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アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2003~2020
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


ヴェスビオ博物館1

Museo Vesviano1

   青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

<ヴェスヴィオ総合メニュー>

ヴェスヴィオ博物館1 ヴェスヴィオ博物館2  ヴェスヴィオ博物館3

 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

<今回調査のハイライト・学術/芸術訪問>

 また対象地域の地質学的歴史や考古学的的事実に関する博物館調査も行いました。

第3回アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 <特別学術/芸術訪問>

 第三回調査では、以下の調査を行いました。このうち、ヴェスヴィオに関連する調査は、黄色に塗った、1)、5)、6)です。

 1)ヴェスビオ火山爆発地質学調査(ヴェスビオ博物館)場所:ポンペイ
 2)歴史的建造物調査(トーレ)           場所:プライアーノ
 3)歴史的建造物調査(領海内航行船舶からの徴税施設):
                              場所:プンタ・カンパネッラ海洋保護区
 4)歴史的建造物調査(プライアーノ大聖堂)    場所:プライアーノ
 5)考古学的都市調査(ビラ・ロマーナ博物館)  場所:ミノーリ
 6)考古学的都市調査(ビラ・アメーナ)       場所:ミノーリ



 以下は、博物館が一義的に調査研究、コレクションの対象としているヴェスヴィオを含む広域地域です。


ヴェスヴィオとサンタニェーロ、ソレント、アマルフィ海岸の位置関係と地形
 出典:Google Map


 以下は、博物館が一義的に調査研究、コレクションの対象としているヴェスヴィオ周辺地域です。


ヴェスヴィオとポンペイの位置関係と地形
 出典:Google Map



博物館の案内矢印
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


 以下は博物館の外観です。


ポンペイ市内にあるヴェスビオ博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


ポンペイ市内にあるヴェスビオ博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


 右側、遠くに見える塔は、ロザリオ聖母の巡礼聖堂の80mある鐘楼です。


ポンペイ市内にあるヴェスビオ博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


 以下は博物館の入り口です。博物館に入る直前の池田こみちです。


博物館の入り口の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


 6月4日、現地調査の二日目、ポンペイの宿泊先のB&Bからほど近いポンペイ市内にあるポンペイ・ヴェスビオ博物館を訪問しました。この博物館は、Museo Vesuviano といい、民間が設置、運営する西暦79年に大爆発したヴェスヴィオ山の主に地質に関する文物を展示する学術博物館です。入場料は無料でした。

 私達、ヴェスヴィオやポンペイにことさら関心をもつのは、私達の環境総合研究所がある群馬県北軽井沢が浅間山山麓にあり、天明3年に大爆発を起こし、溶岩や火砕流で多くの人々が亡くなり、鎌原村全体が灰の下に埋まった事実があるからです。

沿革

 博物館の設立は、ポンペイの守護聖人であるバルトロ・ロンゴが、1890年に20世紀前半の学術界で有名な機関である気象地球力学火山観測所を研究所にしたいと考えたたのが最初です。研究活動が完了すると、観測所は博物館に変えされ、責任者は科学者であり神学者であるジュゼッペ・メルカリの元教え子であるジョヴァン・バティスタ・アルファノに委ねられました。

 展示されちるた資料の多くは、当時の学術界の第一人者であり、ベスビウスと地震学全般に関する貴重なモノグラフの著者であるアルファノ( Alfano)自身のコレクションからのものです。その結果、彼にちなんで博物館に名前を付けることになりました。正式名称は、 Pompeii / Vesuvian Museum GB Alfanoです。

 アルファノのそれへのその後の指示は、構造を放棄と不可避の閉鎖という危機的な状況にもたらしました。1974年に復元された彼は、かつてバルトロロンゴの私邸であった、「イルヴィリーノ」と改名された新古典派の建物の1階に割り当てられ、現在は2、3階を含め博物館として使用されています。

 博物館は4つの部屋に分かれています。それぞれの壁には、紀元前79年から1944年までのベスビウスのさまざまな噴火を描いた版画が貼られています。これらに加え、さまざまな発見物が特別なショーケースに展示されています。それらはにはアンフォラ、ベスビウスからの岩や鉱物のサンプル、ローマのポンペイの寺院や場所の複製、油絵など。

ヴェスヴィオ(Vesuvio)の概要

 イタリア・カンパニア州にある火山。ナポリから東へ約9キロメーターのナポリ湾岸にある。現在は噴火していない。標高は1,281m。日本ではベスビオ火山と表記されることが多い。イタリア語ではヴェズーヴィオ。英語からヴェスヴィアス、ラテン語からウェスウィウス、あるいはヴェスヴィオスとも呼ばれる。狭義のヴェスヴィオ山を、ソンマ山(1,132m)とよばれる外輪山が取り巻いた複合成層火山。

 紀元後79年8月24日の大噴火が有名であり、この時、噴出物(火砕流)でポンペイ市を、泥流でヘルクラネウム(現在のエルコラーノ)を埋没させた。この噴火の様子は小プリニウスの書簡により詳細な描写が残されており、ヴェスヴィオ山のように大量の軽石や火山灰を高く噴き上げる大規模な噴火をプリニー式噴火というようになった。以降頻繁に噴火を繰り返している。最近の噴火は1944年3月22日のもので、サン・セバスティアーノ村を埋没させた。

 1880年には山麓から火口まで登山電車(フニコラーレ)が開通した。これを記念して作られた歌(いわゆるコマーシャルソング)がナポリ民謡『フニクリ・フニクラ』である。この登山電車は前述の1944年の噴火で破壊された(のちに1990年に復旧・再開された)。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)


ヴェスビオ火山の歴史地図
Carta storica del Vesuvio - 1888  Source:Wikipedia Italia
Source:Wikimedia Commons
By Bibliographisches Institut - vol. 16 of the 4th edition of Meyers Konversations-Lexikon, Public Domain, Link



ポインペイのヴェスビオ山噴火に関する民間の考古学博物館
撮影:青山貞一 Digital Camera Coolpix S8 2013-6-4



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4

 下はヴェスヴィオ博物館のパンフレットです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-4


 この博物館のスタッフは、資料を見ると研究者、技術者、事務員など総勢50人以上がおり、博物館の展示、管理だけでなく、たとえばヴェスヴィオ火山活動の監視や関連する調査研究なども行っています。


◆研究活動のひとつ ヴェスヴィオ火山の活動の状態視システム

 ヴェスヴィオ火山の活動状態は、地球物理学及び地球化学の観察を通じ常時?監視されています。これらのデータ計測はネットワーク監視技術を介して行われています。ヴェスヴィオ観測では地震活動、地盤変動、土壌、噴気孔からのガス排出量などが継続的に監視されています。

 また、地球物理学及び地球化学測定の定期的なキャンペーンが開催されています。さらに連続測定モニタリングデータは、自動化されたシステムによって分析され、さまざまな分野の研究者によって活用されています。

 以下は40秒ごとに更新されるリアルタイムモニターのデータです。

 火山監視リアルタイムデータ

 ヴェスビオの地震活動の監視画面
 

ヴェスヴィオ(火山)博物館2ヘつづく