メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 インバラレイ城 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ フォルト・ウィリアム ダンスタッフネイジ城1 ダンスタッフネイジ城2 ダンスタッフネイジ城3 ダンスタッフネイジ城4 礼拝堂 オーバン* キルカーン城1 キルカーン城2 キルカーン城3 インバラレイ ロッホ・ローモンド ロッホ・ローモンド2 ここでは、ロッホローモンドの北側にあるインバラレイ城を紹介します。 ◆インバラレイの概要 撮影:グーグルマップ インバラレイの街並み 2003-08-29.撮影 Source:Wikimedia Commons インバラレイ(Inveraray)はスコットランドのアーガイルとビュートにある町です。 それは Fyne湖の西岸、そしてA83の道路に面しています。ここには、元ロイヤル・バーグ・アーガイルの伝統的な町そしてアーガイル公の先祖の邸宅が多数あります。 ◆インバラレイ城 次にンバラレイ(Inveraray)城を紹介します。 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL 1744年、第3代アーガイル伯爵は、既存の城を撤去し、新しい建物で最初から城をつくりはじめました。城の竣工までは40年もかかりました。城は才能ある建築家やデザイナーとして現在も有名なアダムの家族によって監督されています。最終的な建築物は伝統的な意味での城ではなく、インバラレイの古典的なジョージ王朝風の邸宅でした。 長年にわたり城は数多くの著名人を迎えてきました。 1874年にビクトリア女王が訪れ、1871年に彼女の娘プリンセス・ルイーズがキャンベル・首領の地位にある継承者 の相続人と結婚し、アーガイル家のその時代の社会的地位を一層上昇させることになりました。 インバラレイ城 Source:Wikimedia Commons インバラレイ城 Source:Wikimedia Commons インバラレイ城 Source:Wikimedia Commons インバラレイ城 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL インバラレイ城とバグパイプ Source:Wikimedia Commons インバラレイ城 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL ◆インバラレイの再建 タワーから見たインバラレイの街並み Source:Wikimedia Commons インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL 1747年、ウィリアム・アダムは新しいインバラレイの創造計画を策定しました。 1770年まで(その経過は)ほとんど行われておらず、第5代公爵は現在の形で町を再建することに決めました。 再建されたインバラレイの一部は、ジョン・アダムによって行われています。 フロント通りにあるインバラレイ・イン(以前はNew Inn、Great Inn、Argyll Arms Hotel、Argyll Hotelとして知られていました)は、町屋だけでなく、教会を含み、町の残りの多くは、著名なエジンバラ生まれの建築家Robert Mylne(1733-1811)によって1772年から1800年までに設計され、建設されました。 最終的な成果物は、不動産業労働者のための家屋、羊毛工場、および町の経済において重要な役割を果たすために後に大きく発展したニシン漁業のための桟橋など含む魅力的な町でした。 完成したインバラレイの町はスコットランドの18世紀の新しい町の最高傑作のひとつといえます。インバラレイの中心部にある大部分の建物は、インバラレイの重要建築物として保護に値すると考えられています。 インバラレイの街並み Source:Wikimedia Commons インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL ※参考 ハイランド牛(ハイランド種) イギリスのスコットランド北西部高原地帯の原産で、ウエストハイランドとも呼ばれます。 体格は小型で、全身が長い毛で覆われ長い角を持ち、独特の見た目をしています。 毛色は、赤褐色、淡褐色、灰褐色が多く見られます。良い肉質をしていますが、骨太で多くの肉はとれません。 イギリス、ドイツ、スウェーデンなどで飼われています。出典:(社)肉用牛振興基金協会 インバラレイ 撮影:青山貞一 カシオ EXIMIL 観光スポット インバラレイ城以外では、町のジョージ王朝時代のインバラレイリー刑務所が現在博物館になっています。その他、アウシンンドレインのアーガイル民族博物館などがあります。ベルタワーは町の象徴として、十個のベルが鳴る世界で二番目に思い鐘があります。この鐘楼は一般に公開されています。 つづく スコットランド総目次へ |