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真夏の上信州
歴史的拠点を行く

A慰霊の園

青山貞一 池田こみち
掲載月日:2013年8月31日
 独立系メディア E−wave Tokyo

 
◆慰霊の園

 8月27日、通行禁止となったので、同じ上野村の国道299号線沿いにある「慰霊の園」を訪問しました。

 「慰霊の園」は、国土交通省の説明によれば、以下の通りとなります。

 1985年(昭和60 年)8 月12日、日航ジャンボ機墜落事故が発生し、乗員乗客 524名のうち死亡者520名という、世界で類を見ない事故となった。この犠牲者の供養を目的に、飛行機の墜落現場周辺(御巣鷹の尾根)に「昇魂之碑」が、ふもとに「慰霊塔」「納骨堂」が整備された。 慰霊の園にある納骨堂には、身元識別不可能の犠牲者の遺骨が 123 の壷に納められている。・「昇魂之碑」は、地元群馬県多野郡の有志により寄贈されたものである。 さらに、日本航空からの寄付金 12 億円のうち 10 億円で整備。残りの基金で慰霊供養。とあります。また慰霊の園(慰霊塔)の設計者は半田富久(彫刻家) となっています。


慰霊の園
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 お参りする池田。


慰霊の園
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 慰霊の園には、航空機事故で亡くなられた520名の石字があります。


慰霊の園にある520名の石字
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 520名の中には、坂本九さんの本名もありました。また、下にあるように乗客には20名以上の外国人も含まれていたことが分かります。


外国人で亡くなられた方々の石字
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 たまたま遺族の息子さんかお孫さんら4名が来ており、名前の上に一本お花をお供えし合掌しており思わず涙がでました。おそらく両親があの事故で他界されたのではないかと思われます。

 慰霊の園には、資料館的な施設があり、事故の写真はじめさまざまな資料が展示されていました。

 下の写真は、1985年8月12日、墜落寸前のJAL123便を東京都奥多摩町日原で撮影されたものです。垂直尾翼が1/3しか残っていないことがはっきりと分かります。実質的に方向舵がないまま、よくここまで戻ってきたと思います。


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 下の写真は、JAL123便が高天原山の尾根に激突した後の写真です。ボーイング747ジェット機の残骸があちこちに散乱していることがわかります。

 なお、以下の写真は、コントラスト、焦点などをデジタル処理することにより向上させてあります。


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27


慰霊の園の資料館に展示されていた事故当時(1985年8月13日)の写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 慰霊の園の事務所で、通行止めについて聞きましたが、何でも「昇魂の碑」に通ずる村道が土砂崩れとなっており、その修復のための工事とのことですが、類似の林道は五万とあり、通行できているのに御巣鷹の尾根に通ずる林道だけが9月20日までかかるというのはよく理解できませんでした。

 以下は慰霊の園の事務所にあった通行止めとその解除についての告知です。しかし、この告知は、遺族はまだしも、その親類や友人等にどこまで伝わっているのか??です。


通行止め及びその解除についての告知。慰霊の園にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-8-27

 ちなみに、慰霊の園を訪れていた遺族やその関係者もは、いずれもその前後に、「昇魂の碑」がある村道2206号の通行止めまで 行ってみたものの足止めにあっていたようで、通行止めゲート前にお花を手向け引き返した方もあったようです。

つづく