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秋の信州を歩く(2)
小布施町@

青山貞一池田こみち・鷹取敦


27 September 2009
初出:独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁


 シルバーウィークの初日の2009年9月20日、長野県北部でユニークな歴史文化のまちづくりを進めている小布施町に青山、池田、鷹取の3人ででかけた。

 青山は長野県に特別公務員で行っていたとき、田中知事(当時)と小布施町にでかけたことがある。

 このときは小布施町と高山市の境界上にある雁田山が採石場となっていて樹木、植物が丸裸となっており、小布施町からの景観が悪化していた。そこで雁田山に植樹して自然景観を修復するための植樹祭で雁田山に知事と一緒に出かけた後、小布施町に立ち寄った。

 下のブログは、そのときに書いたものだ。当時、有名な小布施堂(和菓子屋)の副社長で私を案内してくれた、市村良三さんが今の小布施町長である。

青山貞一:信州自然探訪C小布施町
青山貞一:信州自然探訪D小布施町    
青山貞一:信州自然探訪E小布施町

 今回は、別荘→鬼押し出しハイウェー→国道235号線→大笹→国道144号線→鳥居峠→国道406号線→須坂→国道403号線→小布施町のルートで北軽井沢から小布施町に入った。走行距離は50km弱、時間は一時間ちょっとである。

 下は国道144号線の鳥居峠手前にある初秋の田代湖。



 下は国道144号線から国道406号線に入るところ。



 下は小布施町に入る直前の国道403号線上の標識。

 当日は、めずらしいほどの好天気。空も写真のように真っ青だ。



 小布施町に入った後、まずは駐車場を探す。下の写真は小布施町駅。








■小布施堂

 小布施町と言えば、小布施堂、私が、当時書いたブロブによれば「小布施町と言えば、葛飾北斎、そしてグランドデザインのないまちづくり、そして栗菓子で有名な小布施堂である。今回は、小布施堂の副社長、市村良三さんに小布施のまちづくりの背景、発端、歴史などを伺い、議論したあと、約1時間、小布施堂界隈をじっくり歩き、民家やひとつひとつのお店のなかにも入らせていただいた。市村さんによれば、小布施町は昭和42〜43年、ほとんど誰も来ない人口9000人の小さな町だったそうだ」とある。


小布施堂

小布施堂


小布施堂本店



 以下は、小布施堂創業からのお客へのメッセージである。


小布施堂へおいで下さい

 小布施堂は小布施の歴史に敬意と誇りを感じています。異文化を受け入れる真摯な態度は、北斎を温かく迎えた江戸時代だけのことではなく、昭和七年、聖公会カナダ支部から新生結核療養所を進んで受け入れたこと、或いは戦後民主主義による公民館制度が全国的に設けられる中、初代公民館長には小布施の人ではなく当時疎開されていた林柳波先生をお迎えしたこと、こうした小布施の遺伝子こそは将来に伝えたい第一かもしれません。

 小布施が受け継いできた町並みや農家の佇まい。私たちが感じる小布施らしさは、私たち自身の何物にも換えがたい宝です。気張らないさりげない蚕室や納屋や長屋門などは、小布施や北信地方の先人たちの営みの積み重ねを語り掛けています。
 こうしたコトやモノのすべては、過去から受け継ぎ未来へ渡す「預かり物」だと確信しています。土地も「預かり物」です。まして私たちの精神こそは受け継ぎそして伝える「預かり物」の最たるものではないでしょうか。

 客人(まれびと)を心からもてなす。自分の家に泊め、心づくしの手料理でもてなす。これも先人たちが心掛けてきた美風です。小布施堂が設(しつら)えてきた「本店」「傘風楼」「鬼場」「蔵部」はこれに替わるものとの考えからです。「桝一客殿」もこの考えの一環です。

 建物は解体移築した長野市の商家の土蔵三棟を中心として町並み形成の一翼を担い、内部は西洋式です。シティーホテルでもリゾートホテルでもない「客殿スタイル」とでもいうべき独自の宿泊施設となりました。そこに流れるのは先人の客人を迎えた精神性で、範とするのは私たちのもてなしの思いだけです。

 とりわけ重視したいのは「ご家族連れ」です。家族旅行にとって西洋式の宿泊施設は、部屋が二つに別れ、もっとも楽しいはずの家族そろっての語らいの場がありません。「桝一客殿」は一家族一部屋ですごせるような工夫と室礼(しつらい)を追求しました。そして料金も部屋売りを原則に考えています。こうした客人と小布施の人々との間に新たなそして可能性に満ちた交流が生まれてくれたらとの願いをこめています。

小布施堂 主人
市村 次夫



小布施堂を背景に


■栗のこみち


小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち


小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち

 
小布施堂の裏側路地、通常、栗のこみち


栗のこみちの池田こみち


■高井鴻山記念館

 栗のこみちには、高井鴻山記念館の裏門がある。

 高井鴻山は、豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった。その高井鴻山に関する資料が高井鴻山記念館集積・展示されている。

 おびただしい数の作品もさることながら、鴻山の書斎鋤Z然楼(ゆうぜんろう)など当時の面影を色濃く残す建物群が訪れる人の心を揺さぶります。例えば鴻山が北斎のために提供したアトリエ碧諸ハ軒(へきいけん)は、ひと間しかない極めて質素な一軒家にすぎないが、そこには北斎の面影と彼を慕った鴻山の想いが感じられ、それはガイドブックや書籍では絶対に伝えることのできない“当時を生きた人の残り香”と言えるだろう。


高井鴻山


■北斎館

 ところで、誰も来ない人口9000人の小布施町、それが一変したのは、岩松院の天井画、八方睨みの鳳凰図で全国的に有名な葛飾北斎を記念する「北斎館」を昭和51年に小布施町に開館したときからだった。


北斎館の入り口



●葛飾 北斎(1760年10月31日 - 1849年5月10日)

 日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。天保15年(1844年)信濃国は高井郡小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。『怒涛図』などを描く。


葛飾北斎『怒涛図』

●北斎館

 晩年の北斎が4年間を過ごした信州小布施(現・長野県上高井郡小布施町。「#生涯年表」の「天保15年」、および、「#信州小布施の肉筆画」参照)にある博物館。昭和51年(1976年)完成。北斎の作品が多数展示されている。

北斎館(公式ウェブサイト)