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千葉県北東部短訪

⑥猿田神社
 

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
独立系メディア E-wave Tokyo

1:大原幽学  2:大原幽学  3:椿海  4:香取神宮  5:犬吠埼 6:猿田神社 


 
犬吠埼訪問の後、銚子市にある猿田神社を訪問した。猿田神社でも駐車場が遠いので、とりあえず青山が下りて歩いて神社に行き、池田は車を駐車場に置いてから合流した。

 実はこの猿田神社の参道に
「先神橋」というJR総武本線をまたぐ橋がある。これは、1897年(明治30年)総武鉄道が銚子まで開通したときに参道を分断してしまうことになったため鉄道会社により造られたものである。

 この神社は神仏習合の名残で、仏滅(六曜#仏滅)の日は社務所が休みとなるとのこと。

 下は猿田神社の参道が総武本線をまたいでいることを示すグーグル地図だ。青山は二之鳥居まで車で送ってもらい、下りて石段を登り、神社に向かったが、池田は駐車場を探してから神社で合流した。

 以下の写真は一之鳥居から見た猿田神社の参道で、この先に「先神橋」がある。


出典:藤田力氏、グーグルマップストリートビュー

 以下の写真は二之鳥居から見た猿田神社の参道で、この先に「先神橋」がある。


出典:SEKIZAWA YOSHIFUMI氏、グーグルマップストリートビュー



撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 下はグーグルマップで見た一之鳥居、一之鳥居、「先神橋」、猿田神社境内である。左右を横切る白い線はJR総武本線であり、


出典:グーグルマップ

 下の写真は参道が総武本線をまたぐため「先神橋」があり、高い石段となっており、その最上段から二之鳥居を写した写真である。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 これは参道が総武本線をまたぐ部分。写真手前が神社側。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下の写真が「先神橋」。

趣あるレンガ橋
猿田神社参道を進むと現れる何やら趣のあるレンガづくりの橋。先神橋といい明治時代に総武鉄道猿田駅開業にあわせてつくられました。橋の下を走るのはJR総武本線。
 出典:千葉県銚子市


出典:千葉県銚子市

 以下の写真は先神橋の上からフェンスの網の目から総武本線の線路を撮影したもの。しっかりと線路にピントがあっている(嗤)。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 その後、さらに神社本殿に向かうための賛同の石階段。おそらく日本でこのような複雑な参道はこの猿田神社以外にはないだろう。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900


猿田神社の概要

 下は平安時代(807年)に創建され、その後兵火で焼かれたのち、1574年に再建された猿田神社の社殿。

 猿田神社には猿田彦大神・天鈿目命・菊理媛命が祭られ、三間社流造りの本殿は県指定の文化財に指定されている。


猿田神社の社殿
撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900



猿田神社の社殿
撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下の写真で�左に写っているのが水盤舎、この写真の右側が「先神橋」経由で来る人の階段の上となる。


猿田神社の社殿
撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は本宮方面の案内。


撮影 青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 猿田神社には、以下の力石があった。


出典:gt gonbuto グーグルマップストリートビュー


◆猿田神社
 概要

 猿田神社は、千葉県銚子市猿田町にある神社。古くから八方除けなどで信仰されている。猿田彦大神・天鈿女命・菊理媛命を主祭神とする。

由緒

 社伝によれば、垂仁天皇25年11月25日の創建とされ、神功皇后の御世に生田神社の摂社になったという。大同2年(807年)に社殿を造営、康平年間(1058年 - 1065年)には源頼義が神田を寄進し、鎌倉時代以降も武家の信仰が篤く源頼朝も寄進したと伝えられ、足利晴氏は金印を奉納をし当時のものという印が現存する。

 永禄9年(1566年)海上氏と安房正木氏との合戦で社殿を焼失、元亀年間に再建するも天正元年(1573年)に再び焼失、翌天正2年(1574年)に再建し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものである。なお、天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進した。

 庚申の年(60年ごと)に式年大祭神幸祭がある。

文化財
猿田神社本殿附棟札1枚(千葉県指定有形文化財)
猿田神社の森(千葉県指定天然記念物


  かくして私達の千葉県北東部探訪も夕闇とともに終え、東関東自動車道を使って東京に戻った。