルフはミーラーン・シャーとハリール・スルタンの合流を阻止、スライマーン・シャー、サイード・ホージャら反乱を起こした配下の貴族を討って地盤を固めます。ピール・ムハンマドは配下によって暗殺され、ハリールが配下の反乱によってサマルカンドから追放された後、最後の有力者としてシャー・ルフが残りました。

 1409年5月にシャー・ルフはサマルカンドに入城、ハリールを廃位して即位します。
出典:Wikipedia

ウルグ・ベク 当人(ティムールから見て孫)
◆ウルグ・ベク Ulugh Beg 生没年:1394-1449

父:スルタン シャー・ルフ
サマルカンド総督
1447-1449 スルタン

妻:アカ・ビキ
妻:スルタン・バディ・アル・ムルク
妻:アキ・スルタン・ハニカ
妻:フサン・ニガル・ハニカ
妻:シュクル・ビィ・ハニカ
妻:ミヒル・スルタン
妻:ダウラト・バヒト・ハトゥン
妻:ダウラト・スルタン・ハトゥン
妻:バヒティ・ビィ・ハトゥン
妻:サアダト・バヒト・ハトゥン
妻:ウルタン・マリク
妻:サルタヌム
妻:(父:アブー・アル・ハイール・ハーン)
妻:ハタン・ハトゥン
妻:(父:アキーレ・スルタン)
女:ルカイヤ・ハトゥン・アルラト
-1450 アブドゥル・ラティーフ
アブドゥル・サマド
アブドゥル・ジャッバール
アブドゥッラーフ
アブド・アッラーフマン
アブドゥル・ズィーズ
アブドゥル・マリク
アブドゥル・ザーク
ハビベ・スルタン・ハンザダ・ベギム
スルタン・バヒト
アク・バシュ
クトゥルグ・タルカン・アガ
スルタン・バディ・アル・ムルク
タガイ・タルカン
ハンザダ・アガ
アカ・ベーグム
タガイ・シャー
ラビア・スルタン・ベギム(夫:アブル・ハイル=ハン)
出典:世界帝王事典

 以下は14〜15世紀のものです。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下は、バーブル・ナーマ、バーブル、王子、皇帝の回顧録(Baburnama,Memoirs of Babur, Prince and Emperor)とあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は切手のそばにあった巻物形式の資料です。

 
撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400


撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400


つづく