メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 フランスに嫁いだメアリー1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年8月公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ フランスに嫁いだメアリー1 フランスに嫁いだメアリー2 リース港 フォース鉄道橋1 フォース鉄道橋2 ブラックネス城1 ブラックネス城2 ブラックネス城3 ロッホ・リーヴン城1 ロッホ・リーヴン城2 ロッホ・リーヴン城3 キャンベル城 ◆フランスに嫁いだメアリー・ステュアート女王 ところで、メアリー・ステュアート女王はリンリスゴー城で生まれた後も、イングランド国による幼少なメアリー女王をイングランドに奪取するもくろみは執拗なものだった。 もくろみは、メアリー・ステュアートを強奪し、イングランドの女王とすることだった、イングランドには当時、エリザベス一世がいたが、彼女には王位継承権がなかったのである。 その後、スターリング城のところで後述するように、メアリーは母によりスターリング城(Stirling Castle)に移されます。要塞と大砲と気丈な母親マリ・ド・ギーズに護られ、メアリーはひとまずイングランドからの攻撃と陰謀から逃れることができたのです。 そこでメアリー女王の気丈な母、マリ・ド・ギーズは、母国フランスに対しスコットランドをイングランドから守ってくれるよう強く要請します。 スコットランドは宗教もカソリックが中心、それに対し、イングランドはその後本格化する宗教革命のひとつの拠点、すなわちプロテスタントである英国教会の中心でした。 マリ・ド・ギーズからの申し出に対し、フランスは、次のような見返りを要求しました。 それはメアリー・ステュアートをフランス国王アンリ二世の王子、フランソアの妃にさせることでした。 メアリーの母は、背に腹はかえられず、フランス国王の条件をのみ、メアリーをフランス王子に嫁がせることを決めます。メアリーがまだわずか5歳のときのことです。 メアリーがフランスに嫁いだときに滞在したシュノンソー城 シェノンソー城(仏: Chateau de Chenonceau)は、フランスのアンドル=エ=ロワール県、ロワール渓谷内のシュノンソーにある城です。シェール川の古い製粉所跡に建てられており、文献上に初めて登場したのは11世紀のことです。世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれています。 シュノンソー城 (トリップアドバイザー提供) シュノンソー城 (トリップアドバイザー提供) シュノンソー城 (トリップアドバイザー提供) シュノンソー城 (トリップアドバイザー提供) 左がフランス王子フランソア二世、右がスコットランド女王 メアリー・ステュアート つづく スコットランド総目次へ |