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<ヴェスヴィオ総合メニュー> トッレ・アンヌンツィアータ1 トッレ・アンヌンツィアータ2 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Wikipediaイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 アマルフィの位置 イタリア国旗 ◆トッレ・アンヌンツィアータ(Torre Annunziata、コムーネ) 以下は、トッレ・アンヌンツィアータの位置を示す地図です。トッレ・アンヌンツィアータはヴェスヴィオ山やポンペイの南にあります。 トッレ・アンヌンツィアータの位置 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0 it, リンクによる 出典:グーグルマップ Source:Wikipedia トッレ・アンヌンツィアータの風景 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 概要 トッレ・アンヌンツィアータ(イタリア語: Torre Annunziata)は、イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある、人口約4万2000人の基礎自治体(コムーネ)。 ヴェスヴィオ火山の南に位置する港湾都市である。オプロンティスの遺跡は西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火により廃墟となったもので、近隣のポンペイやヘルクラネウムとともに世界遺産「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」に登録されている。 1997年世界文化遺産に登録。16世紀に偶然発見されたポンペイの遺跡は、1748年から発掘調査が進められました。そうして発見されたのは、広場や市場、神殿、市庁舎、野外劇場、娼館、公共浴場、給水設備など多岐にわたり、当時の人々の暮らしぶりを知る貴重な遺構です。 このポンペイ同様、紀元79年、近隣のヴェスヴィオ山の噴火によって火山灰に埋もれてしまった遺跡がトッレ・アヌンツィアータです。トッレ・アヌンツィアータは、ポンペイから約2.5km離れたところにあります。 出土したオプロンティスのヴィラのひとつは、皇帝ネロの妻ポッパエアのものと考えられています。2つある区画のうち、西側は皇帝の部屋、東側は奴隷たちの区域となっていたとされます。籠と果物を描いた静物画やクジャクをモチーフとしたものなど、多くのフレスコ画が美しい状態で残っています。 ナポリ湾側から見たトッレ・アンヌンツィアータ Source:Google Map 人々は自分の持ち物、羊、牛を持って橋を渡って逃げます。 馬に乗っている人、カート。燃えている町。背景には、噴火 する火山が岩を噴出している。おそらく1631年12月16日の ベスビオ火山の噴火、トレデルグレコとトッレアンヌンツィアータ。 Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 位置・広がり ナポリ県中部のコムーネ。ポンペイから西北西へ約4km、州都・県都ナポリから南東へ約19km、サレルノから西北西へ約28kmの距離にある[4]。ヴェスヴィオ火山の南に位置する。 ナポリ・ヴェスヴィオ・ロードマップ Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク 隣接コムーネ 隣接するコムーネは以下の通り。 ・ボスコトレカーゼ - 北 ・ボスコレアーレ - 北東 ・ポンペイ - 東 ・カステッランマーレ・ディ・スタービア - 南 ・トッレ・デル・グレーコ - 北西 ・トレカーゼ - 北西 行政 ニコテラ広場のトポニームのプラーク Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Collegamento 分離集落 トッレ・アンヌンツィアータには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。 Cipriani, Rovigliano, Sannino, Terragneta 注)分離集落とは 分離集落(イタリア語、フラツィオーネ( frazione)は、イタリアの 地方行政上の制度で、基礎自治体であるコムーネの下位にあ たる行政区画。 コムーネに含まれるが、コムーネの中心集落 (it:Capoluogo) から地理的・歴史的・経済的に離れている村落 (集落)である。 トッレ・アンヌンツィアータのフォロ浴場 Source:mohammad mohseni, Google Map トッレ・アンヌンツィアータ2へつづく |