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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド2日目

考古学博物館②
Arxeologik Muzey Visit in Samarkand

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2015年3月18日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁
アフラシャブ考古学博物館①  アフラシャブ考古学博物館②
アフラシャブ考古学博物館③  アフラシャブ考古学博物館④


◆アフラシャブの丘《Afrasiab》

 ウズベキスタン南東部の古都サマルカンドにある丘です。かつては城壁に囲まれた都市でしたが、13世紀にモンゴル軍の攻撃を受けて破壊され、廃墟となりました。隣接する博物館には紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったフレスコ画が展示されています。
 
 アフラシャブの丘を発掘調査した結果、文化の痕跡が十一層もの厚さで積み重なっているのことが確認されています。「アフラシャブの名」は、伝説の最初のソクド王から採ったもので、当時の街は城壁で囲まれ、4つの大きな門がありました。この門を通じてシルクロードと結ばれ、遥か彼方から運ばれてくる物資や商人たちでさ賑わっていたのです。

注:本稿では、Afrosiab と Afasiab がでてきますが、前者がウズベク語、後者がラテン語です。原則として前者に統一していますが、ここではあえて Afasiab をそのまま使っています。

出典:コトバンクなど


 アフラシャブの考古学博物館では、アフラシャブの丘北部の四層~十一層の地層となっていた部分などで発掘された壁画や土器、貨幣などを、地層区分毎に展示していました。

 とは言ってもウズベク語なので、なかなか時代区分すら分かりません(笑い)。

 そのアフラシヤブはウズベキスタン・サマルカンドの北部にある遺跡であり、アフラシヤブは紀元前500年から紀元後1220年まで存在していた、とあるので、紀元前+紀元後=1720年間です。

 下の壁画は、アフラシャブで最も有名な発掘された壁画です。

 アフラシヤブは紀元前7~6世紀に人が住みだしたとされ、ソグディアナ文化の中心地となっていました。アフラシャブの最も北の奥にある四地層の一番深くに眠っていたアフラシヤブの城は、17世紀の終わりに記された資料に見ることができます。

 ソグディアナ文化の中心地となった四地層の一番深くの遺構の深さは約8~12mもありました。この考古学的調査は19世紀末に行われ、20世紀初め(1920年代)、考古学者のミハイル・マッソンにより引き続き調査が行われています。

 ミハイル・マッソンの考古学研究によりサーマーン朝の宮殿は、かつてアフラシヤブに存在したことが明らかになっており、1960~70年代に再度発掘調査が行われています。これらの跡は、先に示しましたが、下の現在のグーグルアースの衛星画像からも十分見て取ることが出来ます。


衛星写真で見た現在のアフラシヤブ(Afrosiab)の丘
ほぼ旧サマルカンドがそのまま保全、保存されています
出典:グーグルアース


衛星写真で見た現在のアフラシヤブ(Afrosiab)の丘の北部
出典:グーグルアース

 ところで、アフラシヤブの考古遺跡ではアフラシヤブ壁画と呼ばれる壁画も発見されています。下はそのソグド人のフラスコによる代表壁画(複製図)の代表的なものです。

 ある記述に寄れば、この壁画は、ラクダに乗った2人の公使であり、ラクダはアラビアですが、重要なことは顔の色が違っていることにあり、色々な民族がこの地に入っていた証拠となり、交易が大変盛んであった証拠と記しています。

 ここでは撮影してきました写真をデジタル処理することにより、鮮明、些細かつ色鮮やかに見ていただくこととしました!


アフラシヤブの壁画の複製
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下はアフラシャブの丘にあるサマルカンドの考古学博物館に入ってすぐのところにあった壁画の複製品とその輪郭図です。


アフラシヤブの壁画の複製
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3


アフラシヤブの壁画の複製
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3


アフラシヤブの壁画の複製
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下の写真はいずれもその部分拡大です。


アフラシヤブの壁画の複製
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下はデジタル画像処理後のソグド人のフラスコ画です。色が鮮やかに見えます。


アフラシヤブの壁画の複製(デジタル画像処理後)
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 下は象に乗った花嫁、象=インド、黒い馬は汗血馬です。汗血馬はフェルガナ盆地(現在、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン)が産地となっています。

 フェルガナ盆地(ウズベク語: Farg‘ona vodiysi;ロシア語: Ферганская долина)は、中央アジアのウズベキスタン共和国東部からキルギス共和国、タジキスタン共和国に広がる地域です。


アフラシヤブの壁画の複製(デジタル画像処理後)
おそらく紀元前7世紀頃のソグド王の宮殿跡で見つかったソグド人のフレスコ画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 以下は輪郭図です。


アフラシヤブの壁画の輪郭図
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


アフラシヤブの壁画の輪郭図
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


アフラシヤブの壁画の輪郭図
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下の2枚の図のうち、上図はAfrosiyob tashql himoya devorining 27 - qazish uchastkasidagi kesimi とあり、直訳すると「セクション27の発掘現場におけるアフラシアブの外壁」とあります。おそらく上記の壁画などの壁画が発掘された外壁について解説しているのでしょうか。

 一方、下の図はアブラシャブの古代の壁を保護した状況について解説しているようです。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3

 以下も発掘された壁画です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-3


サマルカンド港高額博物館3へつづく