厳寒のロシア2大都市短訪 首座使徒ペトル・パウェル大聖堂 全体概要 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・首座使徒ペトル・パウェル大聖堂 (ザーヤチ島) 全体概要 上空から見た大聖堂 大聖堂の外観 大聖堂の内装1 大聖堂の内装2 大聖堂の内装3 大聖堂の内装4 ・ペトル・パウェル要塞(ザーヤチ島) 概要 計画 外観1 外観2 パフォーマンス 彫刻 刑務所・牢獄 ・大公理葬地下霊廟 概要・歴史 外観 内部内装 展示 ◆サンクトペテルブルグ市 サンクトペテルブルグ市の紋章 ◆首座使徒ペトル・パウェル大聖堂 首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ロ語: собор во имя первоверховных апостолов Петра и Павла、英語: Peter and Paul Cathedral)はロシア・サンクトペテルブルクのペトロパヴロフスク要塞にあるロシア正教会の聖堂です。 首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)の全景 Source:Wikimedia Commons Di Dezidor - Fotografia autoprodotta, CC BY 3.0, Collegamento 首座使徒ペトル・パウェル大聖堂の場所は、ネヴァ河をはさみエルミタージュ美術館の反対側にある島、ザーヤチイ島にあります。 以下はグーグルマップで見た首座使徒ペトル・パウェル大聖堂の位置です。島のほぼ中央に大聖堂があります。 グーグルマップで見た首座使徒ペトル・パウェル大聖堂の位置 下の写真はネヴァ河の対岸から見た大聖堂です。 ネヴァ川の対岸から見た大聖堂 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 首座使徒ペトル・パウェル大聖堂(ペトロパヴロフスキー大聖堂)の全景 Source:Wikimedia Commons By Anton Vaganov - Own work, CC BY-SA 4.0, Link 以下は、首座使徒ペトル・パウェル大聖堂の内部です。 修復中の内部 Source:Wikimedia Commons By jimg944 - Flickr.com - image description page, CC BY 2.0, Link 大聖堂の内部 Source:Wikimedia Commons CC BY 2.0, Link 以下は大聖堂の平面図です。 大聖堂の平面図 Source:Wikimedia Commons Don-vip - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる この大聖堂は通称・略称としてのロシア語名"Петропавловский собор"の前半部分をそのまま転写してペトロパヴロフスキー大聖堂とも呼ばれます。 大聖堂は首座使徒たる聖使徒ペトル(ペトロの教会スラヴ語読み)と聖使徒パウェル(パウロの教会スラヴ語読み)を記憶するもので、最初の大聖堂は、サンクトペテルブルクの石で造られました。 大聖堂の尖塔は、404フィート(約123メートル)もあり、天井には十字架を持った天使を描いています。この天使はサンクトペテルブルクを象徴する最も大事なものの一つです。 大聖堂の尖塔 Source:Wikimedia Commons By No machine-readable author provided. HorsePunchKid assumed (based on copyright claims). - No machine-readable source provided. Own work assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0, Link 大聖堂の内部にはピョートル大帝からニコライ2世までの皇帝(ツァーリ)と皇后の殆どが埋葬されています。 大聖堂内の棺。八端十字架が蓋の上にあります。 Source:Wikimedia Commons By Stolichnaya - Own work, Public Domain, Link ニコライ2世の墓のある大聖堂内の小聖堂 Source:Wikimedia Commons By D.j.mueller (talk) 20:00, 2 July 2008 (UTC) - Fotografia pròpia, Domini públic, Link 大聖堂の鐘 Source:Wikimedia Commons RuED - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる 大聖堂の鐘 Source:Wikimedia Commons By RuED - Own work, CC BY-SA 3.0, Link 2006年9月、ニコライ2世の母、マリア・フョードロヴナの遺体がデンマークから返還され、大聖堂に埋葬されました。 ペトロパヴロフスク要塞は元々ピョートル大帝の時代に建造され、ドメニコ・トレッツィーニが設計したものです。 ネヴァ河沿いのザーヤチイ島に1703年から1733年にかけて建造されたサンクトペテルブルクで最初にして最古の旧所名跡になっています。 ピョートル大帝がこの大聖堂を含む要塞を建造した主な理由は、大北方戦争でスウェーデン海軍の攻撃があった場合の防衛施設とすることにありました。 つづく |