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西安事変記念館1 (Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月  更新:2020年4月1日
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本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料などに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています。 

◆西安事変記念館1
Xi'an 中国西安市)

 西安事変記念館は、西安城壁の東門近くの城壁外にあります。

 私達は西安到の翌日午後、西新街にあるホテルから東新の東はずれにある東門まで歩いた際、記念館の前を通りました。というのもすでに夕方になており、記念館はすでに閉館していたからです。

 以下はそれを示すグーグルマップです。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 以下は西安事変の概要です。この西安事変によりいわゆる第二次「国共合作」が進み、抗日民族統一戦線の結成がもたらされました。その中心にいたのは張作霖の息子、張学良です。事件のいわば首謀者である張学良は、事件を起こした責任をとるとして、自ら進んで国民政府の軍法会議にかけられるも、50年間に渡り軟禁されることとなり、軟禁解除後100歳まで長生きし、2001年にハワイで客死しています。

 共産党側からすれば、この西安事変により「国共合作」が進み、抗日民族統一戦線が強化されたと言う意味である種の英雄扱いされています。西安事変記念館同時に張学良将軍公館にもなっています。

◆西安事変とは(概略)
 1936年 12月 12日,共産軍討伐のため陝西省の西安に駐屯中であった張学良麾下の東北軍と楊虎城の十七路軍が,南京から西安へ督戦に来た蒋介石を監禁し国共内戦の停止と挙国一致による抗日を要求した事件です。双十二事件とも呼ばれます。一時国民党が西安攻撃の構えをみせ緊張状態となりましたが,斡旋にあたった共産党の周恩来の要求を蒋介石がいれたため,同月 25日に釈放され,周恩来の政治手腕が脚光を浴びました。翌日,蒋介石は共産党と連合して抗日にあたる旨の声明を発表したため,第2次国共合作が進み,抗日民族統一戦線の結成がもたらされました。張は事件解決直後,蒋が南京に戻るときに軟禁され,49年台湾に連行されましたた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 以下の写真は、西安事変記念館(張学良将軍公館)の門です。


出典:中国 百度百科


出典:中国 百度百科


出典:中国 百度百科


出典:中国 人民網


出典:中国 人民網



出典:Enjoy Life グーグルストリートビュー


出典:Enjoy Life グーグルストリートビュー


出典:Enjoy Life グーグルストリートビュー 


出典:Enjoy Life グーグルストリートビュー 


西安事変つづく