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  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road
 莫高窟  (甘粛省敦煌市)
 百度百科12


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 起点の西安の次は中国敦煌市莫高窟の百度百科12です。

◆莫高窟 百度百科8(Mogao Caves, 中国敦煌市)


Source:Wikimedia Commons 

中国の保護

1944年、国立敦煌美術館が設立され、常書鴻が所長に任命され、敦煌莫高窟の保護と研究活動が公式に始まりました。

1950年、敦煌芸術研究所は敦煌文化財研究所に改められ、国が、敦煌文化財の保護、維持、研究に正式に参加しました。

1951年、文化省は清華大学と北京大学の古代建築の修復や考古学の専門家に莫高窟保護の現状調査を依頼し、保護計画を策定しました。その後の10年間で5箇所唐と宋時代の木造建築物が修復されました。維持強化については、3箇所の崩の崩壊場所と何百もの洞窟を修復しました。

1961年、敦煌莫高窟が国家の文化財保護の対象施設としてリストされました。

1963年から1966年にかけて、敦煌莫高窟の576メートルの崖面と354の洞窟の修復と補強の第三期が完了しました。

1983年、中国敦煌トルファン学会が設立されました。

1984年、敦煌文化財研究所は敦煌研究院に改名され、段文杰が学部長に任命され、同年、莫高窟の南側階段26段と172メートルの断崖の補強工事が完成しました。

1987年、敦煌莫高窟がユネスコの「世界文化遺産」に登録され、同年、日本人の青山慶示氏がが敦煌研究学院に敦煌文化遺跡8点を寄贈され、失われたチベット仏教の文化財が中国に返還されました。

1988年、国家文化遺産管理局、敦煌研究院、および米国のゲティ(財団)保護研究所は、敦煌莫高窟を保護するための国際協力プロジェクトに署名し、同年、東京国立文化財協会との協力保護プロジェクトに署名しました。

1993年、敦煌研究院と米国のゲッティ保護研究所と中国文化財研究所が共同で最初の「シルクロードの古代遺跡保護に関する国際会議」を開催しました。

1998年、敦煌研究院は蘭州大学の敦煌研究所と協力して、共同で中国最初の敦煌学博士号の学位を申請を行い授与されました。

1999年から2002年、敦煌研究院は、米国のゲッティ保護研究所およびオーストラリア遺産委員会と協力して、「敦煌莫高窟の保護と管理のための基本計画」を策定しました。

2000年、敦煌で「チベット洞窟文化遺産の発見と敦煌研究の100周年」記念行事が行われました。

2001年、敦煌研究院と蘭州大学地質学科が共同で中国初の文化財保護研究センターを設立しました。

2002年、甘粛省の敦煌莫高窟の保護に関する規則が甘粛省人民会議の常任委員会によって検討され承認され、2003年3月1日に正式に施行されました。

2008年12月29日、莫高窟の歴史の中で最大かつ最も包括的な包括的保護プロジェクトとして、総開発投資2億6100万元の莫高窟保護および利用プロジェクトが承認されました。事業の内容は、保護と利用施設、崖補強と桟道整備、風と砂の防護、セキュリティなどが含まれます。中央の予算投資は1億8000万元以上で、残りの資金は甘粛省によって集められます。プロジェクト全体は2011年に完成する予定です。

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莫高窟の外観  出典:百度百科


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