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2010年6月20日−21日、北海道夕張市に環境問題、ゴミ問題の解決に果敢にかかわる弁護士らによって組織されているゴミ弁連のシンポジウム、総会、現地視察にでかけた。 夕張市については、大学での自分の授業(公共政策論)で事例として扱ってきた。しかし、自分の目で夕張市の実情を見るのははじめてである。 ●夕張市の位置 夕張市は、北海道空知地方にある自治体であり下の地図にあるように、北海道の中央部に位置する。東京の羽田空港から北海道の新千歳空港までは約1時間半、そのあと、新千歳空港から夕張市の中心地までは、一般道を使い車で約50分である。意外と近い。東京からうまく乗り継げば、3時間以内で夕張市に到着が可能である。 出典:グーグルマップ 下の地図にあるように、夕張市から札幌市は直線距離で非常に近いが、自動車、鉄道ともにかなり迂回することとなる。JR石勝線などで新千歳空港から夕張に行くとなると、三角形の2辺を行くこととなり、また2回乗り換えがあるので2時間以上かかることになる。 出典:グーグルマップ 下は夕張の年表である。夕張は北海道開拓使雇ベンジャミン・スミス・ライマン探検隊が夕張川の上流に炭層の存在を推定したことから始まっている。夕張は、1990年に三菱南大夕張炭鉱が閉山したことで市内の全ての炭鉱が閉山している。 夕張の年表 1874年 北海道開拓使雇ベンジャミン・スミス・ライマン探検隊が夕張川の上流に炭層の存在を推定。 1888年 北海道庁の技師、坂市太郎がシホロカベツ川上流にて大炭層の露頭(「夕張の石炭大露頭」)を発見。 1890年 登川村を設置、村界告示され岩見沢村戸長役場の管轄となる。開拓者らの入植を開始。 1892年 夕張炭山の採炭開始、北海道炭礦鉄道 追分-夕張間開業(現在の石勝線)。 1893年 角田村(現在の栗山町)・長沼村とともに、由仁村に併合される。 1897年 由仁村戸長役場より分離、登川村戸長役場として独立。 1906年 二級町村制が施行される。 1907年 大夕張炭鉱会社が設立。 1912年 大夕張炭鉱会社を三菱合資会社が買収。 1918年 登川村を夕張町と改める。 1919年 一級町村制施行。 1920年 第一回国勢調査、夕張町人口51,064人。 1943年 市制施行、夕張市となる。 1959年 市長に橘内末吉が就任。 1960年 第九回国勢調査にて最多人口116,908人を記録。 1962年 大夕張ダム(シューパロ湖)完成。 1971年 市長に吉田久が就任。 1975年 北海道炭礦汽船夕張鉄道線廃止。 1978年 石炭の歴史村工事着工。 1979年 市長に中田鉄治が就任。 1981年 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。最終的な犠牲者は93名。 1983年 石炭の歴史村全村オープン。 1985年 三菱南大夕張炭鉱ガス爆発事故(死者62名) 1987年 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止。 1988年 開基100年、市制施行45周年記念式典挙行。 1990年 三菱南大夕張炭鉱が閉山、これにより市内の全ての炭鉱が閉山。 1991年 第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭を開催。夕張シューパロダム建設計画が発表される。 2003年 市長に後藤健二が就任。 2007年3月6日 深刻な財政難から、財政再建団体となる。 2007年4月27日 市長に藤倉肇が就任。 2009年4月20日 花畑牧場 夕張 直営ショップ開業 2013年 夕張シューパロダムの完成予定年。 年表の出典:Wikipedia ●夕張市の概要 夕張市は、下の表にあるように、日本を代表する炭鉱であり、かつて石狩炭田の中心都市として栄えた。夕張炭鉱の詳細については後述。紫色は、筆者がかつて行ったことがある地域である。最後の行にある西表島・内離島には、一昨年でかけたが、そこにもさまざまな物語があった(下の論考を参照のこと)。 ◆青山貞一:八重山諸島探訪 G船浮に残る悲惨な戦争の爪痕
夕張といえば夕張メロンの産地として全国的に名高い。 ところで夕張の地名の由来は、アイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」となっている。ちなみに私たちが夕張市で泊ったホテルの名称は、ホテル・シューパロである。シューパロとは「みなもと(シ)」と「鉱泉が湧き出る所(ユーパロ)」というアイヌ語の合成名だそうだ。このように北海道各地の地名は札幌はじめアイヌ語からきているものが多く、なかなか興味深い。 宿泊した夕張市のホテル・シューパロ 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 夕張市は空知地方南東部の山間地に位置している。往時の夕張市の人口は市域の西側、紅葉山地区から夕張地区まで、谷間を縫うように走るJR石勝線夕張支線に沿って集中していた。 シンポジウム会場となった市民会館の3階から撮影した夕張市内 撮影:鷹取敦、Digital Camera Casio Exilim EX-H10 夕張市役所は過去に夕張炭鉱があった谷合いの集落の最北部に設置されている。 この夕張市は、夕張山地と空知山地に跨る石狩炭田の南部に位置し、かつては市内に多くの大きな炭鉱があった。また市域東側には山林が広がり、その山林や集落部から流れる川は南部で合流し、夕張川として南部を渓谷を作りながら流れている。 現在の夕張市役所(思いのほかはこものは立派) 撮影:鷹取敦、Digital Camera Casio Exilim EX-H10 市内の最高峰は、夕張岳。1,668 mある。また市内には冷水山(702 m)もある。一方、河川には夕張川がある。また、シューパロ湖という大きな人工湖(ダム)がある。今回ダム問題は対象外であったが、このダムについてはシンポジウムの翌日、現地調査した。というのも、このシューパロ湖の「上」にさらに巨大なダムを建設しようとしているからである。このダムの完成予定年は2013年となっている。 シューパロ湖 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 夕張市には最盛期、12万人も市民がいた。しかし、現在は何と1万人ちょっとまで減少している。下の写真にあるように、実際、夕張市の町の中心部を歩いていても、ほとんど人影はなく、まさにシャッター通り化している。 夕張市の中心地 2010年6月21日朝撮影 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 下は宿泊先のホテルの窓から撮影したものだが、本当に人影がない。 夕張市の中心地 2010年6月21日朝撮影 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8 つづく |