「杉並病」を風化させないために 〜研究者らで現場を実査〜 その1 青山貞一 環境総合研究所長 武藏工業大学環境情報学部教授 2007年12月23日 |
読者は、「杉並病」を覚えていらっしゃるだろうか? 杉並区井草にあり、その昔は東京都、現在は杉並区が管理している一般廃棄物のうち、プラスチックなどの容器を中央防波堤の最終処分場に処分する前に圧縮、成形しているのが杉並中継所である。いわゆる不燃ゴミを圧縮し圧縮して容量を減らすための施設である。 杉並中継施設(地上部)を西側から見たところ。排気塔が見える。 1996年(平成8年)2月、東京都清掃局が建設した杉並中継所の試運転が行われたが、中継所で試運転が行われてまもなく、中継所の北北西地域(練馬区)や南〜南西地域(杉並区)にかけ、現在でいうところの化学物質過敏症の症状が多発した。 「杉並病」はそれらの症状をもつ疾病をさす。咳、のどの痛み、目がちかちかするといった症状や呼吸困難などが主な症状だ。人によっては救急車で運ばれた。 杉並病問題は、その後、症状を持つ地域住民とそれを支援する科学者らが東京都や杉並区に原因の実態調査、疫学調査などを依頼。最終的に国の公害等調整委員会、いわゆる公調委で審議されることになる。 しかし、東京都側は施設設置当初、排水から漏れ出た硫化水素(H2S)汚染を原因物質とし、それに限って損害賠償の一種を認めるとしたが、実際には賠償を申請する患者はほとんどいなかった。 国の公害調停は実質的に不調に終わったが、それに不満を持つ患者の一部が原告となり、東京都を相手に提訴した。東京地裁の一審判決は東京都の言い分そのままのものとなった。 原因物質が明らかな場合であってもこの種の事件、問題は行政、司法いずれも解決が容易でないことは、水俣病など歴史が証明しているところであるが、こと「杉並病」は原因物質の特定がはじめから困難を極めた。 杉並病研究者である小椋和子氏によれば、中継所に持ち込まれるプラスチック類には、1000種以上の可塑剤、難燃剤などの添加物が使用されており、燃やさなくともこれらが大気中に蒸発するという。 中継所周辺に多くの「杉並病」の症状を持つ被害者が存在したものの、では一体何の化学物質、有害物質によってそれらが起きたのかは、東京都や杉並区が換気塔からの排気や環境中の大気をサンプリングし測定分析しても、必ずしも明確にならなかった。 もちろん大気を採取してガスクロマトグラフ質量分析(GC/MS) Gas Chromatography-Mass Spectrometerなどによる分析では、それなりに有害物質が検出され化合物名も同定された。さらに検出はされたものの、物質名が不明のものも多数あるという。 しかし、環境大気中で検出される物質の多くは低濃度だったり、我が国の場合、国が大気汚染防止法などで指定している物質はごくわずかなこと、また環境基準がきわめて甘いことなどもあり、これが原因物質であると断定することは困難を極めた。 さらに、仮に排気や環境大気中に有害物質が含まれていても、住民や患者の居住地での濃度がどうなるのか、裁判でいうところの「到達」問題が東京都などの調査ではまったく不十分であった。 東京地裁の裁判のなかで、被告の東京都は排気塔なりその下にある排気口から排出される物質は1万2000分の1以下に拡散され希釈されるという論理を展開。裁判長をそれを真に受け、仮に有害物質が環境中に排出されることはあっても、住民への到達はほとんど問題にならないとした。まさに根拠薄弱な東京都の言い分を追認したことになる。 .... この秋、弁護団から同裁判の控訴審に向け、換気塔や換気口から原告ら、地域住民に汚染物質がどう到達するか、気象、地形、建築物、構造物などを考慮した本格的な汚染の移流、拡散シミュレーションと解析、評価をして欲しいという依頼があった。 実は国の公調委の終了間近な時期に、同様の調査の企画書づくりを友人の弁護士から依頼されていたが、遺憾にも当時、実際に調査に至らなかった。同調査は国が費用をもつという前提だったので、冬休み返上で企画書を書いたこともあり、非常に残念であった。 くしくも今回、再度、調査を環境総合研究所に依頼されることになったわけだが、私は、この際、社会はもとより研究者にさえ忘れられかけているこの「杉並病」を再度、社会問題化するためにも、裁判だけでなく、支援科学者、関心を持つ人々に、私たちが行う現地調査に加わってもらい、さらに議論しようと考えた。 2007年12月22日午後3時30分、杉並中継所に環境総合研究所の青山、池田、鷹取、支援科学者、弁護団、関心を持つ研究者らが15名ほど集まり、中継所、井草森公園、杉並区側の住宅地、練馬区側の住宅地などをくまなく歩いた。 下の図は、杉並区の井草森公園の案内図。 看板中、左上(北西)部分が杉並中継所への入り口。入り口は右上(北東)の新青梅街道沿いにもある。中継所で実際に圧縮、成形、梱包などの作業をする施設は公園の地下にある。 上記看板中、左上部分が杉並中継所の入り口。圧縮などの 施設そのものは地下にある。 中継所の真隣にある井草森公園の前にて。 池田こみち環境総合研究所副所長。 以下は、衛星画像で見た現在の杉並中継所周辺地域である。緑に矢印が中継所の地上部の入り口。今回の現地調査では、ほぼ以下の地域全体を全員歩いて実査した。 衛星画像で見た現在の杉並中継所周辺地域 緑に矢印が中継所の地上部の入り口。今回の現地調査では 下の写真は中継所からの排気塔と排気口。排気は「塔」部分とその下の「口」からなされる。 地下にある中継所施設から排気される排気塔と排気口。 下の箱の丈夫が換気口。 10年ほど前に来た時には排気塔以外は野原とグランドだけだったが、現在、排気塔の周辺はラディッシュの野菜畑となっていた。 換気塔周辺は野菜畑となっていた。 作物はラディッシュ(だいこん)の一種の模様 野菜畑からグランド方面を見る 上記の野菜畑と南側にあるグランドの境界線上にあるスロープ。両者の高低差は約4m。 野菜畑とグランドの境界線。高低差は約4m 原告や多数の患者が居住する杉並区側の住宅地を実査した。 中継所施設地上部玄関前にある小千谷学生寮。 新潟県小千谷から東京に来た学生の寮。 杉並区側の周辺住宅地を歩く参加者 地形的には、杉並中継所から南側さらに井草駅側に向け、順次、下がっている。もっとも下がったところに昔、川、現在は暗渠がある。おそらく冬場の北風により排気塔、排気口から排出される各種汚染物質は地を這うように南側のグランドを経由し、地形上下がった住宅地にあまり拡散せずに滞留することが予想される。 杉並区側の住宅地を歩く参加者 江戸時代から水路があり、現在暗渠となっている地域。 一番井草駅側の住宅地 途中から雨が降り出したが、全員で中継所の北北西にある練馬区側の住宅地も実査し、患者の家にも立ち寄った。 練馬区側の住宅地を実地照査する参加者 現地調査、実査を終えたあと、杉並区の井草区民センターの2階5号室で青山が司会をするなかで、被害者、弁護士、支援科学者、環境研究者、医者、住民、NPOなどで会合をもった。 現地調査終了後、杉並区の井草区民センターで会議を開催 まず、環境総合研究所が調査研究を行うこととなった経緯を青山が説明した後、全員が自己紹介した。自己紹介でわかったことは、「杉並病」の被害者はもとより、係わった研究者、科学者、医者ら全員が、怒りをもっていることであった。また疲れ切っていることであった。 怒りの矛先は、いうまでもなく東京都、杉並区など行政機関である。全員で約2時間議論した。議論の概要は<その2>で報告したい。 つづく |