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厳寒のロシア2大都市短訪

   
冬宮殿の部屋と広間
大玉座の間

青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
無断転載禁

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 ・エルミタージュ冬宮(本館)の主要施設
   ヨルダンの階段       大玉座の間     紋章の間
   マーシャル将軍の間   軍事の間       大教会     
   アレクサンダーの間    白色の大広間    黄金の応接間
    クジャク石の間       アラビアの間    ネヴァ河3広間 
   コラス1世円形の間    私的居住空間    庭園   コンサートホール


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

  



大玉座の間

 冬宮の大広間は、下の平面図にあるように、冬宮が小エルミタージュ側に突き出た赤い部分にあります。この大広間は、その名のように、冬宮の数あるホールの中でも、最も大きく広いホールです。


宮殿内のジョージ・ホールとアポロの間(大王座)の位置図
Source:Wikimedia Commons



コンスタンチン・ウクトムスキー(1862年)が建設した、聖ジョージの広間。ロシア皇帝の主要な玉座の間
Source:Wikimedia Commons
By Ukhtomsky - Ukhtomsky, Public Domain, Link


 「聖ジョージの広間」は別名、「大玉座の間」とも言われており、サンクトペテルブルグの冬宮殿のなかで最も広い部屋の一つです。この部屋は、宮殿の東側に位置しており、エルミタージュとはより小さな太陽神の部屋(Appolon Room)でつながっていました。

 この広間の色彩豊かな新古典派の内装デザインは1787~1795年にかけて、ジャコモ・クアレンギが実施したもので、宮殿のほとんどの内装を焼き尽くした1837年の大火によって焼失してしまいました。火災の後、ロシアの建築家ワシリー・スタソフが宮殿の再建復興を監督することを任命されました。

 彼は、宮殿の外装を決定づけている建築の特徴を守りながらも、内装をよりシンプルなクラシックなスタイルで完全に再設計しました。


玉座(2005年)
Source:Wikimedia Commons
By Jennifer Boyer - originally posted to Flickr as St. George Hall throne, CC BY 2.0, Link


 彼は、多色大理石の柱を白いカララ大理石の柱に置き換えました。 寓話的な場面を描いたオリジナルの塗装された天井は火事で完全に失われていたため、スタソフは金色の装飾を施した平らな天井を導入することができました。

 聖ジョージ大広間は、宮殿における主要な玉座の間(戴冠の間)とされ、帝国宮廷における多くの最も正式な祝典で使われてきました。最も歴史的に重要なのは1906年に、ニコラス2世によって最初のロシア連邦議会の下院が開かれたところとしても特筆すべきです。

 皇帝は革命を回避するため、民衆に譲歩し、下院議員の設置に同意せざるを得なかったのです。しかし、ロシア皇室はそれを「ロシアの独裁政治の終わり」と見なしたのでした。

 一般のロシア人が何回でも宮殿に入場できたのは初めてのことでした-これは、農民にとっても皇室にとっても両方にとってシュール(超現実的)な経験でした。

 家族とともに王座の階段に立っていた皇帝の姉妹は、会場一杯に入っている一般ロシア人を振り返って次のように言いました。「私は母と一緒に最初の議会(会員議会)に行きました。

 私は農民や工場で働く人々の中から大勢の議員のグループが居たことを覚えています 。農民はいやな顔をしてました。でも、労働者たちの表情はさらに酷く、私たちを嫌っていたように見えました。私はアリッキーの目が苦しみを見せていたことを覚えています。」と。ウラジミール・フレデリック裁判所大臣は、次のように言いました。

 「議員たちは、閣僚に身を投げて喉を切られるのを待っている犯罪者の暴力団のような印象だった。私はそうした人々の中に足を踏み入れることは決してしない」と。皇太后は "理解できない憎しみ"に満ちていることを知らされたのでした。

註)アリッキー:アレクサンドラ皇后の愛称?

 玉座の後ろには小さなアポロ・ルーム(太陽神の間)がありました。この日の午後、上の階の橋で宮殿はエルミタージュと実際につながったのでした。この部屋にはケーソン天井に漆喰の装飾が施されています。

 今日、国立エルミタージュ美術館の一部として、この部屋にはスタソフがつくった装飾的なスキーム(計画・意図)が残されています。


 以下は、「大玉座の間」をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビューしています。クリック後、マウスなどで動かしてみてください。

 ※ 「大玉座の間」をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビュー



 聖ジョージ広間(13)、1906年:ロマノフ王朝の象徴(Imperial Romanov regalia)でる玉座には王衣が掛けられ、部屋の両側には、皇室一家(絵の左上)、および第一回ロシア連邦議会下院(State Duma)議員たちが立ち並んで、皇帝の到着を待っています。"労働者たちは....私たちを憎んでいるかのように見えました。"
Source:Wikimedia Commons
Public Domain, Link



太陽神アポロンの間、エデュアルド・ハル(1862年)作太陽神アポロンの間、エデュアルド・ハル(1862年)作
Source:Wikimedia Commons
By Eduard Hau - A.Н. Воронихина Виды залов Эрмитажа и Зимнего Дворца в акварелях середины 20-го века Москва Искусство 1983, Public Domain, Link


つづく