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マンダレーの旧王宮(3)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

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 これが旧王宮の入り口です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay

 大級の前に大きな大砲が置いてありました。これは洋の東西を問わず、王宮の一角には必ず大砲がおいてあります。おそらく権力の象徴のひとつなんでしょうね。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay

 以下はマンダレー王宮の概要です。

 歴史の詳細は、マンダレーの概要と歴史をご覧ください。

 この王宮は竣工後、わずか20年足らずで英国軍に占領され、王と妃はインドに亡命を余儀なくされています。

マンダレー王宮

 ミャンマー中央部、同国第2の都市マンダレーにある旧王宮で、ミャンマー最後の王朝、コンバウン朝の王宮です。

 この王宮は3km四方が幅70mの濠と高さ8mの城壁に囲まれており、東西南北計4本の橋で街と結ばれています。

 内部には王宮博物館もあります。アマラプラからマンダレーに遷都したミンドン王が1857年から建設を開始し、4年の歳月を経て完成させました。

 1885年、ビルマを占領した英国軍は王宮を軍の施設として接収し、1942年、ミャンマーに進出した日本軍にも占領されました。

 1945年3月、この王宮は日本軍と英印連合軍との戦闘に巻き込まれ焼失しました。戦後再建され、現在はミャンマー軍の施設として軍の就任式などに使用されています。王宮の一部が一般に開放されています。




撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay
 この後、再建された美しいマンダレー王宮の中に入ります。

 以下は王宮の全体図です。私達が王宮に入ったのは、右下からです。この後、ほぼ王宮のほぼ全施設をまわりました。大部分は公開されており、写真撮影もOKでした。 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay


 なお、以下はマンダレー王宮の平面図です。平面図の中央より少し右側が現在私達いる位置のようです。
 

Source: Wikimedia

 入ってすぐのところに以下の左右二つの大きなホールがあります。

◆ミーナン謁見会堂(ホール)左・右 
  Mye Nan Audience Hall (Left/Right)

  
 これは英語でMye Nan Audience Hall と言います。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay





撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay

 以下はと The Great Audience Hall で二つのホールのちょうど真ん中の部分で、ここで入場者の切符チェックがあります。またここからは靴を脱いで、原則裸足で入ることになります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay

 以下は上の左右の大きなホールの英語の解説です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2016-6-4 Mandalay


◆ミーナン謁見会堂(ホール)左・右 
 Mye Nan Audience Hall (Left/Right)
 日本語解説

 このホールでは、会議が開かれ、Sawbwagyiに従う者たちのなかでもそれなりの地位の人々が参加しました。具体的には、政府官僚5階級のうち最上級にランクされる2名の役人、タイ国王子、富裕層、政府官僚の5階級に属するメンバー、また、tatpaung-myosarsとして知られる自治体の長クラスの人物達、また、モン族・シャン族及びヨドヤ(タイ)地域を管轄する行政長官などが含まれます。

 左謁見室は形、広さが全く同じで、会議中は、左謁見室に入った人々と同じ階級の人々が左謁見室(右謁見室?)に入ります。(階級の違う人々が同じ部屋に入らないと言う意味か左右同じ階級の人が入ると言う意味か。)しかし、王宮への貢ぎ物や挨拶などの人々が左謁見室に入った場合には、右謁見室には同階級の人々が入るものの、(その時貢ぎ物を持って挨拶に来た)彼らは、相手方より高い地位とされます。

 謁見室の広さは、南北82フィート、東西34フィートの広さがあり、高さは32フィートとなっています。

 注★上記は赤字にした部分がちょっと英語が腑に落ちないところがあります。


つづく