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<奧会津>
下郷町の雪風景と大内宿

青山貞一
 
池田こみち
掲載月日:2011年1月2日
 独立系メディア E−wave 無断転載禁

第5次福島県内現地調査〜歴史文化編〜(2011.12.25-27)
@<北茨城>六角堂と岡倉天心 F<会津若松市>蒲生氏郷と鶴ヶ城
A<いわき市>勿来の関 G<会津若松市>蒲生氏郷と茶室・麟閣
B<いわき市>勿来火力の復旧状況   H<奧会津>西会津の冬景色
C<いわき市>岩間の復旧状況 I<奧会津>下郷町の雪風景と大内宿
D<いわき市>漁港の復旧・復興状況 J<奧会津>いつもと変わらない南会津
E<いわき市>豊間海岸と薄磯海岸

 現地調査3日目の2011年12月27日は、調査の最終日、会津若松市を南下し南会津に向かう。その後、那須塩原、矢板を経由し東京に戻る予定だ。



 下の地図は会津若松市から県道118号線、県道121号線で下郷町に向かうルートを示している。途中、大川ダム、大内宿などがあるが、何しろこの日は雪でほとんど何も見えなかった(笑い)。


会津若松市から下郷町まで県道118号線から県道121号線で向かうルート
出典:マピオン

 12月27日は、前日に続き、午前中は雪が舞っていた。車の窓の左を見ても、右を見ても雪ばかりだ。


会津若松市東山温泉から下郷町に向かう途中の雪景色
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.276

 道路の右端にあるのは風よけと雪よけのフェンス。一般道の至るところにある。おそらく横風と吹雪、ブリザードよけだろう!


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 下の写真にあるように、何しろ道路は雪だらけ。南会津に向かう途中の一般道路は、除雪もほどんどなく、交通量もないため、路面も真っ白である。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 私たちは外国の寒冷地、たとえばカナダのバンフや真冬のバルト三国、ポーランド、フィンランドなどをレンタカーで走ったが、南会津までの道のりはまさにカナダ・アルバータ州のトランスカナダ一号線あるいはリトアニアからラトビア、エストニアに向かう道路そっくりだった。両側の樹木も結構、針葉樹が多いのが特徴だ。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 118号線でやっと大川ダム近くまで来る。福島県も有力土建議員が多いせいか、そこいら中にダムがある。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 左の橋を越えて行くと福島県白河市に行く。私たちは南に直進する。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 下郷町に入って少し行くと、左が南会津、右が大内宿の分岐点にでる。天気が良ければ大内宿に立ち寄りたいが、何しろ大雪なので南会津に向かうため左折する。途中、下郷町あたりは路面が雪で覆われどこを走っているのかさえ分からない場所もあった。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 下は大内宿近くの道路。まさにカナダかバルト三国で見た雪景色である!


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 せっかくなので、道の駅やホテルなどで写した大内宿の情報を紹介しよう!

◆大内宿とは

 現在、福島県下郷町にある大内宿は、福島県会津若松市と栃木県日光市の今市を繋ぐ会津西街道又は下野街道と呼ばれる街道の宿場町だった。

 江戸時代に、街道が整備されると会津西街道は会津藩や新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代に使用され、経済的にも廻米道として利用されるなど重要視された。

 大内宿はまわりが山々に囲まれているため、独立した宿場町として発展、本陣をはじめ旅籠や問屋などが設けられ賑わいをみせていた。

 明治維新後は街道制度が廃止され主要交通機関から外れた事で大内宿も次第に人や物資の往来が減少し衰退してゆく。

 しかし、この明治政府の措置は、結果的に大内宿の町並保存にプラスの要因となり昭和の時代になっても、旧街道の両側には茅葺屋根の建物が軒を連ねることになった。

 その後、大内宿にも近代化の流れが訪れ、道路の舗装化や金属板葺きの屋根、アルミサッシなどが目立つようになったが、希有な江戸時代の町並みがそっくり残っていることもあり、、昭和56年(1981)に宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定されている。

 現在の大内宿は保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え、舗装道路も撤去され水路を復活するなど古来の大内宿の姿に戻りつつある。

参考:http://www.fukutabi.net/fuku/oouti.html

 欧州などでは、Old town、旧市街といって中世の古い町並をそっくり残すことで、世界遺産に登録されるなど、古さが観光資源となってまちが復活する例も多くある。建築物だけでなく、生活、食べ物などの文化も復元することで他のないまちづくりとなるだろう!

 下郷町の大内宿や東御市の海野宿などもそうなって欲しいものだ。

 下のポスターを見ると、雪まつりがあり、時代風俗仮装大会はじめ、真冬は真冬で行事がある。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 下は秋の大内宿である。紅葉とかやぶき屋根の町並みがうまくマッチして美しい。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8  2011.12.27

 一方、下は初夏の大内宿だ。新緑とかやぶき屋根の家並みがすばらしくマッチしている。私たちがよく行く、群馬県の薬師温泉にある「かやぶきの郷」を思い起こす!

 現在残っている江戸時代の宿場はどこもすばらしいが、大内宿は、まさに欧州の旧市街そのままに、町並みと建物、食べ物、農耕具などが残されている。


初夏の大内宿  出典:Wikipedia


初夏の大内宿  出典:Wikipedia

 以下はWikipediaによる大内宿とその周辺地域の地形、地勢、気象だ。
 
◆大内宿

 大内宿は南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には「半農半宿」の宿場であった[4]が、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。

 大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。

 日本の本州最北端の県である青森県の夏泊半島付近から、ほぼ南西方向に岩手県、秋田県、宮城県、山形県、福島県と東北地方を縦断し、関東地方北部の栃木県那須岳連峰まで約500kmにわたって連なる脊梁山脈である。標高約1,000mから2,000m前後の山々が連なり、最高地点は岩手県に位置する岩手山(標高2,038m)である。

 東日本火山帯の一部である那須火山帯に含まれており、八甲田山、八幡平、岩手山、栗駒山、蔵王連峰、吾妻連峰、安達太良山、那須岳などといった火山が存在する。

 この山脈の名称である奥羽は、日本の律令制に基づいておかれた令制国である陸奥国(奥州)と出羽国(羽州)をあわせた総称に由来する。陸奥国と出羽国に見られるように、かつてよりこの地域を二つに分け隔てる山脈であった。現在も岩手県と秋田県、宮城県と山形県に見られるように、この山脈に境界が置かれている。

 日本の気候、特に東北地方の気候もこの山脈によって日本海側気候と太平洋側気候の二つに分け隔てられる。

 山脈の一部が十和田八幡平国立公園、栗駒国定公園、蔵王国定公園、磐梯朝日国立公園、日光国立公園に含まれる。

出典:Wikipedia

 ぜひ、今年の初夏にでも福島県内放射線調査の一環として、ぜひ、大内宿に来てみたい。

つづく