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再短訪 片瀬・腰越
日蓮の足跡をたどる鎌倉の旅
寂光山龍口寺

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
January 28, 2022 Independent Media E-wave Tokyo


神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ龍口寺(りゅうこうじ)
Source: Wikipedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク

龍口寺と片瀬八ヶ寺  日蓮聖人の生涯概要
龍口寺  法源寺   常立寺  本蓮寺   腰越漁港  小動岬  昼食
本成寺  本龍寺   東漸寺  妙典寺   勧行寺   小動神社

◆1日で9寺をめぐる行き方

 龍口寺と片瀬八ヶ寺は以下の地図にあるように藤沢市片瀬と鎌倉市腰越にまたがって存在しており、江ノ電腰越駅から9寺すべてを徒歩で3時間~4時間で参拝することができる。

 なお、片瀬、腰越ともに道幅が極端に狭い場所が多いあるので、自動車の場合は、腰越漁港の駐車場(1日500円)に車を駐車させることで、徒歩で龍口寺と片瀬八ヶ寺でめぐることもできる。

 以下は9寺院の地番である。車の場合は、以下の地番をナビに入れれば問題なく行けるが、上述のように、寺に駐車場はあるものの、アクセス道路が非常に狭いので要注意である。

 龍口寺      藤沢市片瀬3ー13ー37
 龍口山本蓮寺、藤沢市片瀬3-4ー41
 龍口山常立寺、藤沢市片瀬3-14-3
 龍口山本成寺、鎌倉市腰越2-19-9
 龍口山勧行寺、鎌倉市腰越2-19-15
 龍口山妙典寺、鎌倉市腰越2-20-5
 龍口山東漸寺、鎌倉市腰越2-22-13
 龍口山本龍寺、鎌倉市腰越2-26-2
 龍口山法源寺、鎌倉市腰越5-1-17


龍口寺と片瀬八ヶ寺の位置
出典:グーグルマップ

 以下は中心となる龍口寺の位置である。江ノ電江ノ島駅から直ぐのいちにある。


龍口寺の位置
出典:グーグルマップ

日蓮聖人の生涯概要と龍口寺との関係。

文永八年(1271年)、日蓮聖人は、幕府や諸宗を批判したとして
捕らえられ、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかかるが、江の島の方
向から月のように輝くものが飛んできて、刀を三つに折り、処刑役
人は目が眩み、その場に倒れ、兵士たちは恐れおののき、斬首の
刑は中止され、その後佐渡流罪となった。 これが龍ノ口寺のもと
となった法難であり、腰越龍ノ口刑場跡に、滝口寺が創建されてい
る。
 

  なお、生涯概要は日蓮聖人の生涯概要を参照


龍口刑場跡を背景にした青山貞一
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28

 
 下は全9寺の中核をなす龍口寺境内の衛星地図である。
 

全9寺の中核をなす龍口寺境内
出典:グーグルマップ

 門は最下段(南、下)にあり、階段を登れば龍口寺の本堂は眼前である。もし車で龍口寺に来く場合は、以下の地図中、右下に寺の来客専用駐車場がある。但し、5台程度で一杯となる。その場合には、腰越漁協の駐車場に車を駐車させ、徒歩で寺巡りするのがよい。

 龍口寺は総門から右手に大書院、正面が本堂。その後、本堂前左の妙見堂、横穴墓、七面堂、五重塔で本堂に時計周りで戻るのが一般的だが、仏舎利塔に行くには、七面堂から仏舎利塔に行く狭い山道がある。

 下は全9寺の中核をなす龍口寺の衛星地図である。門は最下段(南、下)にあり、階段を登れば龍口寺の本堂に行ける。もし車で龍口寺に来た場合は、以下の地図中、右下に寺の来客専用駐車場がある。但し、5台程度で一杯となる。
 

寂光山龍口寺境内案内図

 龍口寺は総門から右手に大書院、正面が本堂。その後、本堂前左の妙見堂、横穴墓、七面堂、五重塔で本堂に時計周りで戻るのが一般的だが、仏舎利塔に行くには、七面堂から仏舎利塔に行く狭い山道がある。


はじめに

 
日蓮聖人(1222~1282)が武蔵野国(現、東京都大田区)の池上でご入滅(死去)された後、直弟子の日法聖人が、延元二年(1337)に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し、自作の日蓮聖人像と、首の座の敷皮石を安置したのが、寂光山龍口寺の始まりである。

 日蓮聖人の
四大法難(松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口)の中でも、屈指の霊跡とされる龍口寺は、篤信者であった島村采女が慶長6年(1601)に土地を寄進され、諸堂・境内地が整い、現在まで連綿と法灯を継承している。

 龍口法難会また、毎年9月11日・12日・13日を「龍口法難会」と定めて、厳粛にかつ盛大に大法要が営まれている。特に12日の夕刻から夜にかけ近在講中の人たちによる万灯が奉安され、門前には夜店も立ち並び、大変な賑わいを見せる。

出典:龍口寺公式Web

 日蓮上人は、千葉の安房鴨川の小湊でお生まれになられ、、

 以下は龍ノ「口刑場跡。


龍口寺山門前にある刑場跡  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28



龍口刑場跡
Source: Wikipedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク



龍口寺 本堂  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 大書院  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 大書院  藤沢市片瀬
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28



龍口寺 妙見堂  藤沢市片瀬
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 妙見堂  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 寂光殿  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28



龍口寺 御霊窟  藤沢市片瀬
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-1-28



龍口寺 御霊窟前の青山貞一  藤沢市片瀬
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 御霊窟の内部  藤沢市片瀬
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 御霊窟の解説  藤沢市片瀬
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


龍口寺 御霊窟石碑  藤沢市片瀬
撮影:池田こいち Nikon Coolpix S9900 2022-1-28


 龍口寺(りゅうこうじ)は、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。常用漢字体を用いて「竜口寺」と表記する場合もある。

歴史

 この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。

 その後延元2年/建武4年(1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。

 なお、本格的な寺としての格式を整えたのは腰越・津の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来のこととされている。

 1886年(明治19年)までは選任住職を置かず、片瀬八ヶ寺が輪番で維持していた。

 現住は15世本間日恩貫首(台東区善慶寺より晋山)、池上法縁五本山の一つ。

境内

本堂

 天保3年(1832年)竣工。法難時に日蓮が足元に敷いていた敷皮が安置されているため[3]、敷皮堂ともよぶ。木造欅造り。

五重塔

 明治43年(1910年)竣工。木造ケヤキ造で五重塔としては神奈川県で唯一。建造には竹中工務店が携わった。彫刻は一元流(藤沢彫川)の一元安信。全国的にも数少ない明治期の五重塔だが、近年老朽化が目立つ。

仏舎利塔

 昭和45年(1970年)9月12日竣工。龍口法難700年を記念し日本山妙法寺(藤井日達上人)が建立。塔内には仏舎利が安置されている。龍口寺裏山(龍口山)の高台にあり、かつては江ノ島や相模湾を一望のもとにできたが、国道134号・国道467号沿いに複数の高層ビルが建って以降、視界がビルにさえぎられるようになった。

御霊窟

 龍ノ口法難の際に日蓮が入れられていたとされる土牢。中には祖師像が安置されている。

島村采女墓

 龍口寺に寺領を寄進した島村采女はじめ、島村家代々の墓。本堂すぐ脇にある。


島村采女墓
Source: Wikipedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク

大書院

 昭和初年長野県(信濃国)松代藩の藩邸を移築、(通称:養蚕御殿)現在は大書院として使用。

七面堂

 江戸時代初期に身延七面山の七面大明神を勧請した。毎月19日には例祭が行われている。

 龍口寺は、日蓮宗門随一の霊跡本山。日蓮宗の開祖、日蓮聖人が身延山(現在の山梨県)に隠棲していた折り、日蓮聖人の読経と法語を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む龍の変化した姿であり、日蓮聖人の教化により、法華経の守護神、七面大明神として祀られるようになった。七面大明神の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天ともいわれている。龍口寺では、境内の七面堂にて、毎月19日13時から「七面天例祭」が、5月19日13時から年に一度の「七面天大祭」が行われ、家内安全、病気平癒などを願う多くの人が参拝する。

光松妙見堂(旧法善坊)

 享保5年(1720)建立。欅造り銅版葺。龍ノ口法難、光の松の材木で造られた妙見大菩薩を奉安する。

人歯骨塚

 明治14年(1881年)、水野房吉という入歯師が、歯・入歯の供養と入歯師の技術向上を願って建立したもの。(社)藤沢市歯科医師会では10年前に整備し、以来毎年6月の第一日曜日に供養祭を開催している。

文化財

登録有形文化財


以下の4棟の建造物が2021年に国の登録有形文化財に登録された[4][5]。

・妙見堂
・大書院
・鐘楼
・手水舎

・片瀬八ヶ寺

 片瀬八ヶ寺は、龍口寺を交代で管理した、片瀬、腰越の8つの寺院で、いずれも山号を龍口山という。龍口寺輪番八ヶ寺とも呼ばれる。文化財指定なし。

・龍口山本蓮寺(元大光山本圀寺末、潮師法縁、嘉元年間(1303年-1306年)頃改宗)、藤沢市片瀬
・龍口山常立寺(元身延山久遠寺末、潮師法縁、1532年改宗)、藤沢市片瀬
・龍口山本成寺(元妙厳山本覚寺末、潮師法縁、1309年建立)、鎌倉市腰越
・龍口山勧行寺(元経王山妙法華寺末、潮師法縁、1303年建立)、鎌倉市腰越
・龍口山妙典寺(元長興山妙本寺末、池上法縁、1313年建立)、鎌倉市腰越
・龍口山東漸寺(元正中山法華経寺末、小西法縁、1325年建立)、鎌倉市腰越(旧津村)
・龍口山本龍寺(元長興山妙本寺末、池上法縁、1302年建立)、鎌倉市腰越(旧津村)
・龍口山法源寺(元正中山法華経寺末、潮師法縁、1319年建立)、鎌倉市腰越(旧津村)
 
 この輪番制度は、延元2年(1337年)の敷皮堂建立から1886年(明治19年)太政官布達により龍口寺に住職が置かれるまでおよそ550年存続した。

 龍口寺建立以前から、日蓮宗徒から龍口刑場の地は神聖視され、護持のため腰越の六寺が順次建立された。その後、片瀬の寺院が日蓮宗に改宗され、輪番に追加された。

 なお、類似の輪番制度は佛現寺や身延山久遠寺の日蓮廟でも行われた。

旧末寺

 日蓮宗は昭和16年(1941年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

・妙鏡山川合寺(横浜市西区元久保町)
・川合寺末:長国山妙松寺(甲府市朝日)
・川合寺末:本光山燈明寺(木津川市加茂町兎並)
・妙見山上原寺(埼玉県北葛飾郡杉戸町鷲巣)

行事・イベント

龍口法難会


 日蓮の龍ノ口法難を記念して毎年9月11日〜13日に行われる。12日の夜18時、13日の夜0時に大法要が営まれ、参拝者には難除け牡丹餅が振舞われる。万灯練供養は12日夜に行なわれる。

湘南龍の口大骨董市

 毎月第三日曜日に境内で開かれる骨董市。近辺の骨董品店を中心に出店している。
片瀬諏訪神社例大祭

 毎年8月27日に行われ、パレード前の夕刻に片瀬の山車、屋台、下社神輿が龍口寺門前に集結する。


以下の出典は猫の足跡

龍口寺縁起

日蓮宗寺院の龍口寺は、寂光山と号します。龍口寺は、日蓮聖人が捕らえられ、当地龍ノ口で処刑されようとした「龍ノ口法難」の霊跡地に、日法聖人が延元2年(1337)に堂宇を建立して創建したといいます。江戸期には近隣八箇寺(常立寺・本蓮寺・本成寺・勸行寺・法源寺・東漸寺・本龍寺・妙典寺)の輪番で寺務を勤め、現在は日蓮宗の霊跡寺院(本山)となっています。

龍口寺

龍口寺の概要
山号 寂光山
院号 -
寺号 龍口寺
住所 藤沢市片瀬3-13-37
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -

備考 -

龍口寺仁王門 
龍口寺本堂 
龍口寺鐘楼堂 
龍口寺五重塔
龍口寺大書院
龍口寺寂光殿
龍口寺妙見堂


新編相模国風土記稿による龍口寺の縁起
(片瀬村)

龍口寺

 寂光山と號す法華宗(無本山、)文永八年九月十二日宗祖日蓮刑に當りし舊蹟たるを以て弘安の頃六老僧等力を戮せて創立し

(【註畫賛】曰云、龍口相州片瀬内也、伏案師弘通、及喪身失命、依善神護符、終免此大難云々、於彼所建立一寺、)即日蓮を開山となし、近隣八箇寺(村内常立・本蓮の二寺、腰越村本成・勸行・法源の三寺、津村東漸・本龍・妙典の三寺)にて輪番す、本尊は祖師日蓮なり(長二尺二分日法作)堂内に敷皮石(長二尺三寸五分幅一尺八寸)
と稱するあり (【註畫賛義】曰、鋪皮石古跡在于今、一方及三尺餘磐石也、)或は首の座石とも呼ぶ、是日蓮斬に當らんとして座を設けし石なりとぞ堂頭に敷皮堂の三字を扁す(寶鏡寺宮、墨蹟と云ふ、)毎歳九月十一十二兩日の會式には宗門の緇素群参せり、
【寺寶】

七字七幅。日蓮の眞跡なりと云ふ、

制札二通
七面社。寺後山上にあり、
番神堂。某年松平淡路守利次室(鳥居左京亮忠政の女なり、)再興すと云ふ、
鐘樓。寛永七年の鐘を掲ぐ、
日蓮士牢。本堂の西山麓にある岩窟を云ふ、日蓮厄難の時假に設けし牢なりと傳ふ、傍に膳窟と呼べるあり、同時膳所たりし遺址と云ふ、
經八稲荷社。(新編相模国風土記稿より)

「日蓮宗寺院大鑑」による龍口寺の縁起

延元2(1337)年9月の創立。開山和泉阿闍梨日法(暦応4(1341)年1月5日寂)。池上法縁、住職は池上・芳師法縁。竜の口頸の座刑場跡に建立された霊場で、文永8年に宗祖が捕われ、この刑場敷皮石の断頭場に据えられた処。弟子日法が一堂を建立、自ら宗祖像を刻み敷皮堂と称した。慶長6年、池上本門寺13世日尊が今日の大本堂を完成。当時は付近八ヶ寺が輪番守務していたが、明治19年の太政官布達により貫主制度が定められ、現第11世に及んでいる。山頂に白亜の仏舎利塔あり。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


法源寺へつづく