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   ウズベキスタン現地予備調査

ラビハウズの周辺

Lyabi-Hauz and its surrounds

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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ラビハウズとナディール・ディヴァンベギ

 ラビハウズは、1620年、ブラハハーンの高官だったナディール・ディヴァンベギによって作られています。ハウズ(46×36m)は東西に細長い造りとなっており、現在、ブハラで一番、観光上も有名な場所となってるそうです。

 ブハラを訪れた多くの観光客の多くは、ここからスタートしているほどです。

 ところでラビハウズの周りには、北にクカリダシュ・マドラサ、東西にナディール・ディヴァンベギ・マドラサとナディール・ディヴァンベギ・ハナカがあります。

 2011年5月現在ラビ・ハウズ周辺は改築中となっていましたが、今回訪れた2015年2月の時点では改修は終わっていました。


ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

 下はラビハウズとその周辺地域をグーグルアースの衛星写真で見たものです。ラビハウズの東隣にナディールと名の付いた場所があります。 


グーグルアースの衛星写真で見たラビハウズとその周辺

 下の衛星写真は、上の写真を拡大したものです。右側に Nadir Diven-Begi Madrasah とあります。これはすなわちナディール・ディヴァンベギ・マドラサ(メドレセ)そのものです。

 おそらくブラハ・ハーンの腹心だったナディール・ディヴァンベギは、ハウズをつくるだけでなく、その隣に自分の名が付いたマドラサ(メドレセ)まで造っていたことになります。


グーグルアースの衛星写真で見たラビハウズとその周辺2
 
◆ナディール・ディヴァン-ベギ メドレセ

 ナディール・ディヴァン-ベギ マドラサ(メドレセ)は、有名なラビ・ハウズ周辺の建物群の一部です。このメドレセの建物は、近くのハナカとともに、イスラム教国の高官(カリフの地位)にあったナディールの命令によって建設され、命名されています。

 高官ナディールは 1611年〜1642年の間、ブハラを統治していたAshtarkhanid 王朝のImamkuli-khanの最強の権力者の一人として朝廷内で使えていた人物です。

 この時期、為政者たちは、戦争だけでなく、まちづくり(都市計画)にも非常に高い関心をもっていました。

 下の写真がナディール・ディヴァン-ベギ マドラサ(メドレセ)です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 先にラビハウズその1でラビハウズ(Lyabi-Hauz)は、クカリダシュ・メドレセ、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセというブハラ旧市街にある三つの巨大な建築物に囲まれた人口の池を指しますと述べました。

 上の解説あるように、ラビハウズをつくったナディール・ディヴァンベギは、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセだけでなく、さらにナディール・ディヴァンベギ・ハナカ、すなわち巡礼者などのための自分の名前が付いたハナカ(日本で言うところの宿坊)までつくっていたことがわかりました。

 ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの場所は、ラビハウズの西隣です。ハナカはウズベク語なので分かりにくくなっていますが、間違いありません。

 下の写真がナディール・ディヴァンベギ・ハナカです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆ディール・ディヴァン・ベキのハナカについて

 ハナカとは巡礼宿という意味です。

 インドのダラムシャーラーや、日本の宿坊に相当するもので、モスクに付随するものです。

 この門を入ると四角い中庭を囲んで 二階建ての個室があります。この形式は ウズベキスタンの全てのメドレセなどにも共通した建築方式です。

 ここの門で注目したいのはメドレセに描かれている人面の太陽と孔雀です。イスラム世界では普通は花やアラベスク模様が使われ、このようなモチーフは使われません。これはとても珍しいものです。

 この孔雀はフェニックス(不死鳥)に近く、中国や日本の鳳凰の原型と見られています。

出典:ブハラ歴史地区 前編

 このように建築物に人面の太陽と孔雀をあしらうことができるほど、ナディール・ディヴァンベギは、ハーンに準ずる権力があることがわかります。しかし、ただ力があり、すごいやり手であるだけでありません。

 後日、サマルカンドの有名なレギスタン広場にある巨大はメドレセも、ナディール・ディヴァンベギがつくっるだけでなく、巨大なメドレセの正面に偶像崇拝で厳禁されているものを描いていたのです。

 詳しくはサマルカンドのシェル・ドル・メドレセの論考をごらんいただきますが、17年の歳月をかけ1636年に造営されたメドレセもナディール・ディヴァンベギがつくったものなのです。

 サマルカンドにあるこのシェル・ドル・メドレセの最大の特徴は、メドレセの正面に、偶像崇拝が厳禁されているライオン(トラとも言われています)とその背中に人間の顔が描かれていることにあります。周知のように、イスラム教において描くことが禁止される動物と人間の顔が描かれているのです。

 下がナディール・ディヴァンベギがつくったサマルカンドのレギスタン広場にあるシェル・ドル・メドレセです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8
出典:青山貞一・池田こみち:サマルカンド1日目、シェル・ドル・メドレセ

 上のメドレセに描かれているライオン(トラとも言われています)の部分を拡大すると以下のようになります。確かにライオン(トラ)と人間の顔が描かれています。その理由は定かではありませんが、時の権力者が自分の権力を表現するために行ったという説もあります。

 しかし、このシェル・ドル・メドレセは偶像崇拝を厳しく禁じているイスラム教の教えに反することから、建築に当たった建築家が自殺したという伝説も残っています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


 ディナール・ディヴァンベギという人物はブハラのラビハウズやサマルカンドのレギスタン広場に、巨大なメドレセをつくらせたのですから、相当の権力者であったことは間違いありませんが、よりによって偶像崇拝を禁止しているイスラムの国で動物をメドレセの正面に描いたことは大廃嫡であり顰蹙す。しかし、権力を持っているナディール・ディヴァン-ベギに誰も指摘することができず、メドレセが完成してしまったんでしょうね。

 詳しくは以下(サマルカンド編)にありますので、ご覧ください。

 ◆青山貞一・池田こみち:サマルカンド1日目、シェル・ドル・メドレセ

 ところで、茶色で囲んだ解説記事の中にある写真を見ると、メドレセの正面に大きくくじゃくのような鳥を描いていることが分かります。

 おそらくナディール・ディヴァン-ベギはイスラム教の偶像崇拝禁止をわかっていなかったか、あるいは権力者として分かっていながら無視して描かせたのでしょう。


つづく