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秦始皇帝・兵馬俑・博物院概要(百度百科12)

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は秦始皇帝陵博物院の展示物を紹介する百度百科12です。

◆秦始皇帝陵博物院  百度百科12

  

【36】秦時代の銅製矢筒(箙:えびら⇒矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器のこと)


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、銅の矢を入れる容器は長方形の箱形で、底は弓なりで左右両側どちら側にも蓋が出来るようになっています。箱本体には絵柄模様があり、内側には銅製の矢が54本装備されていました。この種の矢箱(多くの場合直方体で蓋がついたもの)は、実物も図や資料でも今までに見たことがないもので、初めて出土した遺物です。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


【37】秦時代の銅製鏃(矢尻)


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、秦の始皇帝陵西側の銅製車場陪葬坑から出土し、これらは、秦陵一号銅製馬車の上の付属品でした。一号車の上にあった矢箙のなかには54本の銅製の矢があり、その中の4本は頭は平たく、鏃の形は異なっていました。その他の50本は、先が尖り、4本の出っ張り(畝や角)がついている鏃でした。頭部が平らな箭鏃は矢鏃であり,古い名は「志矢」と言います。

漢時代には平題と言われ,後の時代には骨矢、或いは骨鏃と言われ,これらは一種の練習のときの礼儀として用いられたものです。銅製鏃は全体が白く塗られていて骨鏃のように見えます。鏃の断面は鋭く菱形をしており、クロスボー(弩)のための金属製の鏃がついている矢であったと思われます。この主の矢尻は強力なクロスボー(弩)用で、スピードは速く、深く突き刺さり、殺傷力も強い矢尻です。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。

 この主の矢尻は強力なクロスボー(弩)用で、スピードは速く、深く突き刺さり、殺傷力も強い矢尻です。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


【38】秦の立ち姿御者(騎手)の俑


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の陶器で、高さは91cm、重さは70.60kg、秦の始皇帝陵西側の銅製馬車倍葬坑から出土し、秦陵一号銅製馬車の御者の俑です。

 御者(騎手)は頭にヤマドリの羽で飾られた冠(鹖冠)を着け、長い上着を身につけて、青銅の剣を背負って、両手で謹み深く轡を握り、両目はしっかりと前を向いています。表情は落ち着いて静かで厳粛ななかにも僅かにリラックスした様子も見えます。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


【39】秦の座った姿の御者(騎手)の俑


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 神事痔の陶器で、高さは51cm、重さは51.92kg、秦の始皇帝陵西側の銅製馬車陪葬坑から出土したもので、秦陵二号銅製馬車の上の御者(官)俑です。御者の身体には彩色で絵が描かれ、頭にはヤマドリ冠をつけ、長い上着をまとい、腰には革製の帯を着けて下は長ズボン、秦の俑坑から出土した高級軍吏俑と似ています。これは一定の爵位のある軍吏を意味しています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


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