エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行
シルクロードの今を征く Now on the Silk Road

ヴェネツィア( Venezia、イタリア)

国立考古学博物館 (ヴェネツィア)
(Museo archeologico nazionale di Venezia)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
<ヴェネツィア総合メニュー> <博物館2>

国立考古学博物館1  国立考古学博物館2  国立考古学博物館3  国立考古学博物館4
国立考古学博物館5   国立考古学博物館6  国立考古学博物館7  国立考古学博物館8
国立考古学博物館9  国立考古学博物館10  国立考古学博物館11 国立考古学博物館12
国立考古学博物館13

 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆ヴェネツィア国立考古学博物館2

歴史

 国立考古学博物館は、16世紀にヴェネツィア人家族であるグリマーニ家からの寄付によって創設されました。

グリマーニ・コレクション

 1523年、ドメニコ・グリマーニ枢機卿(1461年~1523年)は、ヴェネツィア共和国に個人のコレクションである古代彫刻群を遺産として残しました。これらの作品のほとんどは、枢機卿が住居を建てていたローマのクイリナーレ近くのブドウ園から出土したものです。

 1563年からはドメニコ・グリマーニ枢機卿の孫、ジョヴァンニ・グリマーニ(Giovanni Grimani、1500~1593)が、それらグリマーニ枢機卿のコレクションを収容するため、サンタマリア・フォルモサにある家族用の宮殿のホールを拡張し彫刻群を収容・保存することに尽力しました。

 宮殿の1階に収容されていたおよそ200のギリシャとローマの彫刻は、美しく整除され中央ホールに置かれました。これらのコレクションは、ローマにある家族の所有物の彫刻、ヴェネツィア本土とイストリア半島の海岸からの大理石、そしてギリシャからの古代彫刻を含みます。

  1587年、これらのコレクションはヴェネツィア共和国にも寄贈され、2月3日にジョヴァンニとの合意により上院議員はすべてのグリマーニの大理石がマルチャーナ図書館(下記注参照)の収容用倉庫に収容されていることを確認しています。

注)国立マルチャーナ図書館(Biblioteca nazionale Marciana)
 国立マルチャーナ図書は、イタリアのヴェネツィア、サン・マルコ広場の一角に建てられたルネサンス建築の図書館です。マルチャーナとは、ヴェネツィアの守護聖人である聖マルコを指します。イタリアでも最も古い図書館の一つで世界的に見ても随一の古い文献コレクションを保管している図書館です。以下のグーグルマップで国立マルチャーナ図書館を確認できます。


出典:グーグルマップ

 1593年、コレクションが終わる前にジョヴァンニ・グリマーニ(Giovanni Grimani、1500~1593)が亡くなり、死後、ヴェネツィア共和国の上院議員はフェデリコ・コンタリーニ・コレクションにキュレーションを依頼しました。これらは10もの評議会を経由し家長の孫との合意に達することができましたが、できなかった他のものは「公の彫像」(Statuario pubblico、後の考古学博物館)に運ばれる一方、ローマにあるグリマーニ宮殿に一部の彫刻を残すことにしました。これらの作業は1596年に完成しました。フェデリコ・コンタリーニによる寄付の寄与するところが大です。

 その他の作品の寄付としては、1683年にピエトロ・モロシーニ(Pietro Morosini、下記注参照)のメダルが、また1795年にはジローラモ・ズリアン(Girolamo Zulian)が古代の宝石と花瓶を寄贈されました。 18世紀にアントン・マリア・ザァーネ(Anton Maria Zane)iが目録を書いたことで彫像のレイアウトとその外観を知るに至りました。

注)ピエトロ・モロシーニ(Pietro Morosini)
 コンタリーニLatin Petrus MaurocenusのPietro Morosini(ヴェネツィア、 - 1424年8月11日、Gallicano nel Lazio、記注参照)は、イタリアの法学者であり、聖職者でした。ボローニャ大学で法のヴェネツィア共和国と博士号の貴族の子孫、彼はまた彼の時間の中で最も有名な司法会議の一つとして評判されおり、パドヴァの法令の教授だった。彼は1424年に亡くなり、ローマのサンタマリアヌオーヴァ教会に埋葬されました。


注)ジローラモ・ズリアン(Girolamo Zulian)
 ジローラモ・ズリアンはベネチア外交官。大使時代、ヴェネツィア共和国に1779年 - 1783年、また1783年 - 1789年はコンスタンティノープルに赴任。芸術の守護者であり、ドゥカーレ宮殿のアンティキータ博物館の最も重要な寄贈者の一人でした。イスタンブールではaegyptiacaを集めた。またズリアンは若い彫刻家アントニオカノーヴァを採用し、170以上の古代彫刻を集めました。


 1811年、さらなる寄付があり、彫像作品のいくつかはドッカーレ宮殿に展示されなければならない程増えました。


Questa foto di Museo Archeologico Nazionale di Venezia e offerta da TripAdvisor.


20世紀

 第一次世界大戦中、ドゥカーレ宮殿に収容されていた作品がフィレンツェに移され、その後、1919年から1920年の間にヴェネツィアに戻ってきました。芸術的な流れと歳月に対応し博物館の作品数は増え続けました。


国立考古学博物館3つづく